2013年12月27日 (金) | 編集 |
(ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)
ドハーティという人が整理した、家族とかかわるときの5つのレベルについてお伝えします。
家族支援の試みを、その対象者と効果や目的によって、1から5の段階に分けたものです。
大勢を相手に講演するような場合は1、質疑応答とかがある場合は2なのかな。
カウンセラーは5。
ファミリーエデュケーションは、3に当たります。4もかな。
私は、この理論を知っている人には、当然、3から4あたりの仕事をしているといわれました。
けど、この理論も予防教育という概念も日本に定着してないから、一般的には、ファミリーエデュケーションを「家族支援の仕事です」って言うと、1や2、または5と混同して、あるいは結びつけて理解されることがすごく多かったです(人間、自分の中にないものを理解するのは難しいよね。私も意外と押しが弱いところがあって、ファミリーエデュケーションのことを興味を持って聞いてきてくれないと、積極的に詳しく説明しなかったしなー)。
だけど、読んでもらえばわかると思うんだけど、本当は、こういうレベル分けの知識と、自分の働く場所の自覚は絶対必要です。
自分の仕事のレベルの自覚を持たずに仕事を始めると危ないです。不用意に4や5に行ってしまうかもしれないし、1や2と、3や4を混同する子ともおきやすい。
それを避けるためにはまず、この5段階を頭に入れておくといいと思います。
さて、あなたは、どの段階で仕事をしますか? していますか?
あるいは、一人でいろんなレベルをやるとしても、やっているとしても、今どの仕事をしているかが見えていたほうが賢明だと思います。
以下、素人の訳ですので、間違っているかもなので、そこのところはお含みおきを…。
教育と治療(家族関与レベルのモデル)
1995年の最初の論文で、ウィリアム・ドハーティは、家族とともに働く時に、どのように教育と治療を区別するか、という問題に取り組みました。
親と家族の教育の分野で、知的な認識と感情は分けられないことを、彼は認めていました。
効果的な教育グループはしばしば、感情的に治療的です。同様に、治療はしばしば、いくらかの認知的な学習を伴います。
彼は、それゆえに、ふたつの概念をひとつの連続体におき、それを強さと家族との関与の5つのレベルに分けました。
・ レベル1-家族への最小限の注目
この段階では、同じ情報が全ての親に提示されます。親は専門家に協力し、専門家を支援することを求められます。
この関与のレベルは、病院、学校、あるいは子どもを扱ったり、親とともに働いたりする他の機関でみられます。しかし、家族に焦点をあてる必要はありません。
・ レベル2―情報とアドバイス
ドハーティは、スピーカーのプレゼンテーションや一回限りのワークショップをレベル2に分類しています。スピーカーは情報提供し、だいたいいつも聴衆のニーズをくみ取り、質問、意見、議論を歓迎しつつ、双方向のやり方で進めます。
このかたちは一度にたくさんの人に届くのに有効です。これは内容に強調があって、人々は深いところの感情を議論しない、危険の低い環境です。このようなイベントは、親が自分の子育てスタイルを探求するさらなる機会を探すように促すかもしれません。
しかし、自分だけで、親が有意義な変化を得られることはめったにありません。
・ レベル3-感情とサポート
レベル3では、ファシリテーターは、情報を提供して知識とスキルに関連したアクティビティに着手します、レベル2においてと同じように。
加えて、ファシリテーターは、話題になっているトピックに関する、個人的な感情や経験談を共有することを参加者に薦めます。このレベルの仕事は、典型的に、相互サポートや信頼を築いていく親教育講座で見られるものです。参加者は、日々の家族生活でのストレスについては話しますが、ファシリテーターは、トラウマ的な個人経験は探求しません。
たとえば、グループのメンバーが、過去の虐待を明らかにした場合、ファシリテーターは、このような自己開示は注意深く行われるべきと知っているので、適切な対応をしつつも、その虐待経験の癒しを、グループの主題にすることはありません。
ドハーティは、レベル3を、「ほとんどの、現在行われている親または家族教育のアクティビティにとって強さの最適レベル」と言っています。けれども、彼は、レベル3の欠点は、参加する親の何人かは、このようなグループでは扱いきれない強いニーズを抱えていることだと指摘しています。
親グループに来る人が、予防的効果を期待しているなら、その人たちはもっと根深い問題にとりくむ準備もないし、気持ちもないでしょう。なかには、ひとりの問題だけに時間を費やすことに腹を立てる人もいるかもしれません。また他のメンバーは、表面に出る感情の強さによって脅威と恐れを感じるかもしれません。
どちらの場合でも、レベル3のファシリテーターは、一方で参加者に感情を表現することを勇気付け、もう一方で自己開示の深さに制限を設け、その間でバランスを見いだす必要があります。
・ レベル4 短く焦点を合わせた介入
レベル4では、ファシリテーターは、レベル2、レベル3に含まれる全てをします。
しかしそれに加えて、アセスメントとより集中的なワークをするという親とのはっきりした契約に基づいて、介入を計画します。すでに確認された子育ての問題を変えるために、親はグループに参加しています。それは特別な状況をもつグループです。
たとえば、離婚したパートナーと子育ての問題で意見が食い違っているとか、特別なニーズを持つ子どもを育てているとか、家庭内暴力の過去があるとか、児童保護や精神保健サービスと係わっているとかなどです。
焦点は、夫婦の不和や関係するおとなの精神保健の問題にあるのではなく、子育てに関する課題の問題解決にあります。グループのメンバーは、みな状況が良くなることを期待しており、個人的な親の問題を深く考えるにはかなりの時間がかかるだろうと、最初から理解しています。
ドハーティは、親や家族教育分野のプロフェッショナルは、より強いニーズを持つ家族と働くことをますます求められるようになってきていると観察しています。
