日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
家族生活教育
2015年08月31日 (月) | 編集 |
 とうとう、ファミリーライフエデュケーションの翻訳書が出ました。正確には、出ていましたというべきか。
 日本家政学会の先生方が出版した「家族生活教育」(倉元綾子・黒川衣代 監訳、南方新社・刊)という本です。
 原書は「family life education working with family across the life span」の第2版。原書のリンクはサードエディション(第3版)です。

 たまたま、ネットサーフィンをしていて、山下いづみさんのブログを発見し、家政学会の家政教育部会が以前からファミリーライフエデュケーションの学習をしていたことを知りました。

 私が資格を取得したのが2003年。日本人初のファミリーライフエデュケーターとして、たった一人で仕事を始めましたが、一方で、山下さんは2004年からファミリーライフエデュケーションの普及活動を開始し、市会議員にまでなってしまったそうです。お互い知らなかった~。その後、山下さんと、翻訳者の倉元先生ら家政学会の先生方が出会い、家政学会の先生方もファミリーライフエデュケーションに興味を持ち、本書の翻訳に至ったとのことでした。

 「family life education working with family across the life span」は、ほぼファミリーライフエデュケーションの概要を網羅した本で、これを翻訳するのは大変なご苦労だったと思います。本当にお疲れ様でした。

 私もいくつかファミリーライフエデュケーション関係の原書を持っていますが、もう、早々に翻訳は諦めてしまいました。
 英語は、アルファベットのみで、日本語は漢字、ひらがな、カタカナがあります。だから、日本語で、西洋の論理的思考を表そうとすると、必要以上に難しそうな文章になってしまう。アルファベットの羅列だと、もう少しとっつきやすいのですが。かといって、その意味合いだけを抽出してわかりやすい日本語だけで語ろうとすると、原書の表現を正確に伝えていないのではないかという不安が生まれます。

 そういうわけで翻訳というのは本当に難しい。
 だから翻訳作業に時間を使うより、日本に根差した形でファミリーライフエデュケーション的活動を実践しようと考え、私は、一人で自分なりの日本型ファミリーライフエデュケーションを創ってきました。そして、その延長線上にあるこのブログでは、私のフィルターを通してますとお断りしたうえで、ファミリーライフエデュケーションの本質を、わかりやすい言葉で伝える努力をしています。

 一方、上記の本は、私のやり方ではなく、むしろ直訳に近い言葉で翻訳されています。だからちょっと、難しく感じられるかもしれません。でも、ファミリーライフエデュケーションって、そんな敷居の高いものではないんですよ~。

 本当は、アメリカかカナダの大学で、英語でファミリーライフエデュケーションを学んでいただくのが一番早いと思うんですが、どうしても英語がダメだという方は、とりあえずは、そんな違いを踏まえつつ、私のブログとこの本の両方を眺めて、ファミリーライフエデュケーションをご理解いただけたらと思います。



 さて、ネットサーフィンの成果はもう一つあり、日本家政学会が現在、ファミリーライフエデュケーター的な資格認定をめざしていることを知りました。その一環として、日本家政学会内の連携を図るための会合があるというのです! 私は微力なうえに、小学校に行ってしまいましたから、学者さんたちの団体がファミリーライフエデュケーションを推進しようとしてくださっているのは、なんて嬉しいこと!と感激して、喜び勇んで行ってみました。
 実際に資格認定課程を修了した者として、資格認定制度構築に向けて、何か力になれたら、との思いもありました。

 そこには山下いづみさんもいらしており、アメリカでファミリーライフエデュケーションの科目を履修したことのあるIさん、翻訳者の先生方、日本家政学会の家政教育部会をはじめとする各部会の先生方にお会いできました。
 本も著者割引で購入させていただきました。

 突然の訪問にもかかわらず、温かく迎えてくださった皆さんに深く深く感謝です。
 
 しかし、行ってみてわかったのですが、私が資格を取得して10年たちますが、やはり、ファミリーライフエデュケーションの全容は、まだまだ日本には理解されていないんですね…。
 私としては、とにかくファミリーライフエデュケーションが正しく理解され広まることを切に願わずにはいられません。
 正直、そのことがすごくすごく不安です。
 優しくしていただいたのに、こんなことを書くのは、申し訳ないという気持ちもあります。
 けれど、それをおして、私は書かなければならないと思うのです。

