2015年02月15日 (日) | 編集 |
「こうすればいい」とか「こうだろう」とか、本に書いて出版するって、恐れ多いことだなあと思う。
「これは私の主観的意見だよ!」と宣言して書いてあるなら気にならないけど、
「子育ては、教育は、これが正解!」っていう雰囲気で書いてある本って、どうしてそんなに自信持って言えるんだろうと思ってしまう。
私には、前にも書いたけれど、A・S・ニイルのこの言葉だけが真実。
「教育においては、たった一つの解決策があるばかりだ。それは、私たち大人には、教育がなんであるかがわかっていないと正直に認めること、つまり私たちには、子どもがどのような方向に進むのかわかっていないのだから、なにが子どもにとって最善なのかわかっていない、と告白することである」(堀真一郎訳)
もう九十年も前に遠い異国の地で、違う言葉で書かれたものだけれど、今でも、これ以上に共感できる言葉を私は知らない。
だろ? そうだろ?
だからいつでも、自分が間違っているかもしれないという恐れを抱きながら、それでも最善だと思える方法を模索しつつ、子どもに相対するしかないと思うんだよ。
それって、そんなに簡単に言葉でまとめられるもんじゃないと思うんだよなあ。
ちなみに、ニイルは、その著書(これは私の意見だよ!という著書ね)のなかで、あのシュタイナー大先生のことも批判している。
シュタイナー先生は、はっきりと指し示しているからね…。
家族支援のテキストでも、専門家の子育てのやり方の意見は、十年単位のサイクルで見ると、まるで振り子のように大きく変わると指摘されていた。
日本の子どもが起こした事件について、事件直後に論じた専門家の文章を、あとから検証した本があって、確かに事実が判明した後に見るととんちんかんなことを言っている人が結構いて、それも結構笑える。
つまり、専門家だって正しいとは限らないのだ。
なんで、みんな自信満々に書いちゃったんだろう…。
繰り返すけれど、一人ひとり顔が違うように、一人一人の事情は違うに決まっている。そして、その事情は近づいて細やかに見てみないとわからない。それでも見誤ることだってある。
それを一般化して論じようとするから無理が生じるし、ものごとを遠目から見ただけで確定しようとするから間違える。
「わからない」
こんなに誠実な答えはないよね。
本にはならないけどね…。
「これは私の主観的意見だよ!」と宣言して書いてあるなら気にならないけど、
「子育ては、教育は、これが正解!」っていう雰囲気で書いてある本って、どうしてそんなに自信持って言えるんだろうと思ってしまう。
私には、前にも書いたけれど、A・S・ニイルのこの言葉だけが真実。
「教育においては、たった一つの解決策があるばかりだ。それは、私たち大人には、教育がなんであるかがわかっていないと正直に認めること、つまり私たちには、子どもがどのような方向に進むのかわかっていないのだから、なにが子どもにとって最善なのかわかっていない、と告白することである」(堀真一郎訳)
もう九十年も前に遠い異国の地で、違う言葉で書かれたものだけれど、今でも、これ以上に共感できる言葉を私は知らない。
だろ? そうだろ?
だからいつでも、自分が間違っているかもしれないという恐れを抱きながら、それでも最善だと思える方法を模索しつつ、子どもに相対するしかないと思うんだよ。
それって、そんなに簡単に言葉でまとめられるもんじゃないと思うんだよなあ。
ちなみに、ニイルは、その著書(これは私の意見だよ!という著書ね)のなかで、あのシュタイナー大先生のことも批判している。
シュタイナー先生は、はっきりと指し示しているからね…。
家族支援のテキストでも、専門家の子育てのやり方の意見は、十年単位のサイクルで見ると、まるで振り子のように大きく変わると指摘されていた。
日本の子どもが起こした事件について、事件直後に論じた専門家の文章を、あとから検証した本があって、確かに事実が判明した後に見るととんちんかんなことを言っている人が結構いて、それも結構笑える。
つまり、専門家だって正しいとは限らないのだ。
なんで、みんな自信満々に書いちゃったんだろう…。
繰り返すけれど、一人ひとり顔が違うように、一人一人の事情は違うに決まっている。そして、その事情は近づいて細やかに見てみないとわからない。それでも見誤ることだってある。
それを一般化して論じようとするから無理が生じるし、ものごとを遠目から見ただけで確定しようとするから間違える。
「わからない」
こんなに誠実な答えはないよね。
