日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
泡沫の日々を愛そうと思う
2016年04月24日 (日) | 編集 |
今までの人生を振り返って、
三十代の人達が活躍しているのを見て、
「なんで三十代のとき、もっと頑張らなかったんだろう。もう時間なくなっちゃったじゃん、私」
って、ここんとこずっと思ってたんだけど、

小さい頃、
学校から帰ってきても、
仕事をしている作家の母に話しかけちゃいけない
っていう暮らし方をしていて、

自分が母になったら、
それを繰り返さないで、子育てをどっぷりやるんだ
って決意して実践してたこと、思い出して納得した。

泡沫みたいに消えてしまう日々を、
私は大量に過ごしてきたんだから、
三十代でひとかどのことを残せなくても仕方なかったのだ。

結局、「母」をやるだけでは飽き足らず、
周りの人達に助けられながら、
家族支援学を学んでファミリーライフエデュケーターの資格を取得できたんだから、それだけで良しとしよう。

それ以外は、

おそろしい数のリンゴを剥いたり、
来る日も来る日もお芋を揚げたり、
幼子の手を引いて出かけたり、
そんなことばかりしてきた。

パンを焼いて、
ジャムを作って、
セーターを編んで、
味噌を仕込んで、
手作りの暮らしにも、時間がかかった。

それらは、何か実績が残るもんじゃない。
日々の当たり前の暮らし。
泡沫のように消えてしまう、だけど大切だった日々。

私はサボっていたわけじゃなかったんだ。
かけがえのない時間を過ごしていたんだ。




……こうして自分の人生に納得していくのが、
歳を取るっていうことなのかもね。
障害は社会の側にある〜合理的配慮に思うこと
2016年04月21日 (木) | 編集 |
障害者の生きにくさは、その人が障害を持っているからではなくて、障害者に合わせた社会リソースがないから。
つまり障害は人に帰属するのではなく、健常者だけに合わせた社会(施設、通念、システム等々)にある。
ってことは、30年前から、私や私の周りの人たちが言っていたこと。
でも当時は、ほとんど、わかってくれる人がいなくて。

マイノリティとして言い続け、思い続けるって、意外としんどいことで、ほんと、長いこと切ない思いをしてきた。

それが今、公教育業界は、なんだかみんなで合理的配慮の大合唱。
障害者差別解消法の施行は、ほんとに
隔世の感。
それに教育業界が呼応することは、とても嬉しいことで、素直に喜べばいいんだけど、
なんかモヤモヤする。

なんでもっと早く、私達に賛成してくれなかったの?
なんかいろいろ最もらしい理由をつけて、ずっと、分離教育を推進してたじゃん、あの頃……。

「こうやって教育はより良く変わっていくのです」
と爽やかに言われても、モヤモヤする……。
あの切ない思いを重ねた日々は、なんだったんだろう……。

いつもそうだ。
なんだってそうだ。

最初に気づいたマイノリティが、しんどい思いを重ねて、
それがやっと実現して、その考えがマジョリティになった途端、
みんな昔からそうなるべきと思っていたような顔をして、
それを言い始める。

ちくしょう。
騙されないぞ。

今まで、マジョリティの勢いに負けて、
自分を信じ続けてあげなかったこと、何度もあった。
あれは、間違ってたんだ。

これからは
マイノリティでも、しんどくても、
自分が大事だと思うことは、ぜったい大事にし続けよう。
だって、
いつかそれは実現して、マジョリティになるんだから。