レベル3とレベル4の境界は、複雑な家族ダイナミクスと他の問題が、子育てに関する問題に加わる場合、よりぼやける傾向があります。
ドハーティは、親グループにおけるレベル4の仕事には短期にするべきだと強調しています。もし、提案された介入が家族の問題を解決する助けになっていなければ、ファシリテーターはさらなるカウンセリングのための紹介を行うべきです。
レベル4での仕事は、家族と同様、ファミリーセラピストや他のプロフェッショナルとの緊密な連携が必要です。
・ レベル5 ファミリーセラピー(家族療法)
レベル5は、親・家族教育と呼ばれるレベルを超えています。
セラピストと家族は、問題の核心に到達するために必要などんな問題でも探求するという契約をします。セラピストは、激しい個人的な悩み、対人間の葛藤、変化への二律背反的な思いや抵抗などを、家族とともに考えます。 セラピストに出会うとき、家族はこれが、教育的プログラムではないことを知っています、たとえ、彼らがやっていくうちに本当に物事を学ぶかもしれないとしても。
特別なスキルとトレーニングが、このレベルで働くために求められます。
ドハーティという人が整理した、家族とかかわるときの5つのレベルについてお伝えします。
家族支援の試みを、その対象者と効果や目的によって、1から5の段階に分けたものです。
大勢を相手に講演するような場合は1、質疑応答とかがある場合は2なのかな。
カウンセラーは5。
ファミリーエデュケーションは、3に当たります。4もかな。
私は、この理論を知っている人には、当然、3から4あたりの仕事をしているといわれました。
けど、この理論も予防教育という概念も日本に定着してないから、一般的には、ファミリーエデュケーションを「家族支援の仕事です」って言うと、1や2、または5と混同して、あるいは結びつけて理解されることがすごく多かったです(人間、自分の中にないものを理解するのは難しいよね。私も意外と押しが弱いところがあって、ファミリーエデュケーションのことを興味を持って聞いてきてくれないと、積極的に詳しく説明しなかったしなー)。
だけど、読んでもらえばわかると思うんだけど、本当は、こういうレベル分けの知識と、自分の働く場所の自覚は絶対必要です。
自分の仕事のレベルの自覚を持たずに仕事を始めると危ないです。不用意に4や5に行ってしまうかもしれないし、1や2と、3や4を混同する子ともおきやすい。
それを避けるためにはまず、この5段階を頭に入れておくといいと思います。
さて、あなたは、どの段階で仕事をしますか? していますか?
あるいは、一人でいろんなレベルをやるとしても、やっているとしても、今どの仕事をしているかが見えていたほうが賢明だと思います。
以下、素人の訳ですので、間違っているかもなので、そこのところはお含みおきを…。
教育と治療(家族関与レベルのモデル)
1995年の最初の論文で、ウィリアム・ドハーティは、家族とともに働く時に、どのように教育と治療を区別するか、という問題に取り組みました。
親と家族の教育の分野で、知的な認識と感情は分けられないことを、彼は認めていました。
効果的な教育グループはしばしば、感情的に治療的です。同様に、治療はしばしば、いくらかの認知的な学習を伴います。
彼は、それゆえに、ふたつの概念をひとつの連続体におき、それを強さと家族との関与の5つのレベルに分けました。
・ レベル1-家族への最小限の注目
この段階では、同じ情報が全ての親に提示されます。親は専門家に協力し、専門家を支援することを求められます。
この関与のレベルは、病院、学校、あるいは子どもを扱ったり、親とともに働いたりする他の機関でみられます。しかし、家族に焦点をあてる必要はありません。
・ レベル2―情報とアドバイス
ドハーティは、スピーカーのプレゼンテーションや一回限りのワークショップをレベル2に分類しています。スピーカーは情報提供し、だいたいいつも聴衆のニーズをくみ取り、質問、意見、議論を歓迎しつつ、双方向のやり方で進めます。
このかたちは一度にたくさんの人に届くのに有効です。これは内容に強調があって、人々は深いところの感情を議論しない、危険の低い環境です。このようなイベントは、親が自分の子育てスタイルを探求するさらなる機会を探すように促すかもしれません。
しかし、自分だけで、親が有意義な変化を得られることはめったにありません。
・ レベル3-感情とサポート
レベル3では、ファシリテーターは、情報を提供して知識とスキルに関連したアクティビティに着手します、レベル2においてと同じように。
加えて、ファシリテーターは、話題になっているトピックに関する、個人的な感情や経験談を共有することを参加者に薦めます。このレベルの仕事は、典型的に、相互サポートや信頼を築いていく親教育講座で見られるものです。参加者は、日々の家族生活でのストレスについては話しますが、ファシリテーターは、トラウマ的な個人経験は探求しません。
たとえば、グループのメンバーが、過去の虐待を明らかにした場合、ファシリテーターは、このような自己開示は注意深く行われるべきと知っているので、適切な対応をしつつも、その虐待経験の癒しを、グループの主題にすることはありません。
ドハーティは、レベル3を、「ほとんどの、現在行われている親または家族教育のアクティビティにとって強さの最適レベル」と言っています。けれども、彼は、レベル3の欠点は、参加する親の何人かは、このようなグループでは扱いきれない強いニーズを抱えていることだと指摘しています。
親グループに来る人が、予防的効果を期待しているなら、その人たちはもっと根深い問題にとりくむ準備もないし、気持ちもないでしょう。なかには、ひとりの問題だけに時間を費やすことに腹を立てる人もいるかもしれません。また他のメンバーは、表面に出る感情の強さによって脅威と恐れを感じるかもしれません。
どちらの場合でも、レベル3のファシリテーターは、一方で参加者に感情を表現することを勇気付け、もう一方で自己開示の深さに制限を設け、その間でバランスを見いだす必要があります。
・ レベル4 短く焦点を合わせた介入
レベル4では、ファシリテーターは、レベル2、レベル3に含まれる全てをします。