本にはならないけどね…。
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2015年02月12日 (木) | 編集 |
いつも乗り込むバスの座席に、どっかと座っている高校生がいる。
大きなスポーツバックを横において、二人分のシートを占有している。
大人たちは何も言わない。
その子のバックに書いてある高校名を見れば、どこで降りるかがわかる。
私の乗ったバス停から数個先の、高校前のバス停で、彼は降りるはずだ。
それまでの我慢。
たぶん、そう考えて大人たちは何も言わない。
能面の表情も崩さない。
私も右に同じこと。
でも、心の中では考えている。
バッグに書かれているのは偏差値70以上の子ども達が行く高校名。
当然、彼も優秀な成績で進学したはずだ。
そんな彼にとって、バスで見る大人たちなど、若く優秀な自分に比べてランクの劣る人間達と思っているのだろうか。
そんな人間達よりも自分に付属するバックの方が、座席を占めるのにふさわしいと思っているのだろうか。
それとも。
単純に、勉強は教わっても社会のマナーは学んでこなかったか。
そうだ、
偏差値70を誇る、あのいけすかない高校に電話してやろうか。
「お宅の生徒さんは、バスでのマナーがなっていませんよ」と。
もちろん妄想だけだ。実際には絶対電話なんかしない。
同じことを考えているのは、たぶん私だけではない。
一人の男が乗り込んでくる。
その人はずっとしゃべっている。
「ちょっと、ちょっと、急いでください急いでください」
「満員です。もう乗れません。満員だからね」
「そこに座ってはダメです」
「そんなこといわないのそんなこといわないの」
意味不明のおしゃべりが途切れることはない。
だけど乗客も、運転手さんも誰も彼には答えない。
能面の表情も崩さない。
明らかにおかしな男なのだが、だれもそのことには触れない。
その男は毎日このバスを使っていて、みんなは、彼のことを知っているから。
無視をしているという冷たさは感じない。
彼を包み込んでいるような温かささえある。
彼の言動に触れないことが、一番お互いにとってベストであることを、その場にいる大人達は、暗黙のうちに共有しているのだ。
ターミナル駅にバスが着く。
乗客がぞろぞろと降りる。
それに続いて降りて行った私が、耳慣れない音に気づく。
音のする方をなにげなく見遣れば、
よくバスで見かける、また違う男が道端で立ちションをしていて、ギョッとする。
そういえば彼も、どこか様子が違っていた。
おしゃべりな彼と違って、大人しく座ってはいるけれど、
何を見ているかわからない視線は絶えず定まらないままだし、首はいつも傾げたままだ。
変わった人が二人も同じバスに乗っているんだな…。
また、心のなかだけで思う。
バスを降りて駅へと進む傍らに交番がある。
若い警官が交番の前にすっくと立ち、
道行く人達に挨拶を続けている。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
大きな声で高らかに。
だけど誰ひとり答えない。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
私は小さな声で答える。
「おはようございます」
恥ずかしいから大きな声は出せない。
だから、若い警官には届かない。
駅の階段では、70代くらいの男性が叫んでいる。
ちんどん屋のような音楽をかけながら、
咎めるように叫んでいる。
「駅周辺はポイ捨て禁止区域です! 歩きタバコはやめましょう! 見つかったら三万円以下の罰金になります!」
なぜちんどん屋のような音楽なのか、
なぜ咎めるように叫ぶのか、
誰も聞かない。
さあ、今日も仕事が始まる。
大きなスポーツバックを横において、二人分のシートを占有している。
大人たちは何も言わない。
その子のバックに書いてある高校名を見れば、どこで降りるかがわかる。
私の乗ったバス停から数個先の、高校前のバス停で、彼は降りるはずだ。
それまでの我慢。
たぶん、そう考えて大人たちは何も言わない。
能面の表情も崩さない。
私も右に同じこと。
でも、心の中では考えている。
バッグに書かれているのは偏差値70以上の子ども達が行く高校名。
当然、彼も優秀な成績で進学したはずだ。
そんな彼にとって、バスで見る大人たちなど、若く優秀な自分に比べてランクの劣る人間達と思っているのだろうか。
そんな人間達よりも自分に付属するバックの方が、座席を占めるのにふさわしいと思っているのだろうか。
