日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
学び続ける人だけが…。
2016年03月29日 (火) | 編集 |
春休みに読んだ本に、立て続けに同じような言葉が出てきた。
そういえば、
今の大ボスも、
部下への講話で同じ言葉を言っていた。

ううん。
「言葉」と表現するのは違うなあ。

「思い」
「信念」

違うなあ。
岩みたいに堅い真実のことを
なんて表現すれば良いんだろう。

とにかく、

その人たちが共通して強く強く言っているのは、

「学び続ける人だけが、教えられる」

ということ。



……すっげえ安心した。

私、それだけは得意だもん。
誰に頼まれなくてもそれだけはやめられない。
生まれてこのかたずっと
「知りたい」
「学びたい」
という気持ちと離れたことはない。
「学び続ける人」であることは、私にとって空気を吸うくらい簡単なことだ。

ああよかった。
私、先生やってもいいよね。



春休みに読んだ本

「みんなの学校」が教えてくれたこと
木村泰子/島沢優子
小学館

一人も見捨てない教育の実現
菊池省三/堀井悠平/乾孝治/渡瀬将基/牧野真雄
中村堂


オックスフォードの教授 vs. 巣鴨の70代
2016年02月03日 (水) | 編集 |
テレビで

オックスフォードの教授が、「早起きは長生きできない」という研究成果を得たというニュースを受けて、テレビクルーが、巣鴨の70代にインタビューしていた。

その返答が爽快。

曰く「私はそうは思わない」
曰く「イギリス人と日本人は人種が違うんだから、あてはまらないんじゃない?」
曰く「この歳になって、他人に起きる時間を決めてもらいたくない」
曰く「長生きする必要自体すでにない。もう充分長生きしたから」

オックスフォードの教授さん 全否定。
なんか気持ち良かった。

天晴れ、巣鴨の70代!

それにひきかえ

教育業界の大人たちは、

外部講師に、

ケンブリッジの教授が、数十年後、今ある職業の多くがなくなって、新しい仕事が生まれると発表した。だから、それに対応する新しい教育をしなければならない。

と言われて、

少しも疑わず、素直に信じてる。

ちょっと待ってよ。
と思う。

今現在すでに、

IT企業やらユーチューバーやらブロガーやらゲームクリエーターやらエステティシャンやらネイリストやら、

数十年前になかった仕事、たくさんあるじゃん。

家族支援だって、新しい仕事だよ。

それを担う現代の大人たちは、旧来の教育を受けて大きくなった人達だよ?

もっと昔、戦後の混乱期さえ、いろんな商売をして、当時の大人達は乗り越えてきた。

今よりもっと旧い教育を受けていたのに。

そう考えたら、べつに慌てなくても大丈夫なんじゃない?

って個人的には思ってるんだけど。

ケンブリッジの教授っていうけど、一人のイギリス人のオッさんじゃん?

権威に目が眩んで盲信するのはよくないよ。

テレビでは、巣鴨の70代のことを、頑固と評していたけれど、

私には、ちゃんと自分の頭で判断している
カッコいい人に見えた。

あるいは、私も70代も、
頑固なだけなのか?!








テーマ:子育ての悩み・疑問
ジャンル:ChildCaring
星占いとタロットと手相と…
2016年01月30日 (土) | 編集 |
 1年に1回くらいのペースで占いに行く。

 私の見てもらっている占い師さんによると、

 私の星は、弱い人、目立たない人に寄り添いたい気持ちが強く、奉仕の一生なんだそうです。
 それから、真理を追究するような勉強が大好き。
 教える仕事が合っている。

 ……自分自身では、当たってると思うんだけど、どうかな。

 そして、 今年の私は、何十年に一回の幸運期なので、無理をしてでもたくさんの人に会ってたくさんのことをして頑張った方がいいとのこと。
 
 教師の仕事も、家族支援の仕事も、このように自分の書きたいものを書くことも、ぜーんぶ頑張っちゃいなさいとのこと。

 どうしても、バーンと行動せずにブレーキをかけてしまうところがある(おもいあたる!!)ので、そのブレーキを今年は外しなさい、とのこと。

 夢の実現には、困難が伴うけれど、助けてくれる男性が現れるとのこと(だれだろう?)。

 というわけで、遅ればせながら、ここに新年の誓いを立てることにしました。

 教師としての成功
 家族支援者としての成功
 書き手としての成功
 
 今年は、臆面もなくそれらを全部望みます。

 なぜ「成功」という言葉を持ち出したかというと、成功すると、お金もはいるって思うんだよね。それで大きく宣言してみた。星占いでも言われたし!

