日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
息子の滑膜肉腫というガンのこと
2016年08月16日 (火) | 編集 |
 あまりプライベートを書きたくはない。

 けれど、
 私の息子が、滑膜肉腫になった時、私はPCの前で、そんな聞いたことのない、数百人しか患者さんがいないという、珍しいガンの情報を貪った。

 娘のアトピーのときもそうだったんだけど、
 私には、情報が精神安定剤なのだ。
 
 今、この瞬間にも、
 そんな、私のような人がいるかもしれない。
 だから、書こうと思う。

 小1から柔道を始めた息子は、すぐに北海道内の大きな大会で銅メダルを獲得し、オリンピックチャンピオンの上野雅恵さんのご両親の元で、毎日練習に励み、そのときは私も「将来はオリンピック」なんて冗談を言って喜んで、毎日道場に送迎していた。

 ホームスタート立ち上げのためのイギリスツアーに、私も参加しようと思ったけど、息子の柔道の試合と日程が重なっていてやめたのを覚えている。
 行っていたら、今頃どうなっていたんだろうな。

 けれど、彼は東京に引っ越した小5くらいから、毎日の練習をさぼり始めた。
 上野先生に講道館の向井先生という優れた指導者を紹介していただき、北海道育ちで電車に乗ったことがなかった彼を連れて、電車と地下鉄を乗り継いで講道館に行く練習をしてあげたのに。

 私がフルタイムの教師業に変わって送迎しなくなったので、彼が練習に行かなくても、誰もとがめるものはない。
 遊びたい盛りの彼はもちろん、誘惑に負けて、柔道をさぼりだした。

 このまま、柔道はやめて地元の中学に進学するのだろうと思っていたら、土壇場で講道館の仲間たちと一緒の中学で柔道をやりたいと言い出し、強豪中学に進学した。なんとあのベーカー選手(リオオリンピックチャンピオン)の出身校だ。

 けれど、年中「足が痛い」と言って練習の手を抜く日々。
 周りの大人たちは「さぼりたいからそんなことを言っているのだろう」と最初は取り合わなかったのだけれど、あんまり言うので、向井先生が柔道に詳しいお医者様を紹介してくださり、診てもらったが、原因はわからない。

「痛い」「痛い」と言いながら、それでも、指導者や仲間たちのおかげで、東京都指定強化選手に選ばれ、関東大会出場も果たすことができ、その実績で、高校もスポーツ推薦で進学することができた。

 高校でも、やっぱり「痛い」「痛い」と言うけれど、原因がないのだから、「甘えているだけだろう」と、周りの仲間は容赦せず彼をしごいて、講道館からスカイツリーまでマラソンしたりしていた。
 先生だけは心配して、足に良さそうなサンダルを買ってくださったけれど。

 高2の夏。
 あんまり「痛い」「痛い」と訴えるので、父親がインターネットで足の専門医を検索し、有森裕子さんがかかっていたという噂の、千葉・船橋の病院を見つけた。
 彼は父に連れられ高速に乗ってその病院に通い、そこで精密検査を受け、やっと、足の土踏まずに腫瘍があることがわかった。
 痛みだしてから、実に8年後のことだった。

 後から聞いたら、痛みだしたのは小4くらい。
 お医者さんによると、痛みだす前、小1くらいから腫瘍は発生していただろう、とのこと。
 「痛い」と言っていたのは、この腫瘍が神経を圧迫するからで、サボリや甘えではなかったのだ。
 その痛みに耐えながら、8年間練習し続けていたんだね、と「痛いとか言ってないで頑張りなよ」なんて無責任に励ましていた自分を大いに反省した。
 改めて見ると、息子の足は、いつも片方をかばってもう片方の足ばかりを使っていたので、明らかに左右の太さが違っていた。
 大変な思いをしていたんだね。

 すぐに手術が決まり、千葉大学の手の外科手術のスペシャリストの先生が、船橋の病院まできて執刀してくださり、きれいに腫瘍をとってくださった。
 その先生でなければ、周囲の部位を一切傷つけず、腫瘍だけをきれいに取り去る芸当はなかなかできるもんじゃない、とのことだった。

 余談だけど、私はこのときの精神的なピンチから逃げるために、キャンディクラッシュを覚えてしまった。手術が終わるまで、ひたすらキャンディクラッシュをしていた。
 課金してまで携帯ゲームをやるのは、浅はかな行為と思っていたのに、結構お金使ったなー。