 というのは、ノーバディズパーフェクトの先例があるから。

 人は、何かを理解する時、今まで自分の中にあるものと結び付けて理解します。

 ファミリーライフエデュケーションは、日本人が今まで蓄えてきたものと通じるものがあまりないので、それを聴いただけ、読んだだけで理解するのはかなり厳しい。
 
 でも、資格認定まで目指すなら、それに関わる全ての人が、必ず、ファミリーライフエデュケーションを正しく、そして深く理解してほしい。

 そしてそれ以前に、家族支援理論について深い理解をしていてほしい。

 なぜなら、ファミリーライフエデュケーションは家庭教育、家政教育の一つではなく、あくまで家族支援の一手法だからです。
 それは、「成人教育」という手法を使って、予防的に家族のウエルビーイングに寄与するもの。
 だから、前提として、家族支援の考え方を十分理解し、家族支援の考え方に基づいて実践するのが絶対条件。

 そして、家族支援学が、それがなければ家族支援ではないと強く主張するのが、ボトムアップ
 これをおさえないと、資格の意義そのものも変わってしまいます。

 どういうことかというと。

 先にファミリーライフエデュケーションありき、ではないんです。

 まず最初に、切羽詰まった地域のニーズがあって、それを何とかしようとする人たちがいて、その中でいろいろな家族支援活動がなされる。
 その様々な活動の一つとして、予防的な教育実践が必要だと判断された場合に、ファミリーライフエデュケーションが用いられます。そして、地域にあったオリジナルプログラムを用意し、それを行うのがファミリーライフエデュケーター。
 そして、そもそも、ファミリーライフエデュケーターは、カメラマンや詩人みたいに、自己申告でなるもの。
 そのなかで、資格認定を受けたら、FLE(ファミリーライフエデュケーター)からCFLE(有資格ファミリーライフエデュケーター)になります。

 でも必ずしも認定が必要なわけじゃない。
 大事なのは実力なんです。
 家族支援で大切なのは実力と絶え間ない謙虚な学び。
 資格じゃない。
 もちろん、あったほうがいいけど、なくても実力があるほうがいい。
 
 けれど、日本型思考では、教師でも保育士でも、まず資格を取らなければ仕事ができませんから、それと同様に、まずは資格を認定、という発想になってしまう。
 だから、ノーバディズパーフェクトプログラムみたいなことが起きてしまう。
 だけどこの日本型システムは、様々に家族支援の考え方と矛盾しているのです。
 詳しくは→★ (★をクリックしてください) 
 家族支援の考え方とは、対等で親しい関係であり、レジリエンシ―であり、パワーウイズの考え方であり、地域密着であり、オリジナルであり、エフェクティブであり…その他もろもろ、知っておかなくてはいけないことがたくさんあります。

 とにかく、まず家族支援の考え方をおさえないで、ファミリーライフエデュケーションを実践してはいけません!
 もしやってしまったら、ぜーったいに! 訳の分からないことが起きてしまう。

 そして資格課程では、机上ではなく頭ではなく、身体全体で家族支援とファミリーライフエデュケーションについて体得するような学びの工夫がほしい。つまり、ファミリーライフエデュケーションの手法を学びを通じて疑似体験するシステムが絶対必要ということです。 そして、内容的にも、日本の既存の資格認定のようなものではなくて、ゲンバ密着の、実践的、実際的、学際的、現代的なことをふんだんに盛り込んで、ちゃんと、なりたい人を耕すものにしてほしいと思います。私がライアソン大学でそうして鍛えてもらったように…。


 僭越ながら、私は協力を惜しみません。
 
 日本家政学会の先生方に超・期待しています!
 どうかどうか、よろしくお願いいたします!