 そしていろいろ成功してお金が入ったら、手をつなごとかホームレスの授業づくりとか路地裏とかビッグイシューとか、とにかくお金がないのに頑張っている、私の周りの優しい大人たちに大盤振る舞いするんだ!

 これが私の夢。

 


 
メディアでないという贅沢
2015年12月26日 (土) | 編集 |
 長年ファンだった人が、今年大ブレイクして、メディアでどんどん「すごいこと」になっている。
 小さなライブで、その姿を身近に見てきたから、なんだか不思議な感じ。

 そして、「すごいこと」を彼がどんどん経ていく一方で、
 でもさあ。
 と思う。

 私の長くなってしまった人生で出会った人の中で、彼よりもっとすごい人は何人もいて、
 でも、その人たちは、そんなメディア的「すごいこと」とは無縁で。

 どうしてそんなちがいが生まれるかと言えば。

 それは、たまたま、彼がもともとメディアで仕事をしている人で、
 ほかのすごい人達は、市井に生きてメディアの情報に載らなかったから。

 でも、すごさというか、やったことの偉大さで言ったら、
 むしろ、みんなが知らないすごい人達のほうが、このうえない。
 けど、世間の注目や認知は、すこぶる低い。

 このことを考えていた時に、

 私達の仲間内で「聖地」と呼ばれるある店で、恩師の古希の祝いがあった。

 その店は、メディア的「すごいこと」になっている有名店ではないし、
 集まった人は、その実績に見合うほど、メディア的「すごいこと」にはなっていない人たち。

 なんだけど。

 私には、その場にいられたことは、世界中の幸福を掻き集めて独り占めしたみたいな気分だった。
 あの店のあの時間のあの空気はほかにはない。
 その場にいる誰もが、そう感じていた。

 私の頭を覆い尽くしている
 何百万、何千万の人に注目され派手なことをすることが価値あることという幻想を取り払ってしまえば、
 その理由がわかる。

 あの場所で
 あの人たちと
 一緒にいられたこと

 それは何憶分の一かの運命のプレゼント
 メディアで決して報じられることがない贅沢。

 そして、
 きっとそれは

 少なくない数の人達が
 日常のいろんなシーンで感じている贅沢。
 (もしかしたら、気づかずに。)

 テレビ、ラジオ、ネット、ブログ、フェースブック、ツイッター、インスタグラム・・・・

 これだけ情報発信が多いと、
 そのどれにも載らないところに最高の贅沢があるんじゃないか、と思う。
 

 
 
 

ファシリテーターには向き不向きがある。ティーチャーにもある。という意見について。
2015年12月05日 (土) | 編集 |
 同僚が「私はこの仕事(つまり小学校の先生)以外考えられない。この仕事を、定時で帰れてけっこうお金がもらえるという理由でやっている人は、この仕事に向いていないと思う」と強く言っていた。
 上司が「子どもが大好きだ!っていうんじゃなければ、やめたほうがいいと思う。」とも言っていた。

 そうだな。
 私もそう思う。

 そういう料簡で、この仕事の一角を担うのは、ちょっともったいない。
 こんな豊かな仕事、その価値をわかって、こころから楽しめる人がやったほうがいいよなあ。

 自分が教師に向いているという不遜な前提での発言になってしまうけれど、
 でもやっぱり、向いてないっていうことはないだろうなあと自分では思う。

 てか、もしこの仕事を奪われたらかなり精神的にヤバいことになりそうなくらい天職っていう気がしている。

 ファミリーライフエデュケーターも、そうなんだけど。
 カナダの先生に「家族支援職としての天性の才能を持っている」と言ってもらったのが自慢。

 だから、この仕事もどんどんしていきたい。



 ファシリテーター
 は職業ではないけれど、でも、これも向き不向きがあるよなあ
 と思う。

 じゃあどんな人が向いているのという話になっちゃうんだけど、
 どんな人だから向いているという風に簡単には言えないような気もする。

 でもなんていうか、
 すごい、ファシリテーション一回したらへとへとになる人は向いていると思う。多分。



 



 

 
子どもの貧困「社会的損失4兆円」レポについて
2015年12月05日 (土) | 編集 |
どんなに私がわめいたって。
ううん、私より力も発言力もある人がどんなに訴えたって。

時期が来なければ、世間は耳を傾けないんだなあと実感。

子どもの貧困について私がカナダの大学の通信教育で学んだのは2001年。
正直、その時は私もピンときてなくて、そう正直に言って、カナダの先生に怒られたのを覚えている。