 手術が終わり先生は言った。
「これで完治しました。良性腫瘍でしょうから、もう大丈夫です。」

 良かった。
 本当に良かった。

 麻酔から覚めた息子は、
「俺、足の痛みがなかったら、インターハイ行けると思う」
 と言って、私たちを喜ばせた。

 本題はここからだ。

 先生は言った。
「いちおう、この腫瘍、念のため生体検査に出しておきますね。多分良性だと思いますけど」
 私たちはその台詞を気にもとめなかった。
 良性腫瘍に決まっていると思っていたから。

 結果は
「渇膜肉腫」だった。
 生体検査を受け持った方が、その道の権威だそうで、その方じゃなければ気づかなかったかもしれないという、珍しいガン。

 良性腫瘍と悪性腫瘍では手術のやり方が全く違うそうで、良性ならその腫瘍だけ周りを傷つけずに取るのが成功だけど、悪性の場合、周りごとごっそり取り除くことが必要だったので、再手術しなければならないという。
 しかも、ガンであれば、再発予防の治療も必要になる。
 腫瘍はとりきったけれど、その周りにがん細胞が残っているかもしれないというのだ。

 そういうわけで、手術は成功して体は健康になったのにガン患者という、奇妙な状態に、息子は陥ったのでありました。

 幸い、幼馴染みのお父さんが、ガン難民コーディネーターだったので、さっそく相談に伺った。博識で聡明な方なので、私の実家では、私が小さい頃から、なにかと相談に乗っていただいている方でもある。

 彼は言った。
「ガンの治療は日進月歩どころか秒進時歩。どんどん新しい治療法が出てくるから、よく考えて治療をするように。病院選びも大事だよ」

 私たちは船橋の病院の紹介状を携えて、日本有数の超有名病院へ行った。

 そこのお医者さんは言った。
「君はラッキーだ。うちには世界有数の形成外科医がいる。すぐに再手術をして、周りの組織をとってしまった方がいい。1年くらいはリハビリで足を引きずることになるだろうけれど、命の方が大切なんだから。昔は、切断していたりもしたのだから、今で良かった」

 柔道はもちろん、あきらめなさいという。

 息子は受け入れなかった。
 手術をしないというと、お医者さんは驚いて言った。
「私は自分の息子が同じ病気だったら必ず手術をする。もう一回考え直してほしい。親御さんもよく考えて」

 検査に行くたび、私たちは1時間から2時間、説得を受けたと思う。
 数分診療が当たり前の超有名病院で、異例のことだと思う。

 父親は、手術を受けるべきだと言った。
 このひとは、一般人のなかの一般人だから、
 普段から医者の言うことには従うべきと思っている。

 私は、受けさせたくなかった。
 私は、もともと、明らかな目的がわかっていて手術する以外は、手術はしたくないという感覚の持ち主だから。
 いや、もっと言えば、単純に体にメスを入れるのが怖いのだ。

 息子も受けないと言った。
 けれど、息子は私とは違う意見だった。
 彼はシンプルに
「俺は治った。治ったから、もう何もする必要はない」
 と断言する。

 そういえば、この人は小さい頃から野性的だった。
 風邪などで具合が悪いとなると、親に言われる前にすぐに寝床に行って何も食べないで寝てしまう。
 そして次の朝にはすっきりした顔で起きてくる。

 病気になったんだから栄養のあるものを食べさせなきゃと思うのに、何も食べないで寝てしまうのだ。
 あとから、胃を含めて肉体のエネルギーを使うのを休めることで、そのエネルギーを免疫力に集中し病気を治すのだという理論を知り、ああ、彼は野性的な生命力でこれをやっていたのだとわかった。

 その野生のカンが、息子に「手術は必要ない」と確信させているらしかった。

 後で聞いた話なのだが
 おそろしいことに

 ガン難民コーディネーターの藤野さんが熱弁を振るっているときも
 超有名病院のお医者さんが必死に説得しているときも

 実は、彼は
 話の内容を聞いていなかったそうだ!

