日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
児童虐待
2014年05月04日 (日) | 編集 |


 ここのところ、仕事の関係で児童虐待について調べる日々が続いています。

資料によると、すでにもう何十年も前から、児童虐待(育児放棄を含む)のメカニズムは明らかにされています。

それなのに、いまだ「同じこと」が繰り返されている状況を知り、暗澹たる気持ちになってしまいました。

 「同じこと」をしているのは虐待する親ばかりではありません。
「虐待するなんてとんでもない親(なぜか特に母親は風当たりが強い)だ」というマスコミの論調と、それに同調して眉をひそめる一般の反応も、いまだ飽きずに繰り返されていることなのです。

虐待死した子どもたちにはみんな、心を込めた、可愛らしい名前がついています。
生まれた時にはきっと、虐待の果てに殺してしまうなんて思ってもみなかったのでしょう。

誰もが「子どもを善く育てたい」というのは自然な感情。
それが不幸な道を辿るのは、そうならざるをえない事情があったから。

私の出会うお母さんたちは口を揃えて、子どもが生まれるまで「子育て」がこんなに大変だとは思ってもみなかったといいます。ましてや精神的な傷、貧困、あるいは夫婦の不仲があればなおさらでしょう。
時には虐待という悲しい事態も当然起こりえます。

 そんな時、本来、親(養育者)には助けを求める「権利」がある、と知っていてくれたら…。

 けれど、世間が「虐待なんてあってはいけない」「親として、許されない」という風潮なので、虐待は隠されていきます。

 本当に児童虐待を無くしたかったら、責めるのは逆効果なのに……。

『すべての犯罪、すべての憎しみ、すべての戦争はその原因を探れば不幸に辿り着く』(A・S・ニイル)

 私は、この言葉に出会って以来、子育てしている人が幸せになることこそ、すべての悲しみの予防と考え、こうしてコラムを書かせてもらったり、道内外で講座をさせてもらったりしています。

 だけどその一方で、仕事が増えて毎日がとても忙しくなってしまい、自分の子たちに「ちょっとあっちで静かにして!」なんて怒鳴り散らすし、マンションの同じ階に住む乳幼児3人を抱えたお母さんをもっと応援したいのに、顔を合わせたとき声をかけるくらいしか出来ないでいます。

 なんだか、これっていびつだと思いませんか。

 本当は、自分の周り、自分のご近所で、ささやかな支援を細く長く続けることが、何よりも尊いことだと思います。
 私は、児童虐待を防ぐ力を一番持っているのは、プロの支援者や児童相談所ではなく、『親切なご近所さん』ではないかと、最近考え始めています。

(2006年 北海道東神楽町 広報誌 に掲載)
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