 
 

  
 
 
 
きっと、一生まとわりつかれたいからだ。
2015年08月12日 (水) | 編集 |
 もしも、小学校教師の仕事が奪われてしまったら、私の精神状態はかなりやばいことになるんではないか、と思われる。

 可愛かった末っ子が、脛毛を生やした高校生になった今、我が家に、私にまとわりついてくる声変わり前の小さな子どもはいない。
 かつては、この家の中には、合計三人もの子どもがいて、私たちは、それはそれは幸せな日々を送っていたのに。
 
 残酷な「時」は、すぐにそれを私から奪ってしまった。

 だから今、私にまとわりついてくる小さな子どもは、職場にしかいない。
 私を慕って、私を頼って、そして私に愛されている小さな命。
 毎日毎日、そこに行けばみんなに会える。

 それを手に入れてしまったこの状況を奪われることを想像すると、文字通り、身を切られるような思いがする。

 子どもという存在に依存してしまっているのだろうか。

 いや、ただただ、私は子どもが好きなんだ。
「子ども好き」という周囲の女の子に対して、「偽善ぶってんじゃねー。子どもって言ったっていいやつとヤなやつがいるのに、十把一絡げで子どもって可愛い~とか言うんじゃねー」と悪態をついていた二十代の私に聞かせてやりたい。

 子どもはすべからく可愛いです。
 どの子も愛しいもんです。

 なぜこんなに好きなんだろうと不思議に思って、
 自分では理由がわからなくて、
 他のなにかを好きな人に、なぜそれが好きなのと尋ねてみる。

 だけど、納得できる返事が返ってくることはない。
 みんな頑張って、それらしい理由を探してくるけど、私にはそれが納得できる理由に感じられないのだ。
 それは理由ではなくて、後付けの言い訳のように感じられる。

 結局、みんな、なんだかわからないエネルギーに衝き動かされて、それぞれの好きなものに夢中になっている。
 そうとしか考えられない気がする。

 私のこの、子どもが好き、というかいつまでも子どもにまとわりつかれていたい、という熱情も、
 たぶん、理由なんてないんだろう。

 神様ホントに、この仕事に就かせてくれてありがとうございます。
 うまくできていないかもしれないけど、一所懸命やりますから、どうか奪わないでください。
ファミリーライフエデュケーション講座のご案内
2015年08月08日 (土) | 編集 |
 ~人は幸せになるために生まれてきた。だから、幸せになるために学ぶのだ。~

 1989年に「女子高生コンクリート殺人事件」に衝撃を受け、「こんな悲しいことを繰り返さないために、いったい私には、なにができるのだろう」と悩み始め、家族支援(日本では、子育て支援、家庭教育支援と呼ばれる類)の世界に入り早25年。

 幸せな人間は人を不幸になんてしない。だから悲しい事件が起きないようにするには、みんな幸せになればいい。じゃあ、私はどうやってそれを応援できる?
 幸せな家庭(またはそれに代わるもの)に育てば、人は幸せになれるはず。つまり私は幸せな家族を作るお手伝いをすればいい。でも、どうやって?

 というわけで、私は、子育て支援という言葉さえない頃(1990~)から、家族支援を志していました。
 もちろん、当時は、それが「家族支援」というものだとはわからず、それが、お金を得られる「仕事」になるなんて露ほども思わず、「ボランティア」で、ライフワークとして活動しようと思っていました。

 そして、子どもを3人産み育てながら、とにかく自分がやるべきこと、家族にとって大事なことなどを突き止めたくて、あっちで独学したり、こっちで活動したり。挙句の果てに、英語が苦手なくせに、子育て支援先進国である、カナダの大学の通信教育(いわゆるeラーニング)に飛び込んだのが、活動を始めて約10年後の2001年。3人目の子が1歳半のときでした。

 2001年当時でさえ、まだ系統だった家族支援学なんて日本にはなくて(今もない?)、カナダ・アメリカの家族支援学とそれに基づいた「家族支援職資格」の存在はこの上なく魅力的で。だから駒沢短大(当時)の福川教授が教えてくださった、それが取得できるカナダ・ライアソン大学の国内向け通信教育に、矢も楯もなく飛びつき、英語もパソコンもおぼつかない状態で無理やり(文字通り無理やり!)入学させてもらい、そして3年かけて、さまざまな新しい家族支援のかたちを学び、資格を取得しました。