しかしそれに加えて、アセスメントとより集中的なワークをするという親とのはっきりした契約に基づいて、介入を計画します。すでに確認された子育ての問題を変えるために、親はグループに参加しています。それは特別な状況をもつグループです。
たとえば、離婚したパートナーと子育ての問題で意見が食い違っているとか、特別なニーズを持つ子どもを育てているとか、家庭内暴力の過去があるとか、児童保護や精神保健サービスと係わっているとかなどです。
焦点は、夫婦の不和や関係するおとなの精神保健の問題にあるのではなく、子育てに関する課題の問題解決にあります。グループのメンバーは、みな状況が良くなることを期待しており、個人的な親の問題を深く考えるにはかなりの時間がかかるだろうと、最初から理解しています。
ドハーティは、親や家族教育分野のプロフェッショナルは、より強いニーズを持つ家族と働くことをますます求められるようになってきていると観察しています。
レベル3とレベル4の境界は、複雑な家族ダイナミクスと他の問題が、子育てに関する問題に加わる場合、よりぼやける傾向があります。
ドハーティは、親グループにおけるレベル4の仕事には短期にするべきだと強調しています。もし、提案された介入が家族の問題を解決する助けになっていなければ、ファシリテーターはさらなるカウンセリングのための紹介を行うべきです。
レベル4での仕事は、家族と同様、ファミリーセラピストや他のプロフェッショナルとの緊密な連携が必要です。
・ レベル5 ファミリーセラピー(家族療法)
レベル5は、親・家族教育と呼ばれるレベルを超えています。
セラピストと家族は、問題の核心に到達するために必要などんな問題でも探求するという契約をします。セラピストは、激しい個人的な悩み、対人間の葛藤、変化への二律背反的な思いや抵抗などを、家族とともに考えます。 セラピストに出会うとき、家族はこれが、教育的プログラムではないことを知っています、たとえ、彼らがやっていくうちに本当に物事を学ぶかもしれないとしても。
特別なスキルとトレーニングが、このレベルで働くために求められます。
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2013年12月23日 (月) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)
私が家族支援の勉強を始めたころは、ちょうどインターネットでのコミュニケーションが盛り上がっていく頃とリンクしていたから、英語圏では、この「Face to Face」という言葉が、従来の意味(直接顔を合わせる)に、付加的意味合い(インターネットやメールを通じたコミュニケーションではなく)も加えて使われていたように思います。
ネットやメールがこれだけ隆盛した今でも、いや今だからこそ、この言葉は大きな意味を持つかもしれない、と最近ひしひしと感じています。
電話でもダメ。直接会うのが大事。
メールや電話に比べてとても手間のかかることだから、直接会って話をするのは、忙しい現代ではついつい避けてしまいがちなんだけれど。
カナダの先生に「Face to Face」が大事、と口を酸っぱくして言われました。
言われたのに、私は、上記の理由からこれをサボったり、あるいは、それに代わるメールでの説明は過剰なくらいがちょうどいいのに、「Face to Face」だけで通用するような言葉足らずのままでオンラインコミュニケーションをしてしまったりして、結局、今までいくつも失敗してしまったように思います。
心理学でも、非言語コミュニケーションの割合は、驚くほど高いって言われますものね。
失敗して、痛感しています。たしかにそうだなあって。相変わらずドンくさいんだ、私は。
だからここでみなさんに。
私の失敗を誰も繰り返さないよう、書いておきます。
もちろん現代的ツールを使いこなすことも大事。
でも、
家族支援では、「Face to Face」がいちばん大事。
もちろん、ネット上だけで成立する家族支援もあります。
でも、通常は、もともとコミュニティワークでもあるわけだし、
家族支援は、「Face to Face」とともにあるのです。
私が家族支援の勉強を始めたころは、ちょうどインターネットでのコミュニケーションが盛り上がっていく頃とリンクしていたから、英語圏では、この「Face to Face」という言葉が、従来の意味(直接顔を合わせる)に、付加的意味合い(インターネットやメールを通じたコミュニケーションではなく)も加えて使われていたように思います。
ネットやメールがこれだけ隆盛した今でも、いや今だからこそ、この言葉は大きな意味を持つかもしれない、と最近ひしひしと感じています。
電話でもダメ。直接会うのが大事。
メールや電話に比べてとても手間のかかることだから、直接会って話をするのは、忙しい現代ではついつい避けてしまいがちなんだけれど。
カナダの先生に「Face to Face」が大事、と口を酸っぱくして言われました。
言われたのに、私は、上記の理由からこれをサボったり、あるいは、それに代わるメールでの説明は過剰なくらいがちょうどいいのに、「Face to Face」だけで通用するような言葉足らずのままでオンラインコミュニケーションをしてしまったりして、結局、今までいくつも失敗してしまったように思います。
心理学でも、非言語コミュニケーションの割合は、驚くほど高いって言われますものね。
失敗して、痛感しています。たしかにそうだなあって。相変わらずドンくさいんだ、私は。
だからここでみなさんに。
私の失敗を誰も繰り返さないよう、書いておきます。
もちろん現代的ツールを使いこなすことも大事。
でも、
家族支援では、「Face to Face」がいちばん大事。
もちろん、ネット上だけで成立する家族支援もあります。
でも、通常は、もともとコミュニティワークでもあるわけだし、
家族支援は、「Face to Face」とともにあるのです。
2013年12月23日 (月) | 編集 |
1980年代。
男の子向けファッション雑誌の後ろのほうに載っている読み物記事を、ずいぶん二人でつくりました。
それを、さえるアーカイヴスというカテゴリーで紹介していきます。
もう25年も前のお仕事です…。
