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日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
パソコンができない
2014年02月01日 (土) | 編集 |
カナダ家族支援職資格取得日記⑤

 話は前後しますが。
 実は。

 聞き取れない英語に必死に受け答えして取りすがって、なんとか入学を許可されたものの、そこには、


 私はパソコンができない。


 という恐ろしい事実が横たわっていた。

 家庭支援職資格課程はeラーニング(インターネット通信教育・しかも海外の)だというのに、インターネットもメールもよくわからん。ましてやファイルがどうだ、ワードがどうだとか、ちょっともわからん。

 そんな私の強い味方は、ビジネスマンのダーリン。
 すでにビジネスの世界ではパソコンが当たり前だったから、我が家にも彼専用のパソコンとプリンタがあったのだ。

 とはいえ、彼は毎晩深夜まで働き終電で帰ってくる筋金入りのワーカホリック。
 
 しかし私にこの人以外に身近にパソコンを教えてくれるリソースはない。

 というわけで、毎晩深夜一時からのパソコン超初心者講習が始まった。
 とりあえず、インターネットの使い方と、電子メールの送り方、ワードの使い方、添付ファイルの送り方などを教わる。
 
 …こんな綱渡りの状況で、私はeラーニングを受けていたのね。
 今考えると、なんて無謀な…。

 ダーリンは、毎晩パソコンと格闘する私の様子を見て、
「俺、19から付き合ってるけど、マミが努力しているのを初めて見た~」
 と嘲笑っていた。

 



 深夜一時に帰ってきて、よくまあそこからオクサンに付き合ってくれたね、という声が聞こえてきます。
 ホントに、彼は嫌な顔一つせず、毎晩付き合ってくれました。
 飲んで帰ってきた時なんか、熱心にパソコンに向かう私の隣で、椅子に座ったまま眠ってたこともあったっけ。


 でもね。
 この件、彼には彼なりの勝算があったのです。

 それまでの私は、
「子供が可哀相だから夕飯を一緒に食べられる時間に帰ってきて(本当は子どもは気にしていない。実はこれは詭弁)」
 だとか、
「有給を取らないどころか土日まで出勤なんておかしいよ」
 だとか、
「休みは必ずどこかへ連れて行ってよ」
 だとか。
 要は、絶えず家族サービスを彼に要求しまくっていたわけです。

 ところが、勉強を始めた途端、
 そういう小言が私の口から一切消え失せてしまった。

 彼がいつ帰ってこようが、土日に出勤しようが、
 文献を読むのに必死の私は、知ったこっちゃない。

 休みの日だって出かけたりなんかしたら宿題が間に合わないから、私の願いは「どっか連れて行って」から、「近所の公園で子供を遊ばせながら文献が読めればそれでいい!」に変わっちゃった。

 つまり彼は、深夜に30分、私にパソコンのイロハを教えることで、長年悩まされていた絶え間ない小言からすっかり解放され、思う存分仕事ができる状況になれたというわけ。

 それまで、「好きでワーカホリックをやっているわけじゃない。家族には申し訳ない。でも仕方がないんだ」という思いを抱えながら、私の口撃を耐え続けていたわけですから、彼にしてみれば、この度はライアソン大学サマサマ、ありがとうございます♥という心境だったそうです。

 だから、なんとか私が途中で諦めないように、家庭の平穏がいつまでも続くように、彼はせっせと私にパソコンを教え続けたのでした!
 

