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日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
学校の実態 ~映画「みんなの学校」によせて~
2015年03月30日 (月) | 編集 |
 真っ暗な映画館のシートに埋まって、いつまでもこの映画が続いてほしいと思った。

 そこには等身大の今の学校があった。
 涙がこぼれた。

 だって、

 映画としてまとめるために切り落とされた部分もあるだろうけれど、
 今できる限り誠実に映し出された公立小学校の姿がここにあると思ったから。

 それは今までほとんど外の人に見られることはなかった。
 学校公開や授業参観では、学校は、よそいきの服を着ているから。

 それを、みんなに見せてくれてありがとう。
 私も、ずっとずっと見ていたかった。

 あの映画で描かれたことは、何も特別なことなんかじゃない。
 多くの学校で行われているリアルだ。

 たった数年しか経験のない私でさえ、既視感のある風景ばかりだ。
 もちろん、自分がその風景の中にいたことだってある。

『子どもはすばらしい』
『どの子もかわいい』
 浅い意味でそう語る人たちがきっと逃げ出す現実がそこにはあるよ。




 学校の外(保護者)から学校の中(教師)に入って、痛切に感じたのは、外(保護者)で想像するよりずっと、中(教師)では子どもにエネルギーのありったけを注いでいる、ということだ。

 少なくとも私の出会った先生たちは、文字通り子どものために「心を砕いて」いた。


 教室を飛び出す子どもを、
 独り言を繰り返す子どもを、
 暴力を抑えられない子どもを、
 
抱えながら、先生たちはクラスを運営する。
それが当たり前と思っている。

大変な子がいたら、頭と心と体ごとぶつかる。

もちろん、やり方はある。だけど、セオリーはない。
つまり、そのときどきでなにがうまくいくかわからないから、頭と心と体全部使ってなんとかするしかないのだ。

そしてそんな日々のなかに、
あの映画で見られたような、
宝石のような一瞬や、はっとするような子どもの表情や、溶けそうになる大人の優しさが、
ある。


先生方はみんな優しい。
クラスの子どもたちは温かい。
どのクラスにも、
小さな心遣いで教師を助けてくれる子が必ず何人かいて、
ほかにも、
大変な子の善いところを探して報告してくれたり、
散らかした机や文房具を黙って直してくれたり、
いろんなかたちで、
子どもたちのやり方で、
その子を、
結局は包み込んでくれる。

泣きそうになったことは何度もある。
感動したことは数えきれない。

子どもってホントにやさしいよ。大変な子も含めて、みんな、かわいいよ。
大変な子がいるクラスの子は、いないクラスで過ごすより、きっとずっと、優しくなれるよ。



 公立小学校は優れた地域リソースだと、ずっと前から言ってきた。

 お金をたくさん払わなければ、素敵な教育が手に入らないとか、
 お受験をしなければ良い学校に行けないというのは幻想だ。

 公立小学校は、みんなが思っているよりずっと素敵な場所で、
 もし今そうじゃなくても、
 そうなれる可能性を秘めた場所であることは間違いないんだ。

 
 地域に住む子どもなら誰もが選別されずに行ける場所。地域の家族が繋がれる場所。
 たくさんの税金を使って創りあげたこの場所を、
 新しい試みをするまでもなく、今すでにあるこの場所を、
 信頼できる楽しい場所にする。


 
 私の小さくて果てしない野望。



 もうすぐ新学期。
   


 



 
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「生きる力」を育むという理念を持つ国は? 続き
2015年03月30日 (月) | 編集 |
 前回の記事「生きる力」を育むという理念を持つ国は?(←読むにはここをクリック)に、フェースブックのほうで、「続きが読みたいのに!」というコメントを頂き、そーいうのが気になってしまう私は、頑張ってその先を考えました。

 そして、凄いことに気づいてしまった!

 大発見!と思っているのはもしかしたら私だけかもしれないんですが、大台に乗って図々しく生きることを誓ったので、「凄いことを発見」と言い切ってしまいます。

 その発見とは、教育における文部科学省の方針と世間の評判(あるいは教育の実態)の例に限らず、



 さまざまな場面で、少なくない人達が、

”自分に自然とはいってきた情報を材料に、批判的なことを言う”

 という習慣を知らず知らず身に着けている。




 ということです!

 だから、(実態はどうあれ)国が「生きる力を育む」と、みんなが納得しそうな言葉を使った方針を出していても、
 自分の見聞する範囲で、「日本だめじゃん」という人がいるんではないのかしらん。

 この行動様式、ものすごく親近感がある。

 何かを考えるとき、ほんとはもっと多角的にそして深く知らなければ語ることができないはずなのに、手に入る情報だけで判断してしまったり、新しいことや情報に対して、歓迎するよりまずは懐疑的に接してしまったり。

 そうなのだ。他でもない私は、過去にこのような人間でありました。



 なんて言うんだろう。

 何か(誰か)を見る時、その後ろに必ずいくばくかの見えない真実があると考えるようになったとか、
 新しいこと、馴染のないこと、見ず知らずの人との出会いを、嬉しくてたまらないとしか思えなくなるとか、

 そういう境地になったのは最近で。
 これを年の功というならそうかもしれないけど、
 若い人でその境地に至っている人がたくさんいるから、
 やっぱり、私がとにかく鈍くさいってことなんだよな。
 

 
「生きる力」を育むという理念を持つ国は?
2015年03月28日 (土) | 編集 |
 子どもの生きる力を育むという理念のもとに、学校教育をしている国はどこでしょう?




 正解は、日本でございます。

 以前、ファミリーライフエデュケーターとして講座をしたときに、この問題を出したら、講座参加者のなかで正解者はゼロでした。
 「どこだと思いますか」という問いに、北欧やヨーロッパの国々をあげている人が多かったかな。


 でも日本だったんですねえ。


『 現在の学習指導要領は、子どもたちの現状をふまえ、「生きる力」を育むという理念のもと、知識や技能の習得とともに思考力・判断力・表現力などの育成を重視しています。
 これからの教育は、「ゆとり」でも、「詰め込み」でもありません。
 次代を担う子どもたちが、これからの社会において必要となる「生きる力」を身に付けてほしい。そのような思いで、現在の学習指導要領を定めました。
 「生きる力」を育むためには、学校だけではなく、ご家庭や地域など社会全体で子どもたちの教育に取り組むことが大切です。
 子どもたちの未来のために。』(文部科学省ウエブサイト)

ですって。



 だけどなぜか世間では、

「日本の教育は知識偏重」
「学校は勉強ばかりで大事なことを教えない」
「学校は閉鎖的。わかってくれない」

 という声がいまだ渦巻いています…。






 この先を書こうとして、コトの壮大さに気づいて、萎えた。