三作目 これはたしか、別のライターさんの企画で、記事作りだけを担当したんじゃなかったかな…。




男の子向けファッション雑誌の後ろのほうに載っている読み物記事を、ずいぶん二人でつくりました。
それを、さえるアーカイヴスというカテゴリーで紹介していきます。
もう25年も前のお仕事です…。
三作目 これはたしか、別のライターさんの企画で、記事作りだけを担当したんじゃなかったかな…。




2013年12月22日 (日) | 編集 |
1980年代。
男の子向けファッション雑誌の後ろのほうに載っている読み物記事を、ずいぶん二人でつくりました。
それを、さえるアーカイヴスというカテゴリーで紹介していきます。
もう25年も前のお仕事です…。
2作目。当時大学の後輩のIくんの行動をヒントに作った記事。




男の子向けファッション雑誌の後ろのほうに載っている読み物記事を、ずいぶん二人でつくりました。
それを、さえるアーカイヴスというカテゴリーで紹介していきます。
もう25年も前のお仕事です…。
2作目。当時大学の後輩のIくんの行動をヒントに作った記事。




2013年12月19日 (木) | 編集 |
これは、ファミリーライフエデュケーターとして若い親向け講座をやるときによく使っていた自作資料です。
よかったら使ってください。
(以下、資料のコピーです)
子どもの「フツウ」を知ってください
~なんとこれが「フツウ」なんです。だからどうぞ気に病まないで。
もし、ここに書いてあることに当てはまらなくても、それもやっぱり「フツウ」です!~
生後すぐ~1ヶ月
ほとんど寝ている・よくぐずる・泣きやまない・ほとんどの子が夜泣きをする・無表情・うんちは、最初は黒で、すぐに黄色や緑や水っぽいもの、つぶつぶ交じりなどいろいろに。甘酸っぱい臭い・皮膚に赤いあざやぶつぶつ、頭にフケみたいなもの・頭のかたちははいびつなこと多し・お腹は出ていること多し・掴む力が強い・よく吐く・あくび、おなら、しゃっくりなどは一人前!・手はたいてい万歳している
1~3ヶ月頃
頭の後ろがはげている・髪の量は様々・おしっこ、うんちの量も様々・鼻のぐずぐず、胸のゼロゼロがあることも・母乳、ミルクの飲み方、夜の眠り方も赤ちゃんによって様々・しっしんが出てくる・ほとんどの子が夜泣きをする・笑顔や、アーアーウックンといった喃語が出てくる・指しゃぶりを始める・ふとんをけとばす・腹ばいにしても頭を上げない子もいる
3~6ヶ月頃
赤ちゃんらしい体つき、お腹が大きくO脚・頭のてっぺんに骨のない部分がある・おしっこ、うんちの量はやはり様々・よだれ多し・同じ月齢でも、体の大きさに倍ぐらいの差があることも・頭が大きい子、身体のほうが大きい子、同じくらいの子いろいろ・指しゃぶりも盛ん・うつぶせの嫌いな子もいる・うつぶせ時の頭のあげ方も様々・夕泣き、夜泣きなどは、理由のわからないことも多し
6~9ヶ月頃
歯が生えない子もいる・離乳食が始まるとおしっこが濃くなることがある・うんちは3日位に1度から1日に何度もまで個人差あり・うんちのとき顔が赤くなるくらい力むことも・身長60~75センチ体重6.5~10キロ位・体重の増え方が鈍ることあり・つかまりだちができない子もいる・人見知りをすること多し・母乳、ミルクはまだまだ飲んでいる・病気の時は頻繁に乳を吸う・偏食である・食べ方にムラがあることも・トイレのしつけは難しい・添い寝が当然・よく泣く・すぐ抱っこしたがる・夜泣きする子も朝まで起きない子もいる
9ヶ月からお誕生過ぎ
6~9ヶ月の特徴が続く・やせてくることが多い・身長67~78センチ体重7~11キロ位・歯の生え順に決まりはない・歯ぎしりをする子がいる・寝る時間が減る・夜泣きする子も朝までねる子もいる・ハイハイをしない子もいる・歩かない子もいる・怖がりになる・母親がいないとダメになる・おちんちんなどをいじくる・芸を覚えない子もいる・トイレのしつけはまだ難しい・まだしゃべらない子もいる・母乳、ミルクはまだ飲んでいる・遊び食べ、食べ散らかしをする・夜中に起きて遊びだす子がいる・音楽、踊り好き・親が「じゃま」「いたずら」と感じること多し
1歳半くらい~
落ち着きがない・あきっぽい・偏食、量にもムラ・母乳をまだ飲む子もいる・片付けはできない・わがまま・かんしゃくをおこす・お気に入りができる・けちんぼう・人にものを貸さないのに人のものをほしがる・なまいき・じまんげ・服を選び始める・大人のものをいじりたがる・親にまとわりつく・お母さんのほうが好き・注目がないと大人の間に割り込んでくる・きょうだいに関心がないことも・友だちと遊べない
2歳前後~
1歳半くらいからの行動は続いている・一つの事を長時間することもある・母乳を飲んでいる子もいる・偏食のある子もいる・片付けはできない・かんしゃくが激しくなる・けちんぼう・「ひとりでする」が多くなる・注目を得ようとする・子どもをみていても仲間に入ろうとしない子も・どもることもある・昼寝をしないことも
3歳~
かんしゃくがへってくる・干渉をきらう・ほめる、叱るに敏感・約束はできるがすぐ忘れる・戸外大好き・できないことも一人でやりたがる・できることでも「やって」と甘える・まだお母さんのほうが好き・添い寝もまだしている・きょうだいと遊び始める・友だちと遊び始める・けんかもする・おしゃべり・うそでごまかす・譲り合いはできない・想像の話をする
作成者
林真未(ファミリーライフエデュケーター)
Eメール mami@family.nifty.jp
ブログhttp://saeru2013.blog.fc2.com/
よかったら使ってください。
(以下、資料のコピーです)
子どもの「フツウ」を知ってください
~なんとこれが「フツウ」なんです。だからどうぞ気に病まないで。
もし、ここに書いてあることに当てはまらなくても、それもやっぱり「フツウ」です!~
生後すぐ~1ヶ月
ほとんど寝ている・よくぐずる・泣きやまない・ほとんどの子が夜泣きをする・無表情・うんちは、最初は黒で、すぐに黄色や緑や水っぽいもの、つぶつぶ交じりなどいろいろに。甘酸っぱい臭い・皮膚に赤いあざやぶつぶつ、頭にフケみたいなもの・頭のかたちははいびつなこと多し・お腹は出ていること多し・掴む力が強い・よく吐く・あくび、おなら、しゃっくりなどは一人前!・手はたいてい万歳している