 あろうことか
 「この時間が終わったら、どこのラーメン食べに行こうかなー」と
 それで頭がいっぱいだったという。。。







 超有名病院の超優秀なお医者さんの
「手術を」
「抗がん剤治療を」
「放射線治療を」
 という説得をすべて拒否するなんて、多分うちみたいな変わり者親子じゃなければ不可能だと思う。
 まさか超優秀なお医者さんより自分の意見を通そうだなんて、普通の人だったら考えないでしょう?
 実際、ザ普通の人である我が家の父親も早くに陥落していたし。

 結果的に、お医者さんの方が根負けして
「わかった、じゃあ定期検診だけして経過観察ということにしよう。そして異常が見つかったらすぐ治療開始だからな。検診には必ずくると約束すること。そして、命をかけて選択した以上、柔道頑張らなかったら承知しないぞ」
 と息子を励ましてくれたのだった。

 それから3年。数ヶ月ごとのCTとMRIに息子は律義に通い、その度、「異常なし」を勝ち取り続け、多分もう完治と言ってもいいと思う。
 っていうか、息子の野生が確信した通り、3年前に手術した時点で、すでに治っていたんだろう。

「そういえば、、、」
 最近、父親が突然思い出した。
「俺も大学生の時、背中に脂肪のかたまりができて手術で取ったんだけど、あれ、もしかして渇膜肉腫だったのかな。昔だったから生体検査とかしなかったからわからなかったけど、その可能性もあるかも」
 そうかも。
 遺伝的要因ってありそうだし。
 でも、もしそうであるとすれば、今まで何事もなく生きているから、ますます息子も心配ないかもね。

 さて、足の痛みが取れた息子はバリバリ練習に励み、自身が予告した通りインターハイに出場。。。
 というわけにはいかず、足の痛みがなくても、柔道の実力はさほど変わらず、結局目立った戦績を残すこともできず、だから大学にスポーツ推薦で進学することもできず。
 焦った彼は机にへばりつくように苦手な勉強と格闘し、付属大学の内部推薦をなんとか勝ち取り進学したのだった。

 さて、なんとか大学に入ったのだから、改めて柔道に打ち込むかと思いきや、その大学はオリンピック選手を何人も輩出するような超厳しい柔道部だったので、息子は悩んだ末柔道はあきらめ、大学からは他のスポーツに転向してしまった。
 
 そして検査に行ったとき、お医者さんに「柔道頑張っているか」と聞かれ「やめました」と言ったときの
「命をかけて選んだ道をやめたのか」とお医者さんが気色ばんだ様子を見て初めて、
「え、俺が手術しないことを選んだのって、そんなたいへんなことだったの!?」
と気づいたそうだ。脱帽である。

 心と体は、先進国の私たちが思っているよりずーっとつながり合っているっていうから
彼の「俺は治った」という野生の確信が、一番の治療だったのかもね。


 もし、渇膜肉腫で悩んでこのサイトにたどり着いた方があれば、これはあくまで経験談ということを念頭に読んでください。これは一つのケースであって、誰にでも当てはまるものではないと心してください。治療の方針は、あくまでもご自身で決めてください。





 

 


