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日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
小学生はなぜ無地の文房具を揃えなければいけないか
2014年02月23日 (日) | 編集 |
 うちの子が入学するとき、

● 文房具は無地またはワンポイント

 なる、訳の分からないルールを学校から提示され、
「なんでそんなことしなくちゃいけないの? 鉛筆に模様がついているくらいいいじゃん。筆箱だってかわいいの使いたいでしょ。つまんない勉強をするんだから、そのくらいの息抜きは許されてもいいんじゃないの」
 と憤慨していた保護者の私。

 小学1年生の担任になって、

● 文房具は無地またはワンポイント

 というルールを死守してもらいたいと切実に願う私。
 30人からの子供をいっぺんに学習に向かわせるためには、もちろん授業自体のクオリティも高くあるべきだが、それと同時に、子供の気を散らすものを徹底的に排除しておくことも必要。特に学力が低くなりがちな子のほうが、よりそういうものに気を取られてしまう。友達が持っていても同じ。でも、とにかく授業中はみんな勉強に集中させたい。話をちゃんと聞いていてほしい。落ちこぼれてほしくない。いいか悪いかは別として、学力が高いほうが得する世の中は依然としてこの日本にあるのだもの。だから、小学校1年の時点でなるべく学力差をつけたくない。そう切実に考えるから、結果、● 文房具は無地またはワンポイント がベストなのです。
 それから、誰かがみんなが羨むものを持ってくると、人間関係の火種になりうる、というのももう一つの理由。それぞれが自分の家庭文化を持って一堂に集まっているのだから、当然、ぶつかることもある子供たち。その人間関係の調整も先生の仕事の多くを占める。授業で埋まる一日の合間を縫ってこの仕事をやるのは毎日が綱渡り。ただでさえそれはモグラたたきのように絶えないのだから、それ以上増やしたくない。だから、● 文房具は無地またはワンポイント が望ましいのです。


 というわけで、保護者時代と教員時代で、180度意見を変えたわたくしでございました。


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先生どうすればいいですか
2014年02月23日 (日) | 編集 |
今も昔も、小学校低学年にとって、先生は絶対的存在らしく、あの懐かしいセリフ
「そんなことしたら、せんせいにいっちゃうよ!」
は、21世紀にも健在です。

で、そんな小学生たちは、すぐ、なにごとにつけ、
「せんせい、どうすればいいですか」
ときいてきます。
(そのこと自体は、『今の子はすぐ先生に頼る』と非難されるべきではないと思う。
自分勝手に判断してやって、「それはちがいます」と怒られるのを事前回避しようという智慧なのだから)

そういうとき、なるべくわたしは、
「どうしたいの?」
「どっちでもいいですよ」
とこたえます。

生活のルールだらけで
(集団生活を安全に保つためには仕方のないことはいえるんですが)
授業の内容もガチガチに決まっている
今の学校の中で、

ほんの少しだけだけど
じぶんのあたまでかんがえる体験を
提供しようという、
ささやかな試み。

先生たちへ
2014年02月22日 (土) | 編集 |
先生たちに、家族支援のことを教えたいなあと思う。

学校業界に家庭支援学を伝えられる人は私のほかにはいないと思うのだけれど、
私はまだ新米教師で、教師に何かを教える立場にはない。教師に何かを教えるのは、退職校長さんのお仕事で、
だからその思いが実現することはない。

というわけで、隣のクラスの若い先生が苦労しているのを見て、
「ああ…」
と思いながら、自分のクラスの仕事をする。
「最初から家庭支援の知識認識を持ってコトにあたればだいぶ違うんだけどなー」
と思いながら、そんなことがっつり話す暇もなく、お互い怒涛の量の仕事をこなし続ける。