1~3ヶ月頃
頭の後ろがはげている・髪の量は様々・おしっこ、うんちの量も様々・鼻のぐずぐず、胸のゼロゼロがあることも・母乳、ミルクの飲み方、夜の眠り方も赤ちゃんによって様々・しっしんが出てくる・ほとんどの子が夜泣きをする・笑顔や、アーアーウックンといった喃語が出てくる・指しゃぶりを始める・ふとんをけとばす・腹ばいにしても頭を上げない子もいる
3~6ヶ月頃
赤ちゃんらしい体つき、お腹が大きくO脚・頭のてっぺんに骨のない部分がある・おしっこ、うんちの量はやはり様々・よだれ多し・同じ月齢でも、体の大きさに倍ぐらいの差があることも・頭が大きい子、身体のほうが大きい子、同じくらいの子いろいろ・指しゃぶりも盛ん・うつぶせの嫌いな子もいる・うつぶせ時の頭のあげ方も様々・夕泣き、夜泣きなどは、理由のわからないことも多し
6~9ヶ月頃
歯が生えない子もいる・離乳食が始まるとおしっこが濃くなることがある・うんちは3日位に1度から1日に何度もまで個人差あり・うんちのとき顔が赤くなるくらい力むことも・身長60~75センチ体重6.5~10キロ位・体重の増え方が鈍ることあり・つかまりだちができない子もいる・人見知りをすること多し・母乳、ミルクはまだまだ飲んでいる・病気の時は頻繁に乳を吸う・偏食である・食べ方にムラがあることも・トイレのしつけは難しい・添い寝が当然・よく泣く・すぐ抱っこしたがる・夜泣きする子も朝まで起きない子もいる
9ヶ月からお誕生過ぎ
6~9ヶ月の特徴が続く・やせてくることが多い・身長67~78センチ体重7~11キロ位・歯の生え順に決まりはない・歯ぎしりをする子がいる・寝る時間が減る・夜泣きする子も朝までねる子もいる・ハイハイをしない子もいる・歩かない子もいる・怖がりになる・母親がいないとダメになる・おちんちんなどをいじくる・芸を覚えない子もいる・トイレのしつけはまだ難しい・まだしゃべらない子もいる・母乳、ミルクはまだ飲んでいる・遊び食べ、食べ散らかしをする・夜中に起きて遊びだす子がいる・音楽、踊り好き・親が「じゃま」「いたずら」と感じること多し
1歳半くらい~
落ち着きがない・あきっぽい・偏食、量にもムラ・母乳をまだ飲む子もいる・片付けはできない・わがまま・かんしゃくをおこす・お気に入りができる・けちんぼう・人にものを貸さないのに人のものをほしがる・なまいき・じまんげ・服を選び始める・大人のものをいじりたがる・親にまとわりつく・お母さんのほうが好き・注目がないと大人の間に割り込んでくる・きょうだいに関心がないことも・友だちと遊べない
2歳前後~
1歳半くらいからの行動は続いている・一つの事を長時間することもある・母乳を飲んでいる子もいる・偏食のある子もいる・片付けはできない・かんしゃくが激しくなる・けちんぼう・「ひとりでする」が多くなる・注目を得ようとする・子どもをみていても仲間に入ろうとしない子も・どもることもある・昼寝をしないことも
3歳~
かんしゃくがへってくる・干渉をきらう・ほめる、叱るに敏感・約束はできるがすぐ忘れる・戸外大好き・できないことも一人でやりたがる・できることでも「やって」と甘える・まだお母さんのほうが好き・添い寝もまだしている・きょうだいと遊び始める・友だちと遊び始める・けんかもする・おしゃべり・うそでごまかす・譲り合いはできない・想像の話をする
作成者
林真未(ファミリーライフエデュケーター)
Eメール mami@family.nifty.jp
ブログhttp://saeru2013.blog.fc2.com/
2013年12月16日 (月) | 編集 |
1980年代。
男の子向けファッション雑誌の後ろのほうに載っている読み物記事を、ずいぶん二人でつくりました。
それを、さえるアーカイヴというカテゴリーで紹介していきます。
もう25年も前のお仕事です…。
どうもこれが記念すべき第1作らしい。




男の子向けファッション雑誌の後ろのほうに載っている読み物記事を、ずいぶん二人でつくりました。
それを、さえるアーカイヴというカテゴリーで紹介していきます。
もう25年も前のお仕事です…。
どうもこれが記念すべき第1作らしい。




2013年12月14日 (土) | 編集 |
和香子さんは、旭川出身の某オリンピック金メダリストの『お母さん』。
彼女の一日は長いです。まずは朝三時過ぎに起きて新聞配達。
家に帰って高校生の娘(メダリストの妹)のお弁当を作って送り出し、その後職場に出勤。
病院でリハビリ助手として働きます。
そして、夕方五時過ぎに仕事が終わると、その足で、夫の主宰するスポーツ少年団の練習へ。その際には、ワゴン車で、親が送迎できない団員たちを次々拾って行きます。
そこで3時間みっちり指導にあたり、九時過ぎに練習が終わると、彼等をまた送り届けて、自宅に戻るのは夜十時過ぎ。
ほぼ、毎日がこの生活。
週末には、やはり少年団関係の試合やイベントが入るし、祝日は終日練習を組むことがほとんど。
スポーツ少年団の活動は全て無償のボランティア。無償どころか持ち出しも多く、早朝の新聞配達は、送迎用のワゴン車の費用を捻出するために始めたそう!
三歳から中学生までいる団員たち(私の子含む)を我が子同然に扱い、礼儀を教えたり、様々な相談に乗ったり。父母からも絶大な信頼を集めています。
彼女がすごいのは、これだけの事をしていながら、しかも、娘さんがそれだけの有名人でありながら、奢ったところが微塵もないというところ。
「娘が金メダリストになったのは、たくさんの人の支えがあってこそ。スポーツを通じて、少しでもその恩返しができれば…」
そういって、小さな雑用も一手に引き受ける姿が、必ずそこにあります。
今日も、和香子さんはいつものように、明け方から新聞を配り、職場で笑顔を振りまき、そして夜には60人からの団員たちを叱咤激励することでしょう。
誰もが認めるダメ母さんの私は、彼女のスーパー母さんぶりを、ただただ仰ぎ見るばかり。だけど彼女は、そんな私にさえ、
「大丈夫ですよ」
と、大地のような笑顔を向けてくれるのです。
(2005年 北海道東神楽町 広報誌 に掲載)
2013年12月11日 (水) | 編集 |
尚子さんから安曇野林檎が届きました。
プラスチック梱包材ではなく、おがくずの詰まった段ボールで!
