日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
子育てができない霊長類の出現について
2014年01月27日 (月) | 編集 |
 超個人的な妄想ならぬ妄理論だと思って聞いてくだされ。
  

 自然の群れで育たなかった猿だかチンパンジーだかが、自分の赤ちゃんを異物のように感じ、まったく育てることができなかったとかいう話がある。
 いつだったか、心理学の本で見た。

 ニンゲンの日本ジンも、欧米の文化が押し寄せて、学校システムが整備され、皆がそれに憧れ、そして、とうとう今では、庶民の端々に至るまで、学校教育に浸かることになった。

 昔、といっても七、八十年前くらいだろうか。
 貧しい家の女のコが、学校に行きたくて行きたくて、でも行けなくて、自分の弟妹や、奉公先の赤ん坊の子守をさせられていた話は、私には哀しいエピソードだった。
 そして、だれもが学校に行ける現代になって、「ホントに良かったなあ」と思っていた。

 このように、学校というリソースを、こよなく愛する私だが、しかし一方で、この学校が社会にいきわたることは、現代日本に、子育ての苦手な女性を大量に産み出したのではないかという仮説も持っている。
 
 群れから離れ、母親たちを真似て子育てシュミレーションをしなかったあのチンパンジー(たしかサルじゃなくてチンパンジーだったような気がする)のように、
 早くから幼稚園や学校に隔離され、育てられる経験しかしなかったニンゲンの雌も、自分の子どもを扱うことに不慣れなのではないか、と…。
 自然の恵みとともにある生活から文化的近代的生活に移ってしまった家庭生活も影響しているかもしれない。

 私は今でも、学校的な営みには苦痛を感じない。手作りライフに憧れながらそれを全うすることもできない。
 そして、子育てが苦手だ。「お母さん」をやることは、私には収まりが悪いというか違和感があるというか…。
 この感覚は、子育てが苦手な女性に共通するものではないだろうか…。

 それは、学校に適応しすぎた分、近代生活に慣れきった分、自然の営みである子育てから離れてしまったということではないかと思うのです。
 

 もちろん、子育て難の問題には、母子関係や幼児体験など、いろいろな要素が関係するという論も知ってます。
 それも十分含んでいきたい。スッキリさっぱりどれかの理論だけでモノゴトが成り立っているわけがないもの。

 だけどこの妄理論も、意外と大きな一角を担っているんじゃないかい、と実は思っておりやす。



 注)

 この文では、あえて子育てをするのは雌と限定しています。
 ナチュラルにはそうでしょ、やっぱりおっぱい飲んで立ち歩くまでは。そして雄が担うのは、ある程度育った子どもの社会化でしょ。
 ニンゲンの本来的習性においては…たぶん。

 でも、
 これは、雄の子育てという営みを否定するものではありません。
 だって、
 いつでも例外や変化やそういう諸々があるものですよね、イキモノには。

 
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