もちろん、ちらっちらっとは小出しにして見せたりはするんだけれど、
そんなもの、耕されてない畑に種をまいても、種のままそこにあるだけだ。

だってそこはそのための畑じゃないから。
この畑は、”より良い授業をする基礎知識”等といった種なら、こぼれだねでもよく育つけど。

もう一度確認。
学校の先生の仕事(と興味)は、良い授業をして子供によりしっかりとした基礎学力をつけること。家族支援じゃない。

だけど、
実際には、家族支援に無知なまま、学校の先生が家族支援を中途半端に抱え込んでいる。
(余談だけど、子供同士の人間関係調整も、先生の仕事の大きな割合を占める)
なにしろ、
この学校というリソースは、ほぼその地域の子供全員を網羅する優れたシステム。
しかも、クラスという単位で子供を比較検討することができる。
集団で見ると、単体で見るより、その子の状況が把握しやすい。
クラス担任は、マジョリティを判断基準にして、マイノリティである、支援が必要な子供を明確に見つけることができる。

この現実は、もっと有効に活用されるべきだ。

学校が家族支援理論と家族支援システムの認識を正しく持ち、あらゆる家族支援に繋がるチャンネルを太く持つ。
そして、学校の先生が、知的に高くない子でも先進国でやっていける基礎的学力を保障する一方で、家族支援者が、湯浅誠さんの表現で言う「溜め」のない家族を支え子供の就学通学を保障する。

なーんて言うのは絵に描いた餅。

実現するにはきっとまだたっぷりの時間がかかるんだろうな。
しばらくは、この乏しい状況で奮闘するしかない。

せめて、今あるリソースを最大限有効に使うために、先生たちに家族支援理論を教えたいなあ。

東京都教職員研修センターで雇ってくれないかなあ。






嫌な私
2014年02月22日 (土) | 編集 |
昨日
新宿駅で
久しぶりに
ホームレスの人たちを見た

また
胸がギュッと締め付けられた

どうして
こんな豊かな国で
彼らの存在が
捨ておかれ続けるのだろう

どうして
贅沢三昧をする人がいる一方で
路上に寝る人がいるのだろう

たくさんの小学校で
毎年
海の向こうの貧しい人たちのための
募金運動が展開される

だけど、
数キロ先のターミナル駅に
寒そうにうずくまる人たちは
そのまま

ずっとそう思っているのに

何もできない私

子どもの頃からずっと
何もできないまま

これからも
きっと

自分の愉しい生活を優先して
私は
何もしない

ただ
政治家が
彼らにベッドと温かい食べ物を
用意してくれるのを
期待し続けながら

そして

何もしない自分に
罪悪感を抱えながら

大人は遊びたがる。①
2014年02月09日 (日) | 編集 |
 そう言えば、私が中学生の頃、編集者だった父は、作家の遠藤周作氏に誘われ、突然、劇団活動を始めた。

 「樹座」という劇団名は、気障と伸びゆく樹のダブルミーニングで、父が名付けたそうだ。

 その偉大なアマチュア劇団は、北杜夫氏をはじめとする有名作家や、アクティブな業界人の団員を多く擁し、最終的には、銀座辺りの劇場での公演を成功させたはず。
 確か、中学か高校生だった私も打ち上げにつれていってもらい、いろんな大人に紹介してもらった(残念ながら、誰に会ったのか全く覚えていない)。

 その時、「北さんは誰にでも優しいけど、遠藤さんは美人しか相手にしない」と、自称醜女の母が愚痴っていたのを覚えている。…覚えているが、これはあくまで母の主観なので、実際にそうだというわけではない、と今は亡き大作家の名誉のために言い添えておこう。