 幼児幼稚園児小学生を抱えた日本でのドタバタ通信教育記は、カテゴリー「カナダ家族支援職取得日記」をご覧ください。

 その後、時代の趨勢で、いわゆる子育て支援が盛り上がり、日本中のあちこちで、子育て支援/家族支援は「仕事」になりました。 私もその流れの中で、「普通のお母さん」の傍ら、「日本で最初のファミリーライフエデュケーター」として、家族支援の仕事を始め、今まで日本になかった仕事を創りながら、現在に至っています。

 具体的には、母親や父親のための、あるいは祖父母のための公民館講座をさせていただいたり、子育て支援関係の支援者や行政職員、学生、先生等にファミリーライフエデュケーションや家族支援学をご説明したり、行政・団体・企業が家族支援をするときの企画に参加させてもらったり、関係誌に原稿を書かせていただいたり、大きな講演会でお話ししたり…。そんなことをやってきました。なにしろ前例がないので、依頼してくださる方があれば、どんなことでもやりました。北海道にいたときは2時間の講座をするために、4時間車を飛ばして小さな町に行ったこともあったっけ…。

 
 最初は、「マミさんの資格は、日本には規定がないから、結局「主婦」でしょ、そうすると謝礼3000円なんだよね…。大学講師とかさ、NPO法人の理事長とかさ、あればいいんだけど」なんて言われて始まったんだったなー。(←当時家族支援学を系統だてて学んだ実績があるのは私のほうで、大学の先生をしている人たちは大学では違うことを教えつつ、子育て支援の講演会をやっているのにだよ!? いつも制度は現実の変化の後に変わるから…。おかげさまで、この件は、私を応援してくださったある大学教授がかけあってくださり、特例で人並みのギャラになりましたが)。

 さて、そんな私の「講座」の内容なんですが…。

 まず、独学時代に、それこそ3ケタの数ほど子育て支援関係の講座、講演会に参加してきた、当時の尖がっていた私は、既存の子育て支援の講座や講演会は、結局、参加者一人一人に心を尽くしていないじゃないか、と強く憤っていました。



 主催者がお茶を出すのは、講師じゃないでしょ? 赤ちゃんを連れて外出する労を覚悟してまで、この会場に来た母親達にこそ、おもてなしが必要。 

とか、
 
 エライ先生のダラダラ話やどこかで聞いたような子育て指導を、聴きに来たわけじゃない。

 とか。

 上手くやりたいのに、上手くやれない、このもどかしさをなんとかしたいという思いに応えてくれる講座はないのか。

 とか。

 集まった参加者の人達は、どんな人達で、どんな意見を持っているのか。参加者同士の交流の仕掛けがあればいいのに。 

 とか…。

 だから、私はとにかく、それらの聴く側として溜め込んだ不満を解消するような、理想的な講座を作りたいと強く感じ、ファミリーライフエデュケーションのセオリーに従い、参加者が主役としてもてなされ、来た人同士がいっぱいおしゃべりできて、情報も持ち帰れて、「来てよかった」と思えるものを、というコンセプトでやってきたのですが、そのうち「お話を聴くだけが好き」「もっと講師の話が聞きたい」という方も、母親達の中にいることがわかり、今は、それぞれ依頼された方のニーズに合った講座を心がけています。

 

 ファミリーライフエデュケーションは、人生のいろいろな場面において、臨機応変、様々な「学び」のかたちを使って、家族の幸せをもたらす試みです。 今までの日本にあまり馴染のないものなので、そういわれても想像しにくいとは思いますが、けして怪しいものではなく、とても良いものです。1989年の私のあの衝撃から30年近くたつのに、子どもの関わる悲しい事件は絶えません。最小のコストで最大の効果が期待できるファミリーライフエデュケーションの普及は急務だとつくづく思います。

 それを10年も前からわかっていたのに、「普通のお母さん」としての子育て生活も愉しみたいとも考えていた私は、ファミリーライフエデュケーションの普及に滅私で没頭して来たとはとても言えません。しかも数年前から、小さい頃の夢であった小学校教員にもなってしまいました。

