2014年01月10日 (金) | 編集 |
カナダ家族支援職取得日記①
今から考えると、「無謀」というより「暴挙」であった。
英語なんて大学受験以来18年ぶり。36歳。
1歳、4歳、7歳の三人の子持ちで、夫は筋金入りのワーカホリック。
パソコンなんて触ったこともない。
こんな状況の私が、カナダの大学の自国内向けインターネット通信教育に、遥か日本からいきなり申し込んだのだから。
アジアからどころか、外国からの申し込みは、私が初めて。
今思えば、向こうはさぞかし慌てたことだろう。
そして、入学試験代わりの電話インタビューで、大学側のコーディネーターはこう言った。(もちろん英語で)
「申し訳ないが、あなたのその英語力では、とても大学の授業にはついていけないだろうから、諦めてほしい」
実際、この台詞さえ何度も繰り返してもらい、やっと聞き取っているのだから、コーディネーターの言うことに、一ミリたりともない。
だけど私は、ひたすらこの単語だけを言い続けた。
「プリーズ! プリーズ! プリーズ!」
「but…(でも…)」
「プリーズ! プリーズ! プリーズ! プリーズ!」
最後は粘り勝ち、と言えば聞こえはいいが、要は、うるさい日本人に、向こうが匙を投げたという格好。
「まあいいでしょう(ため息)、とりあえず一科目やってごらん」
2000年4月、こうして私は無事(?)、カナダ・ライアソン大学の家族支援職資格認定課程に入学を許可されたのだった。
いや、正確には、1科目だけの受講を許されただけなのだ。
コーディネーターは、上の言葉に続けて、その1科目めのパフォーマンス如何によって、私の入学を許可するかどうかを決める、と言ったのだから。
今から考えると、「無謀」というより「暴挙」であった。
英語なんて大学受験以来18年ぶり。36歳。
1歳、4歳、7歳の三人の子持ちで、夫は筋金入りのワーカホリック。
パソコンなんて触ったこともない。
こんな状況の私が、カナダの大学の自国内向けインターネット通信教育に、遥か日本からいきなり申し込んだのだから。
アジアからどころか、外国からの申し込みは、私が初めて。
今思えば、向こうはさぞかし慌てたことだろう。
そして、入学試験代わりの電話インタビューで、大学側のコーディネーターはこう言った。(もちろん英語で)
「申し訳ないが、あなたのその英語力では、とても大学の授業にはついていけないだろうから、諦めてほしい」
実際、この台詞さえ何度も繰り返してもらい、やっと聞き取っているのだから、コーディネーターの言うことに、一ミリたりともない。
だけど私は、ひたすらこの単語だけを言い続けた。
「プリーズ! プリーズ! プリーズ!」
「but…(でも…)」
「プリーズ! プリーズ! プリーズ! プリーズ!」
最後は粘り勝ち、と言えば聞こえはいいが、要は、うるさい日本人に、向こうが匙を投げたという格好。
「まあいいでしょう(ため息)、とりあえず一科目やってごらん」
2000年4月、こうして私は無事(?)、カナダ・ライアソン大学の家族支援職資格認定課程に入学を許可されたのだった。
いや、正確には、1科目だけの受講を許されただけなのだ。
コーディネーターは、上の言葉に続けて、その1科目めのパフォーマンス如何によって、私の入学を許可するかどうかを決める、と言ったのだから。
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