 遠藤周作氏は、劇団だけでは飽きたらず、次に合唱団も作った。

 父は、少しばかりウンザリしている様子だったが、大作家のお誘いなので、もちろん断れず、お揃いのエンジのジャケットを作り、それを着て、練習に欠かさず参加していた。

 そのうち、この合唱団「コールパパス」でニューヨークのカーネギーホールに出たい、と遠藤さんが言い出し、父は、母を連れてメンバーと共にニューヨークへと旅立った。

 子どもだった私は、それを「ふーん」程度のリアクションで見てたけど、今、同じくらいの年齢になってみると、恐ろしくスケールのでかい大人の遊び方だったんだなあ、あれ。

 父は外面のいい暴君で、サイアクのクソオヤジって思って、正直好きじゃなかったけど、虎(遠藤さん)の威を借りてとはいえ、クールな遊び方してたんだなーと気づく。

負けた。
 
テーマ:**暮らしを楽しむ**
ジャンル:ライフ
対等で親しい関係
2014年02月09日 (日) | 編集 |
 かつて乳幼児の母だった頃、子育て広場に行った。
 その頃、そこでは、ママたちはスタッフを「先生」と呼び、スタッフは、私たちを「お母さん」と呼んだ。

 カナダで、同様の施設に行ったとき、スタッフと利用者は、お互いをファーストネームで呼びあっていた。

 日本と欧米の習慣の違い、と言っちゃうこともできるけど、これも、実は家庭支援学理論の体現のひとつ。

 その理論とは、

対等で親しい関係の上に支援は成り立つ。

 というもの。

 日本流の呼び方では、暗黙のうちに上下関係を匂わせてしまう。

 それが、ファーストネームつまり下の名前でで呼びあうことで、対等な感じになる。

 そして、そのほうが両者のコミュニケーションそして支援の提供に有効というわけ。

 確かになー。
「お母さん」って呼ばれるより、「マミさん」って呼ばれるところのほうに、

 行きたいもんなあ。


テーマ:子育て
ジャンル:育児
子育てはまだ終わらない
2014年02月07日 (金) | 編集 |
 下の子が中学生になって手がかからなくなったから、

 すっかりお母さん業を放棄して、趣味と仕事に没頭していた昨今。

 だけど、節々で、まだお母さんを終わるわけにはいかないんだよというメッセージを感じて、
 少し反省。

 もう少し、お母さんやります。

 来週から、朝のお味噌汁作り再開。
 
 ここのところずっと、夏冬の贈り物の季節に、四国の、九十歳を超えた私のお産婆さんが、いりこだしを送ってくれているの。六千人を超える赤ちゃんを取り上げて、私に子育てのイロハを教えてくれたひと。

 それもきっとメッセージ。

 幼児や小学生の子供が好きで、最近じゃあ、大きくなってしまった子供たちを前に、
 あの頃ばかりを懐かしんでいる私。

 でもその頃から、家庭支援職の勉強や仕事をしてたから……つまり自分のことばかりに夢中だったから、
 あまりちゃんと親をできていなかった私。

 そして今、もっと親としてなんとかできたんじゃないかって、
 悔やんだりしてる。

 だけどきっと、10年後、20年後には、中高校生だったこの子たちとの今の暮らしだって、
 今みたいに、懐かしむことになるんだろう。

 もっと親らしいことしてやればよかったって、
 今みたいに、悔やむことになるんだろう。

 お母さん業を投げ出してもう数年になるから、

 今さらだけど、

 もうちょっと子どもと生きてみる。
 
「ゆきは、ゆきのせいがふらせる!」
2014年02月05日 (水) | 編集 |
 
 高校の同級生たちと会った。
 たくさん、あの頃の話をした。

 そのなかで…。



「まみのことで、一番忘れられないのはさ―」
 と、まきちゃんが切り出した。

「地学の授業で、雪の降る仕組みを習ったときのことだよー」

「ああ、覚えてる。私、雪の降る仕組みを受け入れたくなくて、地学のテスト、ほぼ無回答にして、なんと8点だったんだよね」
 と私が答える。

 するとまきちゃんが笑いながら言った。

「それだけじゃないよ。まみさあ、授業の最後に突然立ち上がってさー、地学の先生に向かって、
『ちがう! 先生間違ってる! 雪は雪の精が降らせるんです!!』
 ってマジな顔で叫んだじゃーん。もうあれ、今でも忘れられない」