もちろん林檎は有機無農薬。手作りのキムチも添えられています。
さすが、尚子さん!
なにしろ京大大学院出身で、食文化研究者になる予定だった彼女。
食育なんて言葉が現れるずっと以前から、彼女の食生活は完璧の一言。彼女に比べれば、イマドキの食育専門家は、まだまだ甘いゾ、と思ってしまうくらい。西洋栄養学はもちろん、東洋栄養学から、食の歴史、各種自然食の流派の違いまですべて頭にインプット。その上、徹底的に農薬や添加物を排除。塩ひとつとっても、海水塩を自分で天日干しして使うのですから、後は推して知るべし…。
3児の母でもある彼女は、子育てにも真剣でした。夫との密なコミュニケーションはもちろん、保育、学校、医療、しつけ、全てに全力投球。
「だからなー、私が子どもらの学校へ行くと黙っていてもお茶が出てくるようになってしまった」
と彼女は笑います。
ただ、そんな生活の代償として、どうしても論文を書く時間が取れず、研究者としての道は頓挫してしまい、
「同級生が弁護士や学者になっていい仕事しているのを見ると、正直、無性に羨ましくなる時もあるんよ…」
と、淋しそうな表情を見せることもありました。
彼女の転機になったのは、5年前の安曇野への転居。今までは街中に住んでいた彼女、今度は畑の中に家を借りたのですが、ほどなく、
「ここいらの農家のおじさんやおばさん、すごいんやでー。みんな生きる知恵と哲学を持っている。彼らと付き合っていくうちに研究者や学者がなんぼのもんや! って思えるようになってね」
と明るい声で電話がかかってきたのです。
そして今では広大な畑を持ち、すっかり「農家のおばさん」になった尚子さん。
林檎に添えられた手紙には、『今年も干し芋、干し柿、栗の渋皮煮、キムチ、沢庵など、あらかたの保存食を作りました。子供たちが巣立ち始め、畑の働き手を失う昔の人の辛さを味わっています』と書いてありました。
(2006年 北海道東神楽町 広報誌 に掲載)
2013年12月09日 (月) | 編集 |
ソフトバレー、テニス、バドミントン、加えてランチにショッピング。朋子さんの毎日を楽しくするパワーはいつも全開。
「スキーへ行こう!」
「キャンプへ行こう!」
彼女が思い立つと、あっという間に仲間のファミリーが集まります。
(やりたいけど、面倒くさい。誘いたいけど、大丈夫かな)
そんな躊躇の全くない、彼女のリーダーシップのおかげで、どれだけ私たち周囲の「お父さん」「お母さん」達の人生が楽しくなったことか。
「なーんや、また仕事? 早よ、ヒマになりい。一緒にランチできんやんか」
朋子さんはいつも、こんな調子の関西弁。「子育て支援」なんて露ほどにも興味がない彼女にとって、私のファミリーエデュケーター活動はむしろ厄介なシロモノ。
けれど、私のほうでは、実はヒソカに
「彼女こそ究極の子育て支援者」
と思っているのです。
本人は、全くそんなつもりはないのだけれど……。
朋子さんの家は、絶えず人が出入りしておしゃべりを楽しむサロン。
彼女は、
訪れた人には、お茶を出しお菓子をふるまい、
遊びに来た子どもたちは、自分の子も人の子もかまわず可愛がり、そして叱りつけます。
そんな彼女が、自分の家族はもちろん、彼女の周囲で子育て中の私たちの人生を、どれだけ明るく照らしたことか!
これはまさに「地域に根ざした子育て支援」です。
朋子さんに、私は一度聞いたことがあります。
「女性の自己実現とか主婦の再就職とか、そういうことって、考えたことない?」
彼女はきょとんとした顔で答えました。
「うーん、ないなあ。毎日どうやって楽しいことを見つけるかで手一杯で、そんなこと考えるヒマないわー。そういえば一度資格を取ろうかと勉強したこともあったけど、難しすぎてやめてしまった(笑)。ま、お父さんがどうにかなったら何でもやって働くしかないんだろうけどなー」
…彼女のパワーなら、そうなったらなったで、確かに、なんとか生きていきそうです。
(2005年 北海道東神楽町 広報誌 に掲載)
「スキーへ行こう!」
「キャンプへ行こう!」
彼女が思い立つと、あっという間に仲間のファミリーが集まります。
(やりたいけど、面倒くさい。誘いたいけど、大丈夫かな)
そんな躊躇の全くない、彼女のリーダーシップのおかげで、どれだけ私たち周囲の「お父さん」「お母さん」達の人生が楽しくなったことか。
「なーんや、また仕事? 早よ、ヒマになりい。一緒にランチできんやんか」
朋子さんはいつも、こんな調子の関西弁。「子育て支援」なんて露ほどにも興味がない彼女にとって、私のファミリーエデュケーター活動はむしろ厄介なシロモノ。
けれど、私のほうでは、実はヒソカに
「彼女こそ究極の子育て支援者」
と思っているのです。
本人は、全くそんなつもりはないのだけれど……。
朋子さんの家は、絶えず人が出入りしておしゃべりを楽しむサロン。
彼女は、
訪れた人には、お茶を出しお菓子をふるまい、
遊びに来た子どもたちは、自分の子も人の子もかまわず可愛がり、そして叱りつけます。
そんな彼女が、自分の家族はもちろん、彼女の周囲で子育て中の私たちの人生を、どれだけ明るく照らしたことか!
これはまさに「地域に根ざした子育て支援」です。
朋子さんに、私は一度聞いたことがあります。
「女性の自己実現とか主婦の再就職とか、そういうことって、考えたことない?」
彼女はきょとんとした顔で答えました。
「うーん、ないなあ。毎日どうやって楽しいことを見つけるかで手一杯で、そんなこと考えるヒマないわー。そういえば一度資格を取ろうかと勉強したこともあったけど、難しすぎてやめてしまった(笑)。ま、お父さんがどうにかなったら何でもやって働くしかないんだろうけどなー」
…彼女のパワーなら、そうなったらなったで、確かに、なんとか生きていきそうです。
(2005年 北海道東神楽町 広報誌 に掲載)
2013年12月08日 (日) | 編集 |
「プログラムが私たちのために発展するのであって、私たちがプログラムに仕えるように要求されているのではない」・・・Dolores Curran : Working with Parents
今はどうなっているのか知らないけれど、ひところ、子育て支援業界ではカナダ生まれの「ノーバディズパーフェクトプログラム」が流行った時期があって。2005年前後くらい?