それとも。
単純に、勉強は教わっても社会のマナーは学んでこなかったか。
そうだ、
偏差値70を誇る、あのいけすかない高校に電話してやろうか。
「お宅の生徒さんは、バスでのマナーがなっていませんよ」と。
もちろん妄想だけだ。実際には絶対電話なんかしない。
同じことを考えているのは、たぶん私だけではない。
一人の男が乗り込んでくる。
その人はずっとしゃべっている。
「ちょっと、ちょっと、急いでください急いでください」
「満員です。もう乗れません。満員だからね」
「そこに座ってはダメです」
「そんなこといわないのそんなこといわないの」
意味不明のおしゃべりが途切れることはない。
だけど乗客も、運転手さんも誰も彼には答えない。
能面の表情も崩さない。
明らかにおかしな男なのだが、だれもそのことには触れない。
その男は毎日このバスを使っていて、みんなは、彼のことを知っているから。
無視をしているという冷たさは感じない。
彼を包み込んでいるような温かささえある。
彼の言動に触れないことが、一番お互いにとってベストであることを、その場にいる大人達は、暗黙のうちに共有しているのだ。
ターミナル駅にバスが着く。
乗客がぞろぞろと降りる。
それに続いて降りて行った私が、耳慣れない音に気づく。
音のする方をなにげなく見遣れば、
よくバスで見かける、また違う男が道端で立ちションをしていて、ギョッとする。
そういえば彼も、どこか様子が違っていた。
おしゃべりな彼と違って、大人しく座ってはいるけれど、
何を見ているかわからない視線は絶えず定まらないままだし、首はいつも傾げたままだ。
変わった人が二人も同じバスに乗っているんだな…。
また、心のなかだけで思う。
バスを降りて駅へと進む傍らに交番がある。
若い警官が交番の前にすっくと立ち、
道行く人達に挨拶を続けている。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
大きな声で高らかに。
だけど誰ひとり答えない。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
私は小さな声で答える。
「おはようございます」
恥ずかしいから大きな声は出せない。
だから、若い警官には届かない。
駅の階段では、70代くらいの男性が叫んでいる。
ちんどん屋のような音楽をかけながら、
咎めるように叫んでいる。
「駅周辺はポイ捨て禁止区域です! 歩きタバコはやめましょう! 見つかったら三万円以下の罰金になります!」
なぜちんどん屋のような音楽なのか、
なぜ咎めるように叫ぶのか、
誰も聞かない。
さあ、今日も仕事が始まる。
2015年02月11日 (水) | 編集 |
私が先生になった、と聞きつけた新旧の友人たちは、会うと決まって、少し声をひそめてこう訊ねてくる
「ねえ、モンスターペアレントってホントにいるの?」
あんまり何度も聞かれるので、最近では、私は、いくつかの答えを用意している。
「いないよ。いい人ばっかりだよ」
「いるかもしれないけれど、イメージするほど多くはないと思うよ。少なくとも私は会ったことはない」
「一昔前は学校批判を奨励していたメディアの影響で、張りきって学校に文句言っていたら、逆に手のひらを返したメディアにモンスターペアレントって名づけられてしまっただけじゃない?」
だけどこれは私個人の意見で、同じ先生でも「モンスターペアレントはいる」と答える人もいる。
それはなぜか。
…私がモンスターペアレントはいないと考えるのは、たぶん、いや間違いなく、私が先生であると同時にファミリーライフエデュケーターでもあるからだ。
ファミリーライフエデュケーションは家族支援の一分野。だから家族支援理論イコールファミリーライフエデュケーションの考え方。
そして、家族支援は人にレッテルを張ることをしない。
すべての親には子どもを育てる力があるという信頼から始まり、その信頼に基づいて、あらゆる角度からその力を阻んでいるものを取り除く作業をするのが、家族支援。
そしてその支援はオーダーメードで一人ひとりちがう。
だから当然、モンスターペアレントとレッテルを張って嘆くという展開は、家族支援にはあり得ない。
家族支援的には、モンスターペアレント的行動をする人がいたら、その言わんとするところをまず理解し、その人の背後の事情を把握する。
そして一緒に考えるだろう。
学校は少し違う。
学校は、先生は、すでに「親はこうあるべき」という鋳型を持っている。
