日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
だまされるな!
2017年07月15日 (土) | 編集 |
 待機児童を解消することが、保育園を増設することが、完全な善のように言われている。

 ほんとうか?

 私はかつて、

このかけがえのない乳幼児期の子どもの姿を、一分一秒でも長く見ていたい

 という理由で、在宅で、育児をすることを選んだ。
 いっしょに子育てしている公立幼稚園ママたちも、かなり経済的に苦しい中で、保育園に預けず、自分で子育てする方を選んでいた。
 
 誤解しないでほしい。

 子どものために、親が自分の手元で子育てするべき。

 だなんて、これっぽっちも思っていない。

 子どもはどこで育ったっていい。
 私の場合に限って言えば、私が育てるより、保育園に育ててもらったほうが、よく育っただろうとも思う。

 私は、親側の希望で、子どもを保育園に預けず、自分の手元で育てたのだ。
 こんな可愛い子の子育てを、他の人(保育士)に譲るわけにはいかない!と思ったのだ。

 こんだけ、待機児童解消=保育園増設って言われると、保育園に預けて母親が働く。という選択肢だけが存在するように錯覚するけど、

 自分で育てるっていう選択肢もあるよね?

 そういう人が増えれば、待機児童解消じゃなくて、待機児童自体が減る。
 そもそも、保育園で子どもを育てるより、各自が家で育てる方が、社会的コストはかからないんだから。

 保育園を作るのは、母親のためっていうニュアンスで語られるけど、私は、女性を働かせて、実は労働者不足を補いたいだけなんじゃないかって疑ってる。

 そんで、母親たちもなんだか「働かなきゃ」とか「今の生活を維持しなきゃ」っていうのに囚われてしまっていないかと余計な心配している。

 いろいろな事情があるから、もちろん、保育園に育ててもらう方を選ぶことだって、全然否定しない。

 でも、待機児童解消の目的が、もしも私が疑っているような労働力確保じゃなくて、母親(家族)の希望を叶えることだというのなら、もう一度、その希望が本当に自分たちの希望なのかを問いなおすところから始めてほしい。

 あの可愛い時期に、一緒にいなくてもいいのか? 
 たった数年間で泡と消えてしまう、あの可愛らしい時期を、貧乏しても、一緒に過ごさなくてもいいのか?

 しつこいようだけど、保育園を選ぶ人を否定しているわけではないです。
 それは、親の生き方だから。
 ただ、世間の雰囲気に流されず、自分の方法を、しっかり見極めてほしいだけ。

 そして、ここが大事なんだけど、在宅の育児を選んだ人たちにレスパイトケアを用意してほしい。もしも、週に1回育児をお休みできたら、在宅の育児を選ぶ人は増えるんじゃないか、育児不安がだいぶ解消されるんじゃないか、少子化にも効果あるんじゃないか。

 働いている人のための保育園運営の社会的コストを考えれば、今、社会的要請である子産み子育てをしている在宅の人にも、それくらい社会的費用をかけてくれたっていいと思う。

 って、15年前から言っているんだけどなあ。

 




 
生きにくさ、生きづらさの正体
2017年07月01日 (土) | 編集 |
 生きにくい世の中になった。

 と、あっちこっちで大人たちが嘆くから、そうなのかなと考えてみたら、

 私の場合は、いまだかって、生きやすかったことなんてなかったことに気づいた。
 そしてそれは、
 私がマイノリティだからなんだな、と思ったんだけど。

 もっと良く考えたら、
 マイノリティであると、
 基本的には、自分を隠して世間に合わせて行く必要があって、
 それが、生きにくさ、生きづらさの原因だってところに行き着いた。

 こう書くと
「じゃあ、世間なんて気にせずに、自分を出して生きればいいじゃない」
 って言う人がいる。

 でも、
 コトはそんなに簡単じゃない。

 もしも私が、自分をすべて素直に、あらいざらい外に出したら、
 とたんに、見えない差別とまではいかなくても、確実に「自分とちがう」「この人変わってる」「理解できない」というレッテルを貼られる。
 それって、本人にとっては意外とダメージが大きくて、できれば避けたいと思うから、私は、ほとんど、思っていることを口にしない(それでも、漏れてしまう変人ぶりで、あまり普通の人とは認識されていないようだけれど)。

 とにかく、秘密を抱えて生きることは、単純に、生きにくい。 

 私が自分を外に出さないのは、自分を守るためだけじゃない。
 逆に、私が自分を素直に表現すると、必ず誰かを傷つけるからだ。

 先日もある集まりに行って、うっかり思ったことをそのまま口にしてしまって、その場にいる人を傷つけたし、見ている人をいやな気持ちにさせた。
 私が思っていることは、それを表現するだけで、
 普通の人の普通の考えを、容赦なく破壊してしまう。
 せっかくみんなで作り上げた場を、壊してしまう。

 だから、人の集まるところでは、なるべく発言しないようにしようって誓うのに、いつも、
 黙っていられずに思いを口にしてしまう。
 ただ、その先が知りたい、私の考えを言って、それをもっと先に進めてほしいと思うのに、
 私の思いは、たいていの人の考えとはかけ離れた場所にあるようで、扱いかねてみんなを困らせてしまう。
 
 毎回そんな感じのくりかえしだから、後悔して、もう、そもそも外には出ないと誓うのに

 学びたくて、
 またつい出かけてしまう。

 私の正体は、
 まるで、尖った針を四方八方に飛び出させている球体のようなものだ。
 それをそのままにしておくと、必ず誰かを傷つける。
 だから、それを隠して、もう一つ大きな柔らかい球を、その針の外側に必死になって作っている。

 だけど、針たちはいつもいつも外に出たがっていて、だから、油断すると、すぐにそれは現れる。
 
 ただ、世の中はよくできたもので
 ほんのわずかに、私の本当の針だらけの球をおもしろがってくれる人がいる。大好きだと言ってくれる人がいる。
大好きってわけじゃないけど、そのまんまでいいよって受け入れてくれる人がいる。

その人と
その仲間達と
一緒にいる時だけは
 安心して、尖った醜い球の自分をさらけ出せる。

 だから、生きていけるんだな。