日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
⑩なにをやったか、なにをやるか
2014年05月24日 (土) | 編集 |
 今日はちょっと趣向を変えて、おやしえんの方法についてではなく、おやしえんをする人にスポットを当てちゃいます。

 私が若かりし頃。
 まだ、片手に赤ちゃんを抱え、片手に幼児の手をひいて、
 日々、子育てに奮闘していた頃。

 生活クラブ生協が運営する子育てひろばに、ボランティアスタッフとして参加したことがありました。

 そのとき、 
 メインスタッフの人に、
「赤ちゃんや小さい子を抱えている当事者がスタッフにいて、心強いわー」
 と言われました。

 ちょっと待ってくれ。
 小さい子を抱えているというのは、私にとって、テンポラリーな状況で。
 この子たちは育ち、私はやがて当事者ではなくなるのに。
 当事者じゃなくなったとき、私の存在価値はどうなるの?
 当事者じゃない私の、支援者としての存在価値はないのか?

 私は子どもを産む前から子どもの育ちに家族が果たす役割に注目し、
 子育て支援という言葉がないころからそれに類する活動をしていたという自負もあって。
 小さい子どもを抱えている当事者だから、
 活動に参加しているという感覚はこれっぽっちもなかったのだけれど。

 しかし、私の自意識とは裏腹に、しょせん世間の目から見れば、私は「当事者」でしかないのか…。
 「お母さん」であること以外、私には、支援者と呼ぶにふさわしい、なんの外的証拠もないのだ…。

  もちろん、メインスタッフの方はそんなに深く考えずに発言されただけなのですが、
 私は、そう「気づいて」愕然としてしまったのです。

 そして、
 そんなら、
 私の実力を対外的に保証するような、
 当事者じゃなくなっても一生使えそうなスペシャルな証拠をゲットしたるわい!と思って、
 カナダの家族支援職資格をゲットするに至るわけですが…。

 あれから十数年。
 
 今や、保育士の業務内容に家族支援が含まれたり、
 さまざまな民間資格や公的職業が生まれたりして、
 支援者はそれなりに、外的証拠を用意しやすい世の中になりましたね…。

 3年間かけて、もの凄くものすごーく頑張って取得した私の資格が、
 時には、
 そういう資格と大差なく語られることもあって、
 正直、ちょっと悲しい、割り切れない感じがしたりもします。

 でも、
 今、周りを見廻してみると、
 私が憧れる支援者は、
 外的証拠があるとかないとか関係なしに、
 魅力的な仕事を地道に続けているひとたち。

 そのひとたちは、
 外的証拠のことなんて考える暇なく、
 日々の仕事に夢中になっている。

 ああ、これが正解なんだよなあと思う。

 考えてみれば、
 今の私を支えているのも、
 家族支援職資格そのものではなくて、
 それを取得するために学んだ、様々な理論や方法論や現状分析、そして家族にまつわる様々な問題に対して、自分なりの考えを明示することを強いられた経験と、それをしたからこそ持てる揺るぎない自信のほう…。

 そして、その有益な知識や理論を宝の持ち腐れにしないで、もっともっとシェアしたいから、
 莫大な時間を教師という仕事に絡め取られながら、
 ファミリーライフエデュケーターであることをやめられない…。

 おやしえんをしようとすると、
 きっと、
 いろんな民間資格や華やかな名前の職業が、目につくこともあるかと思います。
 それをゲットして安心するのも一つの方法ですが、
 それに安住するのは、おやしえんではありません。

 それより、

 なにをやったか、なにをやるか が だいじ。

 支援と呼ぶにふさわしい仕事(ペイド、アンペイドにかかわらず)を、真摯に地道に続けよう。
 
 





  
 
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