そして、その型にはまらない親子がいたら、それは、一方的に親側の落ち度になる。
仕方がない。
学校は親支援の場所ではない。
教え導く場所だ。
しかも、学校は集団で行動する場所だから、足並みをそろえないものがあれば、足並みをそろえている多数に迷惑がかかる。
また、先生達は、「教え導く」ことを生業にしているうちに、批判にすこぶる弱いという体質も身につけてしまったのではないか。
だから、批判をする=モンスターと直結してしまうことも、ないわけではないような気がする。
つまり家族支援的な視点を持たず、しかも批判に敏感な先生が、「モンスターペアレントはいる」と考えることは十分あり得ることなのだ。
こう考えていくと、モンスターペアレントが絶対的に存在するという考えはナンセンスに思えてくる。
それは関係性による幻想なのではないだろうか。
家族支援と学校という、違うとらえ方を挙げるまでもなく、もしかしたら相性というレベルで考えたとしても、同じ親がモンスターペアレントと認識されるかどうかは、その親と先生との関係性で決まる。
つまりモンスターペアレントは、考え方や関係性によって簡単に左右される、極めて定義性の薄い不安定な概念というわけ。
そもそも、学校批判ムーブメントもモンスターペアレントも、メディアの煽りの影響で踊ってしまった結果ではないのかしら。
落ち着いて考えたら、学校と親が敵対化すること自体、どちらの得にもならないし、ましてや、その双方が大事にしている子ども達にいい影響があるわけがないのに。
学校と親がそのことを強く意識していれば、くだらない争いに身をやつす必要もない。メディアに踊らされることもない。
学校は、地域のほぼすべての子育て家族がかかわる場所だから、本当は、学校が、家族と家族支援の繋ぎ手になれば一番いい。“モンスターペアレント”化した親がいたとすれば、それは支援が必要という目印かもしれないのだ(その可能性は非常に高い)。今の日本のシステムの中では、学校は、支援が必要な家族を見いだすのに素晴らしく有効なリソースである。だから学校に家族支援の視点を…! そう思って学校に潜り込んだ、という面も私にはある。
…なーんて長い解説は、気軽に聞いた友人たちは決して欲していないだろうから、私は言わない。いつも冒頭のようないくつかの答えですましている。せめて本当の想いをここに記しておこう。
だけどなー、もしかしたらどっちにしろ私の答えは、相手の望むものではなかったかもしれない。
「モンスターペアレント、大変だよ! 例えばこんな親がいてさ、ヒソヒソヒソ…」
っていうのが、期待されていた答えなのかもしれないね。
今 気がついた。ごめんよ~みんな、つまらない答えで…。
「ねえ、モンスターペアレントってホントにいるの?」
あんまり何度も聞かれるので、最近では、私は、いくつかの答えを用意している。
「いないよ。いい人ばっかりだよ」
「いるかもしれないけれど、イメージするほど多くはないと思うよ。少なくとも私は会ったことはない」
「一昔前は学校批判を奨励していたメディアの影響で、張りきって学校に文句言っていたら、逆に手のひらを返したメディアにモンスターペアレントって名づけられてしまっただけじゃない?」
だけどこれは私個人の意見で、同じ先生でも「モンスターペアレントはいる」と答える人もいる。
それはなぜか。
…私がモンスターペアレントはいないと考えるのは、たぶん、いや間違いなく、私が先生であると同時にファミリーライフエデュケーターでもあるからだ。
ファミリーライフエデュケーションは家族支援の一分野。だから家族支援理論イコールファミリーライフエデュケーションの考え方。
そして、家族支援は人にレッテルを張ることをしない。
すべての親には子どもを育てる力があるという信頼から始まり、その信頼に基づいて、あらゆる角度からその力を阻んでいるものを取り除く作業をするのが、家族支援。
そしてその支援はオーダーメードで一人ひとりちがう。
だから当然、モンスターペアレントとレッテルを張って嘆くという展開は、家族支援にはあり得ない。
家族支援的には、モンスターペアレント的行動をする人がいたら、その言わんとするところをまず理解し、その人の背後の事情を把握する。
そして一緒に考えるだろう。
学校は少し違う。
学校は、先生は、すでに「親はこうあるべき」という鋳型を持っている。
そして、その型にはまらない親子がいたら、それは、一方的に親側の落ち度になる。
仕方がない。
学校は親支援の場所ではない。
教え導く場所だ。