それで、そのとき、POVERTY のことすごくちゃんと考えなきゃいけないって叩き込まれて。

それとは別にまた、予防が一番効果的、リーズナブルというのも教わって。
起きてから対処的にかかわるより 起きる前に予防的にかかわることが社会的コストもものすごーくリーズナブルなんだ、そのツールがファミリーライフエデュケーションなんだって。

でもそのことを、2003年から2008年の5年間のプロファミリーライフエデュケーター時代に訴えても、
こう、なんというか、壁にテニスボールを打ちつけているような、
巨大な岩の塊を小さなつるはしで削っているような、
そんな感覚しか持てなかったんだけど。

↓いつも紹介するこのたとえ話、私が思っているより、リアクションがいつもすごく低かった……。
億万長者のアイオワ人

10年経って、子どもの貧困がやっと認知されてきて、
そしたら、こういう経済的な見方も注目されて。

だから言ったじゃんか――――って思うんだけど。

個人レベルでも同じだよね。

ある親子を見ていて、その子育てのやり方を見ていて
ああー、こういうふうになっちゃうんじゃないか
って、経験から予測できる。

でも、それをその本人にその時言ったって、その人の子育ては変わらないし、
たぶんわかってさえもらえない。

で、なにかおきて、ああ、
あの時そういえばそういわれたのに
ってその人は思うんだけど、
その時には、もう取り返しのつかないことになってる。

たぶん、にんげんって、そういうふうにできている。

そう考えると、予防って不可能なのか?

レジリエンシ―しか道はないのか?



だれもが… っていうけどさ。
2015年09月12日 (土) | 編集 |
 歌詞のフレーズとか、本の一節とかではよく、、(そして教育の世界でも)

 だれだっておなじ みんな そのひとにしかない かがやきをもつ

 的な言葉を見かけるけどさ。

 現実には、すごい功績をあげた人や、何かで有名になった人は、VIP とか セレブリティ とか呼ばれてて、一般人とは違う、みたいな、
 明らかに、人間の存在価値に大小があるような扱いが溢れてて。

 電車だって飛行機だって、 お金をたくさん払える人は、特別待遇をするってシステムになってて、
それが、私たちに、人間に優劣があるようなイメージを植えつけている。

 だから、

 そんなことが溢れかえっている日々の中で、そんなことを言われてもさ、
 なんか腑に落ちない。ずっと。
  
 じっさい、 
 世界中がその人の名を知っている、ハリウッドスターとかオリンピック選手とかと、私が通勤電車でよく会う(私を含めた)数多いる一般人と、同じ価値の人間か? って正直思う。

 そもそも、
 人間は生まれ落ちた時点から不公平にできているものだと思うし。
 単純な意味ではなく、いろんな意味での境遇もそうだし、生まれ持ったかがやきの強弱ももちろん、きっとあって。もしかしたらかがやき自体がないことだって あるんじゃないかとさえ疑う。
 生まれ落ちた後だって、努力ができる性格かどうかとか、きっかけや人に恵まれるかどうかとか、人生を左右する要因は数えきれない。

 こういう論理展開だと、
 だけどね、かがやきがどうでも、才能がどうでも、性格がどうでも、運が良くても悪くても、かけがえのない一つの命、存在なんだよ、という説得が聞こえてくるけど、
 そういう流れに行きたいんじゃない。

 キレイゴト

 ああ、そうだ。
 そういう感じ。

 人間なんて、ううん、動植物だって、みんなきっとどっかで、どうしようもなく命の重さに大小があるってことを感じ取っている。
 だって、同じ草花でも、胡蝶蘭は珍重され、ハルジオンはいとも簡単に摘まれるじゃないか。人間だって、大物が死んだら、世をあげて嘆くけれど、身寄りのないひとがそっと死んでも、誰も気づかない。

 だから、

 だれだっておなじ みんな そのひとにしかないかがやきをもつ

 っていう言い方が、どうしても好きになれない。

 
 
家族生活教育
2015年08月31日 (月) | 編集 |
 とうとう、ファミリーライフエデュケーションの翻訳書が出ました。正確には、出ていましたというべきか。
 日本家政学会の先生方が出版した「家族生活教育」(倉元綾子・黒川衣代 監訳、南方新社・刊)という本です。
 原書は「family life education working with family across the life span」の第2版。原書のリンクはサードエディション(第3版)です。

 たまたま、ネットサーフィンをしていて、山下いづみさんのブログを発見し、家政学会の家政教育部会が以前からファミリーライフエデュケーションの学習をしていたことを知りました。