私も、ライアソン大学で家族支援を勉強する前は、このプログラムのファシリテーター養成講座(当時はまだ準備中だった)を受ければ、お母さん向けの講座「ノーバディズパーフェクトプログラム」ができると聞いて、「わ、養成講座受けたい! 最高じゃん」と思いました。
なぜなら、当時の私は、保育教育心理etcなど、子育て支援という名のつかないころから、子育て支援的なものを図書館に通って独学しており、でも、その成果を発揮する場がなく、その力を持て余していたので。
どんなに勉強しても、大学教授や保育士などの肩書がないと、支援を仕事にはできない。
だからそのプログラムのファシリテーターになれば…と、飛びつきたかったのです。
でも実は、これって極めて日本人的発想。
よく考えたら、別に当時の大学教授も保育士も、子育て支援を学問としてどこかで勉強したわけではなく(だって、家族支援学の完全な学習プログラムは未だ日本には存在せず、英語圏のそれを系統的に学んだのは、日本では私が初めてなんだから。)、私と同じように子育て支援を独学していただけなのに。
向こうは肩書があって、私は「お母さん」だから、差があると思い込んでいたのです。
一念発起してライアソン大学で家族支援を学んだ時、そのことを、レポートで書いたら、向こうの先生に言われました。
「君がやりたいのは子育て支援だろう? 子どもを自分の手で三人育てたというキャリアは、それに一番ふさわしいんじゃないのか?」って。
目からうろこでした。
あれが、自分に自信を持った瞬間だったな。
周りを見廻してみれば、実際、私より聡明な人たちは、家族支援学を修めるなんて回り道をせずに、「お母さん」のまま、素晴らしい支援活動を展開して、今ではちゃんと仕事として成り立たせている。
ホントに私は鈍いんだよなあ。
でもまあ、自分の独学がどの程度のものなのか知りたくて、そして主婦以外の肩書がほしくて、飛び込んだ家族支援学だったけど、結果的には、私は間違っていなかった。
卒業する時には学部全体の最優秀者候補にノミネートされて、「あなたは天性の家族支援の力を備えている」とまで言ってもらったのよ♥(自慢で感じ悪いけど、思い出したから書いておく)
そして家族支援学を修めてふりかえってみれば、私が「素敵!」と飛びつかんばかりだった日本の「ノーバディズパーフェクト」導入は、とんでもない大誤解の上に成り立つ砂上の楼閣でした。
しかし、私が脇目も振らず英語での家族支援学の勉強に没頭している間に、大学教授の皆さんは、すでにこのプログラムのファシリテーターを、なんと7万円という高額で養成するシステムを展開していらっしゃいました。
それを知ったのは、インターネットを通じて私の存在を知ってくださった四国の子育て支援者の方からの一通のメール。「七万円は、自分にとっては大金。このプログラムをどう思うか?」という素朴なご質問でした。
その後、他からもメールをいただき、それによると、当時このプログラムは大人気で、高額にもかかわらずファシリテーター養成講座の受講希望者は後を絶たないとか。それどころか、このプログラムを採用する自治体や保健所が全国のあちこちにって。
ヤバいヤバいヤバい!
なにをしているのよ!
というのが率直な私の感想。
だけど、わかる気もする。私だって家族支援を学ぶ前は、このプログラムがキラキラ光って見えたもの。
でもね、違うんですよ。
本来、家族支援のプログラムっていうのは、
●地域に合わせて
●自分たちの持っているものを活用して
●お金をかけずに
作るものなんですよ。
「ノーバディズパーフェクトプログラム」は、
●カナダのハイリスク層向けにアレンジされた
●カナダの風土やシステムに即した
プログラムであって、それを、
●お金をかけて
導入するなんて、
私の学んだ家族支援理論とまったく相反する行為。
お願いだから、ノーバディズパーフェクトプログラムの前に家族支援学を知ってください(インターネットにいくらでも英語の資料は載っているし、日本語じゃなきゃダメな人には、このブログをがんばって更新するし、ボランティアで講座も提供します。ちょい古サイトですがここも参考になります→関西家庭支援勉強会)。
ノーバディズパーフェクトプログラムは、カナダでは、家族支援理論に基づいた百以上にのぼるプログラムの一つに過ぎません。だからもちろん、家族支援学の基礎がなければできない、わからないプログラムだし、このプログラムの魅力的な部分は、このプログラム特有のものではなく、数多のプログラムに共通する家族支援学の理論なのです(それさえも誤解されているらしいけれど)。
それにファシリテーターというのは役割名で肩書名なんかじゃない。
資格があればできるというものでも、なければできないというものでもなく、個々のセンスで100人いれば100通りあるといっても過言ではないもの。
だから、私は、
「家族支援理論に基づいて、自分たちでオリジナルプログラムを作るのが正解」
とずっと言ってきた。
でも、日本製「ノーバディズパーフェクトプログラム」の推進者は、子育て支援業界の大御所の大学教授ばかり。
私なんて、「初めて北米の家族支援学を学んだ有資格者、ファミリーエデュケーター」と謳ってはいるものの、実際には、地方住み(当時北海道にいた)で、子育て支援活動より自分の子育てを優先して、できる範囲でしか活動していない、蝋燭の小さい炎のような支援者。
瞬く間にこのプログラムが全国に広がるのを止めることはできなかった。
せめて。
と自責の念に駆られて、共感する仲間と、関東と関西で家族支援勉強会を主宰したのと、引っ越した直後くらいに練馬区に意見書を出したのと、出会う人ごとに上記のような解説をしたのがせいぜいやれたこと。
それでも、すでにファシリテーターとして活動している人には、あまり歓迎されない情報だったように思う。みんな悲しそうな顔をしたもの。せつなかったな。
今はどうなっているのか知らないけれど、ひところ、子育て支援業界ではカナダ生まれの「ノーバディズパーフェクトプログラム」が流行った時期があって。2005年前後くらい?