しかも、学校は集団で行動する場所だから、足並みをそろえないものがあれば、足並みをそろえている多数に迷惑がかかる。
また、先生達は、「教え導く」ことを生業にしているうちに、批判にすこぶる弱いという体質も身につけてしまったのではないか。
だから、批判をする=モンスターと直結してしまうことも、ないわけではないような気がする。
つまり家族支援的な視点を持たず、しかも批判に敏感な先生が、「モンスターペアレントはいる」と考えることは十分あり得ることなのだ。
こう考えていくと、モンスターペアレントが絶対的に存在するという考えはナンセンスに思えてくる。
それは関係性による幻想なのではないだろうか。
家族支援と学校という、違うとらえ方を挙げるまでもなく、もしかしたら相性というレベルで考えたとしても、同じ親がモンスターペアレントと認識されるかどうかは、その親と先生との関係性で決まる。
つまりモンスターペアレントは、考え方や関係性によって簡単に左右される、極めて定義性の薄い不安定な概念というわけ。
そもそも、学校批判ムーブメントもモンスターペアレントも、メディアの煽りの影響で踊ってしまった結果ではないのかしら。
落ち着いて考えたら、学校と親が敵対化すること自体、どちらの得にもならないし、ましてや、その双方が大事にしている子ども達にいい影響があるわけがないのに。
学校と親がそのことを強く意識していれば、くだらない争いに身をやつす必要もない。メディアに踊らされることもない。
学校は、地域のほぼすべての子育て家族がかかわる場所だから、本当は、学校が、家族と家族支援の繋ぎ手になれば一番いい。“モンスターペアレント”化した親がいたとすれば、それは支援が必要という目印かもしれないのだ(その可能性は非常に高い)。今の日本のシステムの中では、学校は、支援が必要な家族を見いだすのに素晴らしく有効なリソースである。だから学校に家族支援の視点を…! そう思って学校に潜り込んだ、という面も私にはある。
…なーんて長い解説は、気軽に聞いた友人たちは決して欲していないだろうから、私は言わない。いつも冒頭のようないくつかの答えですましている。せめて本当の想いをここに記しておこう。
だけどなー、もしかしたらどっちにしろ私の答えは、相手の望むものではなかったかもしれない。
「モンスターペアレント、大変だよ! 例えばこんな親がいてさ、ヒソヒソヒソ…」
っていうのが、期待されていた答えなのかもしれないね。
今 気がついた。ごめんよ~みんな、つまらない答えで…。
2015年02月08日 (日) | 編集 |
雨降りで荷物も重いので、タクシーに乗った。
「××のほうまで行ってください」
「××ですか。どっちから行きましょうか。どのへんですか? ああ、あそこなら、こっからだと…」
詳しい道をすらすらという運転手さん。
「詳しいですね」
「ええ、実はあのへんに住んでいるんですよ」
「そうだったんですか」
「ええ、最近引っ越してきたんですけどね」
あらあら、そんな。いきなり見ず知らずの私に自宅のことなど言っていいのかしら、と思いながら聞く。
「いやあ、もともと××の出身でしてね。18までは××で育ったんですよ。で、最近戻ってきてみたら、ずいぶん変わっちゃったけど、懐かしいですよねえ」
「わかりますわかります。私もこの辺の出身なので」
「駅なんかすごく立派になっちゃって」
「そうそう、北口なんか、寂しかったのにねえ」
「周りも畑ばっかりで」
「田舎でしたよねえ」
乗客と運転手の、あたりさわりのない会話に戻る。
戻って、そのまま終わるはずだったのだけれど…。
ここから、運転手さんは、抑えきれない、という風情で、こぼれるように言葉をつなぎはじめた。
「いやあ実はね、お袋が病気しちゃって親父が戻ってきてくれっていうもんだから、家族で実家に戻ったんですよ」
「そうだったんですか」
「怖い親父だったんだけどね、お袋があんなになっちゃって、80の声を聞いて弱気になったのか、僕に頭下げてきたんですよ。今までは、『俺達は誰の世話にもならん』ってつっぱってたからね、それじゃあ、ってんで、僕も埼玉県の△△に家を買って、そこに20年住んでたんだけど、それを引き払って」
「へえ…」
「最初はね、私と女房だけが引っ越すつもりだったんですよ。もう娘たち大きいんで、二人いるんですけどね、二人とも20歳超えていて社会人ですから、その子達はもとの家において、二人で親の面倒を見るつもりでいたんですけれどね、娘たちも一緒についてくるっていうもんだから、家族4人で引っ越すことになりまして」
「それはよかったですね」
「そう!でもねえ、…最初はね、私の女房がまず嫌がって」
「そりゃそうでしょう。今から旦那さんのご両親と同居するのは大変だと思いますよ」
「だからね、私女房に言ったんです。もしついてこないなら離婚するって。あの親父が、大の男が頭下げて頼んできてるのに、断れないじゃないですか。だからなにがなんでも戻ろうと思っていたんでね…。もちろん本当に離婚するつもりなんてさらさらないですよ。でもそのくらい言わなきゃ、わかってもらえないと思って、啖呵きったんです」
「わー」
「それで、しぶしぶ承知してついてきてくれたんですけどね。ありがたかったですよ。女房についてきてもらわなかったら、実際のところ、僕一人じゃどうにもなんないですからね…」
「そうですよね」
「それだけでもありがたいのに、子ども達がね、お父さんたちが引っ越すなら私達もって言ってくれてね」
「まあ!」
この辺から、私は彼に気持ちよく話してもらおうと、意図的に、前のめりで話を聞く。
「もう、嬉しかったですよ。自分たちも面倒見るからって言ってくれたんでね。親父なんか、孫までついてくるってわかったら泣いて喜んでましたからね。『まさか、この年になって、孫と一緒に住めるなんて思わなかった』って…。そういうわけで、それじゃあ、ってんで△△の家を引き払って、でも、××の実家は27坪しかないんでね、6人で住むには手狭なんで、そこも売って、近所に新しく土地買って家を建てて、そこに住むことにして」
「それはそれは」
「けっこう広いところ買えましたからよかったですよ」
「何坪くらい?」
「40坪ありますからね、僕の車と女房のと娘のと、車も3台停められますし」
「広いですねえ」
「やあ、おかげさまで。実家も△△の家も高く売れたんでね、実家は狭いけどやっぱり都内だし、△△の家は60坪あったんで、その二つを売ったお金で新しく土地を買って家を建てても、おつりがくるくらいだったんですよ」
「よかったですねえ」
「ほんとに。家を建てる時に女房の友達から、『絶対に水回りは別にしたほうがいい』ってアドバイスされて、まあ、土地も十分あるし、そのアドバイスに従って風呂と台所を別にして、完全二世帯住宅にしたんですよ」
「それは、絶対そのほうがよかったですよ」
「そうでしょう。成功でしたね、それはね。もうね、実はうちのお袋がきつくて、女房の子とずっと悪く言っていたんですよ。あの嫁はどうしようもないとかなんとか。で、悪口言われるから女房も面白くない。だからふたりの会話はずっと僕を通してたんですよ。お袋は僕に『なになにって言っといて』って言うし、女房も僕に「これこれなんですって言っといて」って言うし。それをずっとやってたんですけどね、引っ越してから、打って変って仲良くなっちゃって」
「ええ、そうなんですか?」
「そうなんですよ。お袋は『いい嫁だいい嫁だ』って近所に触れ回ってるらしいんです。それで、女房も『お義母さんたら、褒めすぎなんだもの。近所歩くの恥ずかしくってしょうがない』とかなんとかいって、まんざらでもない感じで。まさかそんな日が来るとは夢にも思ってなかったですよ」
私も驚く。長年の不仲があっという間に解消するなんて、そんなことがあるんだ。
「親父もね、孫と一緒に暮らすのが楽しくて仕方ないみたいで、散歩に行ったら娘たちにお土産なんか買ってきちゃったりして。ホントに怖くて近寄りがたい親父だったのに、夕食の時なんかも、つまんない親父ギャクを言っては一人で笑ってるんですよ。だから、こっちも楽しくなっちゃって。そんなわけで、今、我が家は笑いが絶えませんでねー」
「よかったですねえ」
笑顔の食卓が、目に浮かんだ。最高の人生の終末を手に入れたね、おじいちゃま。
「それがね、驚いたことに、その暮らしを始めてしばらくしたら、お袋の病気まで治っちゃったんですよ!癌だったんですけどね、手術はしたんだけど、まだとりきれない癌が残っていたはずなのに、検診に言ったら消えてたんですよ!お医者さんにも「『なにか(民間療法的なことを)したんですか?』って不思議がられたんだけど、なにもしてないの。『病は気から』って言葉があるじゃないですか。あれ、ホントだったんですねえ。家族で笑って暮らしていたから、消えたんじゃないのかなあ。そうとしか思えないんですよ。昔は、そんなことあるわけないって思ってたけど、『病は気から』ってホントですよ。心と身体はいっしょなんですねえ」
すごい。怒涛の幸福攻撃。おばあちゃまの病気まで治ってしまったなんて。もう、不幸の種がなくなってしまったじゃない。