 私が資格を取得したのが2003年。日本人初のファミリーライフエデュケーターとして、たった一人で仕事を始めましたが、一方で、山下さんは2004年からファミリーライフエデュケーションの普及活動を開始し、市会議員にまでなってしまったそうです。お互い知らなかった~。その後、山下さんと、翻訳者の倉元先生ら家政学会の先生方が出会い、家政学会の先生方もファミリーライフエデュケーションに興味を持ち、本書の翻訳に至ったとのことでした。

 「family life education working with family across the life span」は、ほぼファミリーライフエデュケーションの概要を網羅した本で、これを翻訳するのは大変なご苦労だったと思います。本当にお疲れ様でした。

 私もいくつかファミリーライフエデュケーション関係の原書を持っていますが、もう、早々に翻訳は諦めてしまいました。
 英語は、アルファベットのみで、日本語は漢字、ひらがな、カタカナがあります。だから、日本語で、西洋の論理的思考を表そうとすると、必要以上に難しそうな文章になってしまう。アルファベットの羅列だと、もう少しとっつきやすいのですが。かといって、その意味合いだけを抽出してわかりやすい日本語だけで語ろうとすると、原書の表現を正確に伝えていないのではないかという不安が生まれます。

 そういうわけで翻訳というのは本当に難しい。
 だから翻訳作業に時間を使うより、日本に根差した形でファミリーライフエデュケーション的活動を実践しようと考え、私は、一人で自分なりの日本型ファミリーライフエデュケーションを創ってきました。そして、その延長線上にあるこのブログでは、私のフィルターを通してますとお断りしたうえで、ファミリーライフエデュケーションの本質を、わかりやすい言葉で伝える努力をしています。

 一方、上記の本は、私のやり方ではなく、むしろ直訳に近い言葉で翻訳されています。だからちょっと、難しく感じられるかもしれません。でも、ファミリーライフエデュケーションって、そんな敷居の高いものではないんですよ~。

 本当は、アメリカかカナダの大学で、英語でファミリーライフエデュケーションを学んでいただくのが一番早いと思うんですが、どうしても英語がダメだという方は、とりあえずは、そんな違いを踏まえつつ、私のブログとこの本の両方を眺めて、ファミリーライフエデュケーションをご理解いただけたらと思います。



 さて、ネットサーフィンの成果はもう一つあり、日本家政学会が現在、ファミリーライフエデュケーター的な資格認定をめざしていることを知りました。その一環として、日本家政学会内の連携を図るための会合があるというのです! 私は微力なうえに、小学校に行ってしまいましたから、学者さんたちの団体がファミリーライフエデュケーションを推進しようとしてくださっているのは、なんて嬉しいこと!と感激して、喜び勇んで行ってみました。
 実際に資格認定課程を修了した者として、資格認定制度構築に向けて、何か力になれたら、との思いもありました。

 そこには山下いづみさんもいらしており、アメリカでファミリーライフエデュケーションの科目を履修したことのあるIさん、翻訳者の先生方、日本家政学会の家政教育部会をはじめとする各部会の先生方にお会いできました。
 本も著者割引で購入させていただきました。

 突然の訪問にもかかわらず、温かく迎えてくださった皆さんに深く深く感謝です。
 
 しかし、行ってみてわかったのですが、私が資格を取得して10年たちますが、やはり、ファミリーライフエデュケーションの全容は、まだまだ日本には理解されていないんですね…。
 私としては、とにかくファミリーライフエデュケーションが正しく理解され広まることを切に願わずにはいられません。
 正直、そのことがすごくすごく不安です。
 優しくしていただいたのに、こんなことを書くのは、申し訳ないという気持ちもあります。
 けれど、それをおして、私は書かなければならないと思うのです。

 というのは、ノーバディズパーフェクトの先例があるから。

 人は、何かを理解する時、今まで自分の中にあるものと結び付けて理解します。

 ファミリーライフエデュケーションは、日本人が今まで蓄えてきたものと通じるものがあまりないので、それを聴いただけ、読んだだけで理解するのはかなり厳しい。
 
 でも、資格認定まで目指すなら、それに関わる全ての人が、必ず、ファミリーライフエデュケーションを正しく、そして深く理解してほしい。

 そしてそれ以前に、家族支援理論について深い理解をしていてほしい。

 なぜなら、ファミリーライフエデュケーションは家庭教育、家政教育の一つではなく、あくまで家族支援の一手法だからです。
 それは、「成人教育」という手法を使って、予防的に家族のウエルビーイングに寄与するもの。
 だから、前提として、家族支援の考え方を十分理解し、家族支援の考え方に基づいて実践するのが絶対条件。

