日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
outreach
2014年06月14日 (土) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)

 
                outreach(アウトリーチ)

 私は、「出て行って届ける」と訳しています。文字通り、自分たちの場所で待っているのではなく、必要な人にこちらから積極的に支援を届けるという考え方です。
 北米では、予算的にも人員的にも、日本より余裕があるので、早くからこの実践が行われてきました。
 
 と説明していたのがもう10年以上前だもんなあ。

 いまだに、日本でアウトリーチが定着しているとは、到底言えない状況。
 乳幼児の親に対する家庭訪問型支援というのが少しずつ広まっている状況はあるけれど、元々、新生児訪問指導という制度もあったから、その辺はどうなっているんだろう??

 アウトリーチ、なんてカタカナで聞くと、
 支援の必要な人に出て行って届ける、なんて耳触りのいい解説を聞くと、
 
 とっても素敵なことに思えるけど、
 
 実際には、支援を必要と感じていない、支援を受けようと思っていない人のところに行くわけだから、飛び込みの訪問販売営業と同じメンタルが要求される。

 だから、バリバリアウトリーチを実践する余裕のある支援団体なんて、なかなかないですよねえ。
 現状の活動をキープするだけで精いっぱいだと思う…。
 
 そもそも。

 日本にかつてアウトリーチの発想がなかったのは当然の話で。
 だって、日本には、どの地域にもたいてい、濃密に世話を焼き焼かれる関係の「ご近所さん」の間柄があったから。
 アウトリーチなんて必要なかった。
 もっとざっくり言ってしまえば、日本の場合、公的支援の必要性が、北米のような個人主義多民族国家より薄かったのではないかと思うのです。

  でも、もう日本でも、多くの地域で濃密な「ご近所さん」が消えて久しい。
 私(東京郊外出身&在住)の子どもの頃と今の自分の生活という、個人的な経験を比較しても、それは実感としてわかる。

  余談だけれど、私は、濃密な「ご近所さん」が消えたのは、そのダークサイドのせいじゃないかと思っている。ありがたいときにはありがたいけれど、陰口とか世間体とか、そういう裏表的な要素も、「ご近所」にはあって、それを忌避したい人たちが地元を離れて、「ご近所」のない暮らしを始めたんじゃないかと思っているのです。それで、子育てや介護がないときはそれも快適だったのだけれど、いざ、そういう状況になると、個で生きるのが難しくなっていく…。
 なーんて一概には言えないけど、流れとしては、アリじゃないかなあ。
 
  というわけで、
 日本もアウトリーチが必要とされる世の中になってしまったのですが。

 けれど私は思うのです。
 アウトリーチが薔薇色の解決策なんだろうか、と。

 われらが日本の古き良き慣習を、もっと大事にしてもいいんじゃないだろうか、と。

 だって、家族支援の鉄則の一つは、リソースベースド。
 自分たちの持っているものを最大限に生かすってことなんです。
 「ご近所さん」という日本の慣習を、もっと生かすことはできないだろうか。

 そうだ。
 そうだよ。
 アウトリーチの普及より、「ネオご近所さん」の出現を私は望もう。「ネオご近所さん」は今思いついた私の造語で、「ご近所」のダークサイドを捨てて良いところばかりを残した存在をイメージしてます。
 
 陰口言ったりこそこそ噂話したりしない、あったかい人たち。
 困ったときはお互い様と笑って助け合える関係。

 私の頭にイメージとして浮かぶのは、大島弓子の「あしたのともだち」や「ヨハネが好き」という漫画の登場人物たち。
 これらとか、誕生とか、アポストロフィーSとか、もう何十年も時々読み返していて、読むと毎回、泣くんだよなあ。

 また、ちょっと読んでこよう。




 




  
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック