日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
だれもが… っていうけどさ。
2015年09月12日 (土) | 編集 |
 歌詞のフレーズとか、本の一節とかではよく、、(そして教育の世界でも)

 だれだっておなじ みんな そのひとにしかない かがやきをもつ

 的な言葉を見かけるけどさ。

 現実には、すごい功績をあげた人や、何かで有名になった人は、VIP とか セレブリティ とか呼ばれてて、一般人とは違う、みたいな、
 明らかに、人間の存在価値に大小があるような扱いが溢れてて。

 電車だって飛行機だって、 お金をたくさん払える人は、特別待遇をするってシステムになってて、
それが、私たちに、人間に優劣があるようなイメージを植えつけている。

 だから、

 そんなことが溢れかえっている日々の中で、そんなことを言われてもさ、
 なんか腑に落ちない。ずっと。
  
 じっさい、 
 世界中がその人の名を知っている、ハリウッドスターとかオリンピック選手とかと、私が通勤電車でよく会う(私を含めた)数多いる一般人と、同じ価値の人間か? って正直思う。

 そもそも、
 人間は生まれ落ちた時点から不公平にできているものだと思うし。
 単純な意味ではなく、いろんな意味での境遇もそうだし、生まれ持ったかがやきの強弱ももちろん、きっとあって。もしかしたらかがやき自体がないことだって あるんじゃないかとさえ疑う。
 生まれ落ちた後だって、努力ができる性格かどうかとか、きっかけや人に恵まれるかどうかとか、人生を左右する要因は数えきれない。

 こういう論理展開だと、
 だけどね、かがやきがどうでも、才能がどうでも、性格がどうでも、運が良くても悪くても、かけがえのない一つの命、存在なんだよ、という説得が聞こえてくるけど、
 そういう流れに行きたいんじゃない。

 キレイゴト

 ああ、そうだ。
 そういう感じ。

 人間なんて、ううん、動植物だって、みんなきっとどっかで、どうしようもなく命の重さに大小があるってことを感じ取っている。
 だって、同じ草花でも、胡蝶蘭は珍重され、ハルジオンはいとも簡単に摘まれるじゃないか。人間だって、大物が死んだら、世をあげて嘆くけれど、身寄りのないひとがそっと死んでも、誰も気づかない。

 だから、

 だれだっておなじ みんな そのひとにしかないかがやきをもつ

 っていう言い方が、どうしても好きになれない。