 えっ。なにそれ。そんなことしたのか!?
 私は忘れてたよ…。
 テストの回答を拒否しただけだと記憶していたのに。
 クラス全員の前でそんな発言を堂々と…。
 …超恥ずいじゃん…。17歳の女子高生でしょう(当時)。幼稚園生じゃないんだから…。



 でも…………………、今でも、「雪は雪の精が降らせる!」と思っている私。
 その上そういう自分が、意外と気に入ってたりする。
 そういうことなんだな。いつまでも、どうしようもなく恥ずかしいヤツなんだ、私は。
 

 そろそろ、どうしようもないヤツなんだって、最初から諦めたほうがいいんだって、悟るべきなんだろうな。
 
  
 






 
パソコンができない
2014年02月01日 (土) | 編集 |
カナダ家族支援職資格取得日記⑤

 話は前後しますが。
 実は。

 聞き取れない英語に必死に受け答えして取りすがって、なんとか入学を許可されたものの、そこには、


 私はパソコンができない。


 という恐ろしい事実が横たわっていた。

 家庭支援職資格課程はeラーニング(インターネット通信教育・しかも海外の)だというのに、インターネットもメールもよくわからん。ましてやファイルがどうだ、ワードがどうだとか、ちょっともわからん。

 そんな私の強い味方は、ビジネスマンのダーリン。
 すでにビジネスの世界ではパソコンが当たり前だったから、我が家にも彼専用のパソコンとプリンタがあったのだ。

 とはいえ、彼は毎晩深夜まで働き終電で帰ってくる筋金入りのワーカホリック。
 
 しかし私にこの人以外に身近にパソコンを教えてくれるリソースはない。

 というわけで、毎晩深夜一時からのパソコン超初心者講習が始まった。
 とりあえず、インターネットの使い方と、電子メールの送り方、ワードの使い方、添付ファイルの送り方などを教わる。
 
 …こんな綱渡りの状況で、私はeラーニングを受けていたのね。
 今考えると、なんて無謀な…。

 ダーリンは、毎晩パソコンと格闘する私の様子を見て、
「俺、19から付き合ってるけど、マミが努力しているのを初めて見た~」
 と嘲笑っていた。

 



 深夜一時に帰ってきて、よくまあそこからオクサンに付き合ってくれたね、という声が聞こえてきます。
 ホントに、彼は嫌な顔一つせず、毎晩付き合ってくれました。
 飲んで帰ってきた時なんか、熱心にパソコンに向かう私の隣で、椅子に座ったまま眠ってたこともあったっけ。


 でもね。
 この件、彼には彼なりの勝算があったのです。

 それまでの私は、
「子供が可哀相だから夕飯を一緒に食べられる時間に帰ってきて(本当は子どもは気にしていない。実はこれは詭弁)」
 だとか、
「有給を取らないどころか土日まで出勤なんておかしいよ」
 だとか、
「休みは必ずどこかへ連れて行ってよ」
 だとか。
 要は、絶えず家族サービスを彼に要求しまくっていたわけです。

 ところが、勉強を始めた途端、
 そういう小言が私の口から一切消え失せてしまった。

 彼がいつ帰ってこようが、土日に出勤しようが、
 文献を読むのに必死の私は、知ったこっちゃない。

 休みの日だって出かけたりなんかしたら宿題が間に合わないから、私の願いは「どっか連れて行って」から、「近所の公園で子供を遊ばせながら文献が読めればそれでいい!」に変わっちゃった。

 つまり彼は、深夜に30分、私にパソコンのイロハを教えることで、長年悩まされていた絶え間ない小言からすっかり解放され、思う存分仕事ができる状況になれたというわけ。

 それまで、「好きでワーカホリックをやっているわけじゃない。家族には申し訳ない。でも仕方がないんだ」という思いを抱えながら、私の口撃を耐え続けていたわけですから、彼にしてみれば、この度はライアソン大学サマサマ、ありがとうございます♥という心境だったそうです。

 だから、なんとか私が途中で諦めないように、家庭の平穏がいつまでも続くように、彼はせっせと私にパソコンを教え続けたのでした!