 
コメント
この記事へのコメント
うちの息子も滑膜肉腫
うちの息子も高二の時に 大学病院で滑膜肉腫と診断されました。
始めは、高一の時 マラソン大会の練習で足が痛いと言いだし 練習のせいで痛いのだと思ってシップを貼って我慢させていました。でも、左足だけ腫れてなかなか治らないので 3ヶ月ぐらい経ってから総合病院に連れて行きました。その病院でMRIを受けましたが、水がたまっているようで 水を抜かないといけないくて 難しい場所ないので大学病院を紹介されました。
大学病院では、何回水を抜いてもすぐ又 水がたまってしまうので 手術で水の溜まる袋を取ることが決まりました。
取った袋に癌があったことが判明して、滑膜肉腫だと言われました。「骨肉腫は知っているけど、滑膜肉腫って何?」と思いました。抗がん剤治療をしなければならないことを聞いて、なんでそこまでしなければならないのかと思いました。癌細胞は取れたと思っていたので…。抗がん剤治療は 高二の夏休みだったので 学校は休まずに出来ましたが、ちょうどその年は24時間テレビで高校生の男の子が 脳腫瘍で亡くなってしまうドラマがやっていたのでちょっとショックでした。ドラマでは 抗がん剤で髪の毛だけが抜けてしまいますが、実際には全身のあらゆる毛が抜けてしまうことが始めて分かりました。食欲も無くなりみるみる痩せていきました。息子は保険にも入っていなかったので 治療費もいろいろとかかり大変でした。大学病院まで行くのにも片道1時間以上かかるので とても疲れてしまい まめにいろいろ届けに行く訳にもいきません。この方の話を聞いて うちの息子も本当は抗がん剤をやる必要はなかったのかな…と思ってしまいました。
なんとか高校は留年することなく、3年で卒業することが出来ました。大学もなんとか 私立ですが推薦で入ることが出来ました。でも まだあと4年も検査通院しなければならないことを考えると 頭が痛いです。検査費もけっこうかかるので…。担当の先生はいい先生なのですが、いろいろと問題があった大学病院なのでちょっと心配ですが、何事もないことを願うだけです…。
あとこれは余談ですが、私もいろいろ心配な事があり占いにはまってしまい沢山課金してしまいました…。反省です…。
うちと同じような状況の男の子がいたので 投稿してしまいました。
2017/05/18(Thu) 17:06 | URL  | あさりちゃん #-[ 編集]
Re: うちの息子も滑膜肉腫
びっくりしました。
ほとんど同じケースですね。
私達も、大学病院に通院するたび、毎回2時間くらい治療するよう説得されました。
夫は、医師に従い、治療しようと言いました。
でも、息子がものすごく野生のカンを持っていて
「俺は治ったから治療はいらない」と確信していて
その上
私は自他共に認める変人なので、
怒涛の説得にめげずに治療を拒否できましたが、
常識人ならきっと、大学病院で説得されたら、治療するのが当然の選択だと思います。
息子さんが治療しない選択をしてどうなったか、それは今となってはわかりませんが、いずれにしよ、今が無事ならもういいことにしましょう!
私達には未来しかやってこないのだから。
我が家も
幸い、四年経った今も再発はありませんが、やはり検査には半年に一度行っています。
命の大切さを噛み締めながら、お互い毎日頑張っていきましょう!


> うちの息子も高二の時に 大学病院で滑膜肉腫と診断されました。
> 始めは、高一の時 マラソン大会の練習で足が痛いと言いだし 練習のせいで痛いのだと思ってシップを貼って我慢させていました。でも、左足だけ腫れてなかなか治らないので 3ヶ月ぐらい経ってから総合病院に連れて行きました。その病院でMRIを受けましたが、水がたまっているようで 水を抜かないといけないくて 難しい場所ないので大学病院を紹介されました。
> 大学病院では、何回水を抜いてもすぐ又 水がたまってしまうので 手術で水の溜まる袋を取ることが決まりました。
> 取った袋に癌があったことが判明して、滑膜肉腫だと言われました。「骨肉腫は知っているけど、滑膜肉腫って何?」と思いました。抗がん剤治療をしなければならないことを聞いて、なんでそこまでしなければならないのかと思いました。癌細胞は取れたと思っていたので…。抗がん剤治療は 高二の夏休みだったので 学校は休まずに出来ましたが、ちょうどその年は24時間テレビで高校生の男の子が 脳腫瘍で亡くなってしまうドラマがやっていたのでちょっとショックでした。ドラマでは 抗がん剤で髪の毛だけが抜けてしまいますが、実際には全身のあらゆる毛が抜けてしまうことが始めて分かりました。食欲も無くなりみるみる痩せていきました。息子は保険にも入っていなかったので 治療費もいろいろとかかり大変でした。大学病院まで行くのにも片道1時間以上かかるので とても疲れてしまい まめにいろいろ届けに行く訳にもいきません。この方の話を聞いて うちの息子も本当は抗がん剤をやる必要はなかったのかな…と思ってしまいました。
> なんとか高校は留年することなく、3年で卒業することが出来ました。大学もなんとか 私立ですが推薦で入ることが出来ました。でも まだあと4年も検査通院しなければならないことを考えると 頭が痛いです。検査費もけっこうかかるので…。担当の先生はいい先生なのですが、いろいろと問題があった大学病院なのでちょっと心配ですが、何事もないことを願うだけです…。
> あとこれは余談ですが、私もいろいろ心配な事があり占いにはまってしまい沢山課金してしまいました…。反省です…。
> うちと同じような状況の男の子がいたので 投稿してしまいました。
2017/06/27(Tue) 07:29 | URL  | さえる #-[ 編集]
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