 そして、家族支援学が、それがなければ家族支援ではないと強く主張するのが、ボトムアップ
 これをおさえないと、資格の意義そのものも変わってしまいます。

 どういうことかというと。

 先にファミリーライフエデュケーションありき、ではないんです。

 まず最初に、切羽詰まった地域のニーズがあって、それを何とかしようとする人たちがいて、その中でいろいろな家族支援活動がなされる。
 その様々な活動の一つとして、予防的な教育実践が必要だと判断された場合に、ファミリーライフエデュケーションが用いられます。そして、地域にあったオリジナルプログラムを用意し、それを行うのがファミリーライフエデュケーター。
 そして、そもそも、ファミリーライフエデュケーターは、カメラマンや詩人みたいに、自己申告でなるもの。
 そのなかで、資格認定を受けたら、FLE(ファミリーライフエデュケーター)からCFLE(有資格ファミリーライフエデュケーター)になります。

 でも必ずしも認定が必要なわけじゃない。
 大事なのは実力なんです。
 家族支援で大切なのは実力と絶え間ない謙虚な学び。
 資格じゃない。
 もちろん、あったほうがいいけど、なくても実力があるほうがいい。
 
 けれど、日本型思考では、教師でも保育士でも、まず資格を取らなければ仕事ができませんから、それと同様に、まずは資格を認定、という発想になってしまう。
 だから、ノーバディズパーフェクトプログラムみたいなことが起きてしまう。
 だけどこの日本型システムは、様々に家族支援の考え方と矛盾しているのです。
 詳しくは→★ (★をクリックしてください) 
 家族支援の考え方とは、対等で親しい関係であり、レジリエンシ―であり、パワーウイズの考え方であり、地域密着であり、オリジナルであり、エフェクティブであり…その他もろもろ、知っておかなくてはいけないことがたくさんあります。

 とにかく、まず家族支援の考え方をおさえないで、ファミリーライフエデュケーションを実践してはいけません!
 もしやってしまったら、ぜーったいに! 訳の分からないことが起きてしまう。

 そして資格課程では、机上ではなく頭ではなく、身体全体で家族支援とファミリーライフエデュケーションについて体得するような学びの工夫がほしい。つまり、ファミリーライフエデュケーションの手法を学びを通じて疑似体験するシステムが絶対必要ということです。 そして、内容的にも、日本の既存の資格認定のようなものではなくて、ゲンバ密着の、実践的、実際的、学際的、現代的なことをふんだんに盛り込んで、ちゃんと、なりたい人を耕すものにしてほしいと思います。私がライアソン大学でそうして鍛えてもらったように…。


 僭越ながら、私は協力を惜しみません。
 
 日本家政学会の先生方に超・期待しています!
 どうかどうか、よろしくお願いいたします!

 
 

  
 
 
 
悪魔に半分
2015年07月05日 (日) | 編集 |
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「自分の責任で自由に遊ぶ」っていう時点で自由じゃない
2015年06月08日 (月) | 編集 |
 息子が、小学校時代のプレーパーク体験について、こうコメントした。
「プレーパークで遊ぶのが嫌でしょうがなかった。なんかやらされるし。なんとなく視線感じるし」

 おいおいおい…。
 もう二十年以上前に,公園の禁止事項を取っ払って自由に遊べる世田谷・羽根木プレーパークのコンセプトに感動してプレーパーク拡充のグループにも参加し、やがて始まった石神井公園のプレーパーク活動を大歓迎して、せっせと自分の子やその友達を連れて行っていたのに。

 石神井公園のプレーパークは常設が許されていないため、月に1回のイベント的なもの。
 大人たちが、普段の公園ではできないことを、と、ロープワークやら木工やら焼き芋やらを用意して子どもたちを誘っていたんだけど、
 
 それが、子どもにとっては、「やらされる」ことだったとは…。

 そして、子どもがプレーパークで遊ぶという事実を、プレーパークを推進する大人たちはみんな欲していたから、遊んでいる子どもを嬉しく眺めていたんだと思うけど、

 それを、子どものほうでは「なんとなく視線感じ」て遊びにくいと思っていたとは…。




 そして挙句の果てに彼は言い放った。

「ほーんと嫌だったなあ!プレーパーク。だいたい、『自分の責任で自由に遊ぶ』とか言ってる時点で自由じゃないんだよ」




…オーマイガッ