 



 
 

 



 

 


 
トム先生の優しさに救われた話
2014年01月22日 (水) | 編集 |
カナダ家族支援職資格取得日記④

 1科目目「コミュニティエコノミックディヴェロップメント(経済活動を伴う地域活性化)」の担当は、Tom Zizy 先生。

 彼は、大学教授ではなくて、ホームレスの雇用創出や若年ホームレスの再教育、海外途上国支援の政府プロジェクトなどにかかわってきた、その道のスペシャリスト。
 ライアソンでは、どの科目も、講師は、受講生が納得するようなその道のスペシャリストが担当する。
 ちなみに二児の父でもある。
 最初の講師自己紹介で、公私ともにディスクローズしてくれるので、私たち生徒はすぐにトム先生に親しみを持った。
(↑これは、今から考えると、あとで理論的に習う「対等で親しい関係が大事」ってこと、体現してくれていたんだなと思う…。)

 

 彼は、さすが現役の実践家だけあって、様々な事例や最新の理論をじゃんじゃん紹介してくれる。
 だけど、彼が素敵なのはそれだけじゃなかった。
 
 十年にも及ぶ独学で、勉強の中味のほうにはそれなりについていける自信はあったものの、心配なのは私の英語力。
 学校で英語を学んだとはいえ、海外経験ゼロの私。きっと、ネイティブから見たら、日常使わない言い回しの奇妙な英語を使っているに違いない。

 だから私は、レポートを提出するごとに
「私の英語がへたくそですみません」
「変な英語でごめんなさい」
「何とか読み取ってください」
 みたいな添え書きをしていた。

 そんな私にトム先生は言った(メールでね)。

「マミ、君は英語を学ぶためにこの課程に入学したわけじゃないだろう?
 君が学んでいるのは家族支援なんだ。君の英語はもちろん流暢とは言えないが、充分通じる。
 そんなことを気にする必要は全くない。
 それより、君がこの課程にいることで、我々は多様性を実感することができる。
 クラスの仲間たちは、君から、アジア的なものの見方を学ぶことができるんだ。
 どうか英語の小さな間違いなど気にしないでほしい。
 大切なのは、君の書く内容なんだ」

 ああ、今思い出しても涙が出そうです。
 
 トム先生のこの励ましがなかったら、いつまでも英語の文体に気を取られて、3年間の勉強はずっと苦痛の多いものになっていたことでしょう。

 これこそ、ストレンスベースドアプローチ(長所に注目するやり方)。
 家族支援の根幹の一つ。
 その人の持つ強みに注目し、それを伸ばすことでエンパワーしていく。

 この時、私はそれを初めて体感しました。
 そしてこの後、勉強期間を通じて、何度も何度も、家族支援、あるいはコミュニティワークの真髄に触れることになるのでした…。





 ところで、トム先生のメールの最後に、控えめにこう書いてあったことも、ここに白状します。
「マミ、でも、副詞の最後は ry じゃなくて、ly にしたほうがいいよ!」(例 freely)


 ……恥ず!
 
 
 


 
 
 
 
1989年の誓い
2014年01月17日 (金) | 編集 |
カナダ家族支援職資格取得日記③

 どんなに大変でも、私は結局、学ぶことをやめなかった。

 それには、大きな理由があった。

 話は1989年に遡る。

 その年、東京で「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が起きた。
 報道で知ったこの事件に、私は、激しく衝撃を受けた。当事者と何の関係があるわけではないのだけれど、その事件は悲惨すぎた。その時胸を衝いた痛みを、私は今も抱えながら生きている。

 そして、
 以来、「こんな悲劇が繰り返されないために、私に何ができるのだろう」と考え続けてきた。


 幸福な人は、きっと人を不幸にしない。
 すべての人が幸福になれば、犯罪はなくなる。

 どうすれば、人は幸福になるのか。
 幸福な人は、きっと温かい家庭(またはそれに代わるもの)に育まれる。
 
 それなら、温かい家庭(またはそれに代わるもの)づくりのお手伝いをすればいい。

 当時、数年の思索の結果、そのような結論に至った私は、早速、どうすれば家族を支援することができるのかを学び、実践しようとしたが、まだ、子育て支援という言葉さえなかった時代のこと、そんなカテゴリーは日本に存在しなかった。
 仕方なく、図書館をお友達に、心理学、教育学、児童学、福祉等の独学をし、手探りのボランティア支援を続けて早10年。

 やっと2000年の声を聞く頃に「家族支援職資格認定課程」なんて、私にピッタリのプログラムに巡り合えたのである。

 それが、外国のもので、英語で学ばなければいけないからって、
 パソコンを覚えなくちゃいけないからって、
 勉強の中身がハードすぎるからって、

 諦めるわけにはいかないではないか!
 
