日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
メディアでないという贅沢
2015年12月26日 (土) | 編集 |
 長年ファンだった人が、今年大ブレイクして、メディアでどんどん「すごいこと」になっている。
 小さなライブで、その姿を身近に見てきたから、なんだか不思議な感じ。

 そして、「すごいこと」を彼がどんどん経ていく一方で、
 でもさあ。
 と思う。

 私の長くなってしまった人生で出会った人の中で、彼よりもっとすごい人は何人もいて、
 でも、その人たちは、そんなメディア的「すごいこと」とは無縁で。

 どうしてそんなちがいが生まれるかと言えば。

 それは、たまたま、彼がもともとメディアで仕事をしている人で、
 ほかのすごい人達は、市井に生きてメディアの情報に載らなかったから。

 でも、すごさというか、やったことの偉大さで言ったら、
 むしろ、みんなが知らないすごい人達のほうが、このうえない。
 けど、世間の注目や認知は、すこぶる低い。

 このことを考えていた時に、

 私達の仲間内で「聖地」と呼ばれるある店で、恩師の古希の祝いがあった。

 その店は、メディア的「すごいこと」になっている有名店ではないし、
 集まった人は、その実績に見合うほど、メディア的「すごいこと」にはなっていない人たち。

 なんだけど。

 私には、その場にいられたことは、世界中の幸福を掻き集めて独り占めしたみたいな気分だった。
 あの店のあの時間のあの空気はほかにはない。
 その場にいる誰もが、そう感じていた。

 私の頭を覆い尽くしている
 何百万、何千万の人に注目され派手なことをすることが価値あることという幻想を取り払ってしまえば、
 その理由がわかる。

 あの場所で
 あの人たちと
 一緒にいられたこと

 それは何憶分の一かの運命のプレゼント
 メディアで決して報じられることがない贅沢。

 そして、
 きっとそれは

 少なくない数の人達が
 日常のいろんなシーンで感じている贅沢。
 (もしかしたら、気づかずに。)

 テレビ、ラジオ、ネット、ブログ、フェースブック、ツイッター、インスタグラム・・・・

 これだけ情報発信が多いと、
 そのどれにも載らないところに最高の贅沢があるんじゃないか、と思う。
 

 
 
 

ファシリテーターには向き不向きがある。ティーチャーにもある。という意見について。
2015年12月05日 (土) | 編集 |
 同僚が「私はこの仕事(つまり小学校の先生)以外考えられない。この仕事を、定時で帰れてけっこうお金がもらえるという理由でやっている人は、この仕事に向いていないと思う」と強く言っていた。
 上司が「子どもが大好きだ!っていうんじゃなければ、やめたほうがいいと思う。」とも言っていた。

 そうだな。
 私もそう思う。

 そういう料簡で、この仕事の一角を担うのは、ちょっともったいない。
 こんな豊かな仕事、その価値をわかって、こころから楽しめる人がやったほうがいいよなあ。

 自分が教師に向いているという不遜な前提での発言になってしまうけれど、
 でもやっぱり、向いてないっていうことはないだろうなあと自分では思う。

 てか、もしこの仕事を奪われたらかなり精神的にヤバいことになりそうなくらい天職っていう気がしている。

 ファミリーライフエデュケーターも、そうなんだけど。
 カナダの先生に「家族支援職としての天性の才能を持っている」と言ってもらったのが自慢。

 だから、この仕事もどんどんしていきたい。



 ファシリテーター
 は職業ではないけれど、でも、これも向き不向きがあるよなあ
 と思う。

 じゃあどんな人が向いているのという話になっちゃうんだけど、
 どんな人だから向いているという風に簡単には言えないような気もする。

 でもなんていうか、
 すごい、ファシリテーション一回したらへとへとになる人は向いていると思う。多分。



 



 

 
子どもの貧困「社会的損失4兆円」レポについて
2015年12月05日 (土) | 編集 |
どんなに私がわめいたって。
ううん、私より力も発言力もある人がどんなに訴えたって。

時期が来なければ、世間は耳を傾けないんだなあと実感。

子どもの貧困について私がカナダの大学の通信教育で学んだのは2001年。
正直、その時は私もピンときてなくて、そう正直に言って、カナダの先生に怒られたのを覚えている。

それで、そのとき、POVERTY のことすごくちゃんと考えなきゃいけないって叩き込まれて。

それとは別にまた、予防が一番効果的、リーズナブルというのも教わって。
起きてから対処的にかかわるより 起きる前に予防的にかかわることが社会的コストもものすごーくリーズナブルなんだ、そのツールがファミリーライフエデュケーションなんだって。

でもそのことを、2003年から2008年の5年間のプロファミリーライフエデュケーター時代に訴えても、
こう、なんというか、壁にテニスボールを打ちつけているような、
巨大な岩の塊を小さなつるはしで削っているような、
そんな感覚しか持てなかったんだけど。

↓いつも紹介するこのたとえ話、私が思っているより、リアクションがいつもすごく低かった……。
億万長者のアイオワ人

10年経って、子どもの貧困がやっと認知されてきて、
そしたら、こういう経済的な見方も注目されて。

だから言ったじゃんか――――って思うんだけど。

個人レベルでも同じだよね。

ある親子を見ていて、その子育てのやり方を見ていて
ああー、こういうふうになっちゃうんじゃないか
って、経験から予測できる。

でも、それをその本人にその時言ったって、その人の子育ては変わらないし、
たぶんわかってさえもらえない。

で、なにかおきて、ああ、
あの時そういえばそういわれたのに
ってその人は思うんだけど、
その時には、もう取り返しのつかないことになってる。

たぶん、にんげんって、そういうふうにできている。

そう考えると、予防って不可能なのか?

レジリエンシ―しか道はないのか?