「だからね、女房には感謝してますよ。あそこでついてきてくれたから、今があるんですから」
「そうですね」
「でもね、僕ら二人じゃダメだったと思うんです。娘たちがついてきてくれたから、それも良かったんですよ」
「そうですね…でも、そもそも、運転手さんがお父さまのお願いを聞いて、決断しなかったら、今の状態にはならなかったんじゃないですか」
「まあ、そうですかね…」
「もしかしたら、お母様のご病気自体、神様のしわざかも…」
「そうなんです! それは僕も思ってるんですよ。僕らをこうするために、お袋は病気になったんじゃなかったのかなあって」
「不思議ですね」
「不思議です。」
話が終わるにつれて、私の家も近づいてくる。
何気ない日常にひととき。タクシーに揺られているだけの時間…のはずが、ほっこりとした、幸せなエピソードで、胸がいっぱいになった。
「いいお話を聞かせてくださって、ありがとうございました。幸せな気持ちになりました」
「いやいやもう、自分の話をとうとうとしゃべっちゃってすみませんでしたね。でもね、ホントに今幸せなんです。もう、家に帰るのが楽しみで仕方ない」
運転手さんは最後に笑顔で言った。
「今、僕、最高に幸せなんです」
「××のほうまで行ってください」
「××ですか。どっちから行きましょうか。どのへんですか? ああ、あそこなら、こっからだと…」
詳しい道をすらすらという運転手さん。
「詳しいですね」
「ええ、実はあのへんに住んでいるんですよ」
「そうだったんですか」
「ええ、最近引っ越してきたんですけどね」
あらあら、そんな。いきなり見ず知らずの私に自宅のことなど言っていいのかしら、と思いながら聞く。
「いやあ、もともと××の出身でしてね。18までは××で育ったんですよ。で、最近戻ってきてみたら、ずいぶん変わっちゃったけど、懐かしいですよねえ」
「わかりますわかります。私もこの辺の出身なので」
「駅なんかすごく立派になっちゃって」
「そうそう、北口なんか、寂しかったのにねえ」
「周りも畑ばっかりで」
「田舎でしたよねえ」
乗客と運転手の、あたりさわりのない会話に戻る。
戻って、そのまま終わるはずだったのだけれど…。
ここから、運転手さんは、抑えきれない、という風情で、こぼれるように言葉をつなぎはじめた。
「いやあ実はね、お袋が病気しちゃって親父が戻ってきてくれっていうもんだから、家族で実家に戻ったんですよ」
「そうだったんですか」
「怖い親父だったんだけどね、お袋があんなになっちゃって、80の声を聞いて弱気になったのか、僕に頭下げてきたんですよ。今までは、『俺達は誰の世話にもならん』ってつっぱってたからね、それじゃあ、ってんで、僕も埼玉県の△△に家を買って、そこに20年住んでたんだけど、それを引き払って」
「へえ…」
「最初はね、私と女房だけが引っ越すつもりだったんですよ。もう娘たち大きいんで、二人いるんですけどね、二人とも20歳超えていて社会人ですから、その子達はもとの家において、二人で親の面倒を見るつもりでいたんですけれどね、娘たちも一緒についてくるっていうもんだから、家族4人で引っ越すことになりまして」
「それはよかったですね」
「そう!でもねえ、…最初はね、私の女房がまず嫌がって」
「そりゃそうでしょう。今から旦那さんのご両親と同居するのは大変だと思いますよ」
「だからね、私女房に言ったんです。もしついてこないなら離婚するって。あの親父が、大の男が頭下げて頼んできてるのに、断れないじゃないですか。だからなにがなんでも戻ろうと思っていたんでね…。もちろん本当に離婚するつもりなんてさらさらないですよ。でもそのくらい言わなきゃ、わかってもらえないと思って、啖呵きったんです」
「わー」
「それで、しぶしぶ承知してついてきてくれたんですけどね。ありがたかったですよ。女房についてきてもらわなかったら、実際のところ、僕一人じゃどうにもなんないですからね…」
「そうですよね」
「それだけでもありがたいのに、子ども達がね、お父さんたちが引っ越すなら私達もって言ってくれてね」
「まあ!」
この辺から、私は彼に気持ちよく話してもらおうと、意図的に、前のめりで話を聞く。
「もう、嬉しかったですよ。自分たちも面倒見るからって言ってくれたんでね。親父なんか、孫までついてくるってわかったら泣いて喜んでましたからね。『まさか、この年になって、孫と一緒に住めるなんて思わなかった』って…。そういうわけで、それじゃあ、ってんで△△の家を引き払って、でも、××の実家は27坪しかないんでね、6人で住むには手狭なんで、そこも売って、近所に新しく土地買って家を建てて、そこに住むことにして」