 ああ、でも、つらすぎる…。
 私ごときがこんなことをわざわざしなくても…。

 
 そんなふうに悶々と悩む私に、ダーリンが言い放った。
「マミちゃん、一生に一度くらいは、努力してみたらどうだい?」

やっぱりやめよう、と早くも悩む
2014年01月14日 (火) | 編集 |
カナダ家族支援職資格取得日記②

 運命の1科目目が始まった。

 いわゆるeラーニングなので、教材はインターネットで配信され、質問やレポートの提出は、電子メールでやりとりする。1科目は1週間1単元で14単元、合計3か月半で修了。

 学習内容は、

●1単元につき、数ページのテキストに沿って、70~80ページの資料を読む。
●それについてのレポートを毎週1回提出。
●それ以外に月一回ペースの大きな宿題がある。
●ネット上に先生と生徒のディスカッションルームがあり、そこに常時参加する(ここでの発言頻度や内容も成績に反映されるので)。

 という感じで、私の知る限り、期間は短いとはいえ、日本の大学より1科目をとるためのハードルはかなり高い。

 しかも、

●将来資格を取得するためには、各科目を修了するだけでなく、一定以上の成績をあげ続けなければならない。

 という…。

それを、英語は10数年ぶり、パソコンは触ったことがないという人間が取り組むわけなのだから、下手すりゃ、エベレストのぼるより困難(さすがに大袈裟か?)といっていいくらいのことだったかもしれない。

 なにしろ、

 テキストを読めば1行に3つはわからない単語が出てくるし、
 最初のレポートで中学生並みの自己紹介文書くだけで3時間ぐらいかかっちゃうし、

 そのうえ、

 PDFってなんやねん????
 添付ファイルってどーゆーこと???

 というパソコン超初心者状態。

 はじめて1週間もたたないうちに、
「やっぱりやめよう。こんな無茶なこと。今ならまだ引き返せる…」

 と、私は本気で悩んだのだった。
 
はじまりは、厚顔無恥な国際電話
2014年01月10日 (金) | 編集 |
カナダ家族支援職取得日記①

 今から考えると、「無謀」というより「暴挙」であった。

 英語なんて大学受験以来18年ぶり。36歳。
 1歳、4歳、7歳の三人の子持ちで、夫は筋金入りのワーカホリック。
 パソコンなんて触ったこともない。

 こんな状況の私が、カナダの大学の自国内向けインターネット通信教育に、遥か日本からいきなり申し込んだのだから。

 アジアからどころか、外国からの申し込みは、私が初めて。
 今思えば、向こうはさぞかし慌てたことだろう。
 
 そして、入学試験代わりの電話インタビューで、大学側のコーディネーターはこう言った。(もちろん英語で)

「申し訳ないが、あなたのその英語力では、とても大学の授業にはついていけないだろうから、諦めてほしい」

 実際、この台詞さえ何度も繰り返してもらい、やっと聞き取っているのだから、コーディネーターの言うことに、一ミリたりともない。

 だけど私は、ひたすらこの単語だけを言い続けた。

「プリーズ! プリーズ! プリーズ!」

「but…(でも…)」

「プリーズ! プリーズ! プリーズ! プリーズ!」

 最後は粘り勝ち、と言えば聞こえはいいが、要は、うるさい日本人に、向こうが匙を投げたという格好。

「まあいいでしょう(ため息)、とりあえず一科目やってごらん」

 2000年4月、こうして私は無事(?)、カナダ・ライアソン大学の家族支援職資格認定課程に入学を許可されたのだった。

 いや、正確には、1科目だけの受講を許されただけなのだ。
 コーディネーターは、上の言葉に続けて、その1科目めのパフォーマンス如何によって、私の入学を許可するかどうかを決める、と言ったのだから。