 でも私は日本にはほとんどいない「有資格ファミリーライフエデュケーター(CFLE)」という存在…。
 子どもたちが手が離れる年に、つまり自分もかなりいい年になってきたので、残りの時間を使って、今から死ぬまでに、自分が教えてもらったことを、一人でも多くの人に伝えていきたいです。

 というわけで。

 ファミリーライフエデュケーションの講座を提供しています。興味のある方はどうぞお気軽にお声かけください。

ご連絡はこちらまで をクリックすると、連絡先が見れます。


 また、東京都練馬区の特定非営利活動法人手をつなごでも、定期的に家族支援ゼミをしていますので、お時間が合えばこちらもどうぞ(詳細はお問い合わせください)。
 
 


 
自分のウエブサイトをリニュアルしようとしたら、なんだかうまくいかなくて。

 思い切って、ここにお引越しして、最初のページの文章だけ、大幅リニュアルして載せました。あとのページはたくさん書いてあったけどもうやめちゃった。だって、10年以上も前に書いたものだから…。 

 ファミリーライフエデュケーション講座のご案内でした!
億万長者のアイオワ人
2015年08月07日 (金) | 編集 |
 これは、ファミリーライフエデュケーションを紹介する時に、いつも使う優れたたとえ話。ファミリーサポートアメリカの資料に載っていたものを翻訳しました。
 先日、テレビで誰かが「児童虐待はまず予防から」と言っていたそうで、とうとう予防教育=ファミリーライフエデュケーションこそ大切なんだという考えが浸透してきたのかと感慨深く……。(私はなにをするにも早すぎるんだなと最近自覚してきた←自慢)

 そこでこれを載せちゃいます。ファミリーライフエデュケーションは、福祉や臨床心理その他の社会資源よりずっとコストパフォーマンスがよいのよ!

億万長者のアイオワ人
(翻訳;林真未)

 48歳の時、ジョンスミスは億万長者のアイオワ人になった。だが、アイオワ宝くじに当たったわけでも、大金持ちになったわけでもない。ただ、彼のケアと社会の治安のため、アイオワの納税者に百万ドル以上のコストをかけさせているのである。ジョンスミスは成人してから、トータル約20年を刑務所で暮らしている(不法侵入、強盗、傷害が主な理由)し、少年時代は少なくても3年以上は訓練施設や更生プログラムにお世話になっている。彼の刑務所暮らしのコストは450,000ドル、加えて少年期のプログラムコストは175,000ドル、刑務所にいない時の保護観察コストは40,000ドル、裁判費用は150,000ドル以上にのぼる。この他に、精神障害を予防するための医薬コストが175,000ドル。
 ジョンスミスの母親は高卒の資格を持っていなかった。そしてほとんど常に極貧状態で、時々生活保護も受けていた。子どもを産むとき、何の産前ケアも受けられず、彼は早産の低体重児であった。ジョンは異常な活発さと混乱した家庭環境に悩まされ、母親は彼が7歳のときにコントロールしきれなくなって、ジョンは、養父に虐待された。学校ではしつけの面で問題視され、最終的に10年生を修了せずに終わった。刑務所の中のプログラムによる援助で、GED(義務教育終了?)はついにとることができたけれど。
 ジョンは、納税者に課したコストのほかに、近所の住人から300,000ドルの物品を奪った。また、彼は二人の子どもの父親だが、そのうち一人は訓練施設行きの候補者である。ジョンは、次世代の億万長者のアイオワ人を確保する手助けもしていることになるだろう。
 こうしてジョンの例を見ていくと、どうすればジョンや社会にとっていい結果がもたらされたか、指摘することができる。
 もし、ジョンの母親が妊娠中に支援、相談、産前ケアが受けられていたら、彼女は健康な出産ができたかもしれない。
 もし彼女が、自己を高めるトレーニングや家族を発展させる機会を得ていたら、経済的に安定した家庭をつくれたかもしれない。
 もし、ジョンがごく小さい頃に、健康に関する初期的、予防的なケアがなされていたら大人になってからそれほど多くの医療行為は必要なかったかもしれない。
 もし、ジョンの家族がペアレンティングプログラム(親教育)やホームビジット(家庭訪問サービス)を受けていたら、ジョンは虐待されず、怒れる少年にならなかったかもしれない。
そして最後に、もしジョンが励まされ、勇気づけられていたら、高卒の資格をとって、キャリアを発展させていたかもしれない。
 端的にいって、ジョンが小さい頃に、予防的投資(何十万ドルというより何千ドル程度)がなされていたら、彼を、社会の脅威ではなく、社会に寄与する人物にする手助けができただろう。成人してからの期間、もしジョンが彼の世代の平均年収の3/4でも稼いで、アイオワ税を30年以上払ったとしたら、その額は50,000ドルぐらいにはなる。そして一番重要なのは、彼の子どもたちが依存でなく成功への道を歩めただろうということだ。
そうすると、全体として、ジョンは社会に何十万ドル分の寄与をすることになるのだ。同じ額を社会から消耗してしまうのではなく…。(下線;林、アメリカの家庭支援団体の出版物より)