「それはそれは」
「けっこう広いところ買えましたからよかったですよ」
「何坪くらい?」
「40坪ありますからね、僕の車と女房のと娘のと、車も3台停められますし」
「広いですねえ」
「やあ、おかげさまで。実家も△△の家も高く売れたんでね、実家は狭いけどやっぱり都内だし、△△の家は60坪あったんで、その二つを売ったお金で新しく土地を買って家を建てても、おつりがくるくらいだったんですよ」
「よかったですねえ」
「ほんとに。家を建てる時に女房の友達から、『絶対に水回りは別にしたほうがいい』ってアドバイスされて、まあ、土地も十分あるし、そのアドバイスに従って風呂と台所を別にして、完全二世帯住宅にしたんですよ」
「それは、絶対そのほうがよかったですよ」
「そうでしょう。成功でしたね、それはね。もうね、実はうちのお袋がきつくて、女房の子とずっと悪く言っていたんですよ。あの嫁はどうしようもないとかなんとか。で、悪口言われるから女房も面白くない。だからふたりの会話はずっと僕を通してたんですよ。お袋は僕に『なになにって言っといて』って言うし、女房も僕に「これこれなんですって言っといて」って言うし。それをずっとやってたんですけどね、引っ越してから、打って変って仲良くなっちゃって」
「ええ、そうなんですか?」
「そうなんですよ。お袋は『いい嫁だいい嫁だ』って近所に触れ回ってるらしいんです。それで、女房も『お義母さんたら、褒めすぎなんだもの。近所歩くの恥ずかしくってしょうがない』とかなんとかいって、まんざらでもない感じで。まさかそんな日が来るとは夢にも思ってなかったですよ」
私も驚く。長年の不仲があっという間に解消するなんて、そんなことがあるんだ。
「親父もね、孫と一緒に暮らすのが楽しくて仕方ないみたいで、散歩に行ったら娘たちにお土産なんか買ってきちゃったりして。ホントに怖くて近寄りがたい親父だったのに、夕食の時なんかも、つまんない親父ギャクを言っては一人で笑ってるんですよ。だから、こっちも楽しくなっちゃって。そんなわけで、今、我が家は笑いが絶えませんでねー」
「よかったですねえ」
笑顔の食卓が、目に浮かんだ。最高の人生の終末を手に入れたね、おじいちゃま。
「それがね、驚いたことに、その暮らしを始めてしばらくしたら、お袋の病気まで治っちゃったんですよ!癌だったんですけどね、手術はしたんだけど、まだとりきれない癌が残っていたはずなのに、検診に言ったら消えてたんですよ!お医者さんにも「『なにか(民間療法的なことを)したんですか?』って不思議がられたんだけど、なにもしてないの。『病は気から』って言葉があるじゃないですか。あれ、ホントだったんですねえ。家族で笑って暮らしていたから、消えたんじゃないのかなあ。そうとしか思えないんですよ。昔は、そんなことあるわけないって思ってたけど、『病は気から』ってホントですよ。心と身体はいっしょなんですねえ」
すごい。怒涛の幸福攻撃。おばあちゃまの病気まで治ってしまったなんて。もう、不幸の種がなくなってしまったじゃない。
「だからね、女房には感謝してますよ。あそこでついてきてくれたから、今があるんですから」
「そうですね」
「でもね、僕ら二人じゃダメだったと思うんです。娘たちがついてきてくれたから、それも良かったんですよ」
「そうですね…でも、そもそも、運転手さんがお父さまのお願いを聞いて、決断しなかったら、今の状態にはならなかったんじゃないですか」
「まあ、そうですかね…」
「もしかしたら、お母様のご病気自体、神様のしわざかも…」
「そうなんです! それは僕も思ってるんですよ。僕らをこうするために、お袋は病気になったんじゃなかったのかなあって」
「不思議ですね」
「不思議です。」
話が終わるにつれて、私の家も近づいてくる。
何気ない日常にひととき。タクシーに揺られているだけの時間…のはずが、ほっこりとした、幸せなエピソードで、胸がいっぱいになった。
「いいお話を聞かせてくださって、ありがとうございました。幸せな気持ちになりました」
「いやいやもう、自分の話をとうとうとしゃべっちゃってすみませんでしたね。でもね、ホントに今幸せなんです。もう、家に帰るのが楽しみで仕方ない」
運転手さんは最後に笑顔で言った。
「今、僕、最高に幸せなんです」
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