(原文)
WHAT WILL IT COST NOT TO RECOGNIZE AND INCLUDE FAMILY SUPPORT IN THE NATIONAL CHILDREN'S AGENDA?

The following story was published by Family Support America, a national organization in the United States with a similar mandate and mission to the Canadian Association of Family Resource Programs. Although this story describes the fate of an Iowa resident, its message has relevance for Canadian policy-makers.
"The Million-Dollar Iowan"
At age 48, John Smith has become a million-dollar Iowan. He did not win the Iowa lottery or become a millionaire. Rather, he has now cost Iowa taxpayers over $1 million for his care and for society's protection. John Smith has spent 20 years of his adult life in correctional institutions (most for reasons of burglary and robbery but also for violent actions) and over three years of his adolescent life in training schools and residential treatment programs. His prison time has cost the state $450,000 (25 years times $18,000), his juvenile treatment an additional $175,000. Probation services during the time John was not locked up have amounted to $40,000. Court expenses for his prosecution and his appeals have amounted to over $150,000. Special medical bills for preventable neurological disorders have cost another $175,000.

John Smith's mother did not have a high school diploma, and lived most of her life in poverty, sometimes on public assistance. When she gave birth, she had no prenatal care, and her son was born prematurely and at low birthweight. John suffered from hyperactivity and a chaotic home environment. His mother was unable to control him by the time he was seven, and John was abused by his stepfather. John was a disciplinary problem in school, and never completed 10th grade, although he finally got GED in prison, aided by the completion of some training programs in the prison school.

John estimates that, in addition to the costs to taxpayers, he has robbed Midwestern residents in the vicinity of $300,000 in goods. During the times when John has lived in society as an adult, he has fathered two children, one of whom has been in five foster homes and now is a candidate for the state training school. John may well have helped to ensure Iowa has a new generation of million-dollar Iowans.

In John Smith's case, one can find points at which actions could have been taken which could have resulted in a better outcome for both John and society. If John's mother had received support, counselling, and pre-natal care during pregnancy, she might have given birth to a normal birthweight baby, without any neurological disorders.

If she had received enhanced training and family development opportunities, she might have provided a more economically secure home.

If health care had been provided on a primary and preventive basis while John was an infant and toddler, he may not have needed so much medical attention as an adult.

If John's family had been involved in parenting programs and home visiting, he might not have been abused as an infant and angry as a teenager. Finally, If John had been encouraged, he might have completed high school and developed his own career.

[In short, preventive investments (in the thousands, rather than the hundreds of thousands of dollars) in the early years of John's life might have helped him to become a contributing member, rather than a threat, to society. If he had earned even three-quarters of the median income for his age group during this period, he would have paid in Iowa taxes, over a thirty year period, more than $50,000. Most importantly, his children would be on a path to success, not dependency. Overall, John would have contributed hundreds of thousands of dollars to society, rather than draining society of these amounts.]

Source: Making the Case for Family Support, Family Support America, Chicago