私も、ライアソン大学で家族支援を勉強する前は、このプログラムのファシリテーター養成講座(当時はまだ準備中だった)を受ければ、お母さん向けの講座「ノーバディズパーフェクトプログラム」ができると聞いて、「わ、養成講座受けたい! 最高じゃん」と思いました。
なぜなら、当時の私は、保育教育心理etcなど、子育て支援という名のつかないころから、子育て支援的なものを図書館に通って独学しており、でも、その成果を発揮する場がなく、その力を持て余していたので。
どんなに勉強しても、大学教授や保育士などの肩書がないと、支援を仕事にはできない。
だからそのプログラムのファシリテーターになれば…と、飛びつきたかったのです。
でも実は、これって極めて日本人的発想。
よく考えたら、別に当時の大学教授も保育士も、子育て支援を学問としてどこかで勉強したわけではなく(だって、家族支援学の完全な学習プログラムは未だ日本には存在せず、英語圏のそれを系統的に学んだのは、日本では私が初めてなんだから。)、私と同じように子育て支援を独学していただけなのに。
向こうは肩書があって、私は「お母さん」だから、差があると思い込んでいたのです。
一念発起してライアソン大学で家族支援を学んだ時、そのことを、レポートで書いたら、向こうの先生に言われました。
「君がやりたいのは子育て支援だろう? 子どもを自分の手で三人育てたというキャリアは、それに一番ふさわしいんじゃないのか?」って。
目からうろこでした。
あれが、自分に自信を持った瞬間だったな。
周りを見廻してみれば、実際、私より聡明な人たちは、家族支援学を修めるなんて回り道をせずに、「お母さん」のまま、素晴らしい支援活動を展開して、今ではちゃんと仕事として成り立たせている。
ホントに私は鈍いんだよなあ。
でもまあ、自分の独学がどの程度のものなのか知りたくて、そして主婦以外の肩書がほしくて、飛び込んだ家族支援学だったけど、結果的には、私は間違っていなかった。
卒業する時には学部全体の最優秀者候補にノミネートされて、「あなたは天性の家族支援の力を備えている」とまで言ってもらったのよ♥(自慢で感じ悪いけど、思い出したから書いておく)
そして家族支援学を修めてふりかえってみれば、私が「素敵!」と飛びつかんばかりだった日本の「ノーバディズパーフェクト」導入は、とんでもない大誤解の上に成り立つ砂上の楼閣でした。
しかし、私が脇目も振らず英語での家族支援学の勉強に没頭している間に、大学教授の皆さんは、すでにこのプログラムのファシリテーターを、なんと7万円という高額で養成するシステムを展開していらっしゃいました。
それを知ったのは、インターネットを通じて私の存在を知ってくださった四国の子育て支援者の方からの一通のメール。「七万円は、自分にとっては大金。このプログラムをどう思うか?」という素朴なご質問でした。
その後、他からもメールをいただき、それによると、当時このプログラムは大人気で、高額にもかかわらずファシリテーター養成講座の受講希望者は後を絶たないとか。それどころか、このプログラムを採用する自治体や保健所が全国のあちこちにって。
ヤバいヤバいヤバい!
なにをしているのよ!
というのが率直な私の感想。
だけど、わかる気もする。私だって家族支援を学ぶ前は、このプログラムがキラキラ光って見えたもの。
でもね、違うんですよ。
本来、家族支援のプログラムっていうのは、
●地域に合わせて
●自分たちの持っているものを活用して
●お金をかけずに
作るものなんですよ。
「ノーバディズパーフェクトプログラム」は、
●カナダのハイリスク層向けにアレンジされた
●カナダの風土やシステムに即した
プログラムであって、それを、
●お金をかけて
導入するなんて、
私の学んだ家族支援理論とまったく相反する行為。
お願いだから、ノーバディズパーフェクトプログラムの前に家族支援学を知ってください(インターネットにいくらでも英語の資料は載っているし、日本語じゃなきゃダメな人には、このブログをがんばって更新するし、ボランティアで講座も提供します。ちょい古サイトですがここも参考になります→関西家庭支援勉強会)。
ノーバディズパーフェクトプログラムは、カナダでは、家族支援理論に基づいた百以上にのぼるプログラムの一つに過ぎません。だからもちろん、家族支援学の基礎がなければできない、わからないプログラムだし、このプログラムの魅力的な部分は、このプログラム特有のものではなく、数多のプログラムに共通する家族支援学の理論なのです(それさえも誤解されているらしいけれど)。
それにファシリテーターというのは役割名で肩書名なんかじゃない。
資格があればできるというものでも、なければできないというものでもなく、個々のセンスで100人いれば100通りあるといっても過言ではないもの。
だから、私は、
「家族支援理論に基づいて、自分たちでオリジナルプログラムを作るのが正解」
とずっと言ってきた。
でも、日本製「ノーバディズパーフェクトプログラム」の推進者は、子育て支援業界の大御所の大学教授ばかり。
私なんて、「初めて北米の家族支援学を学んだ有資格者、ファミリーエデュケーター」と謳ってはいるものの、実際には、地方住み(当時北海道にいた)で、子育て支援活動より自分の子育てを優先して、できる範囲でしか活動していない、蝋燭の小さい炎のような支援者。
瞬く間にこのプログラムが全国に広がるのを止めることはできなかった。
せめて。
と自責の念に駆られて、共感する仲間と、関東と関西で家族支援勉強会を主宰したのと、引っ越した直後くらいに練馬区に意見書を出したのと、出会う人ごとに上記のような解説をしたのがせいぜいやれたこと。
それでも、すでにファシリテーターとして活動している人には、あまり歓迎されない情報だったように思う。みんな悲しそうな顔をしたもの。せつなかったな。
2013年12月08日 (日) | 編集 |
ドイツからやってきた碧い瞳と金髪の美しいひと。
大学教師の夫と、二人の可愛いハーフの子に恵まれた幸せな人妻。
マルティナの最初の印象はそんな感じ。
だから、ハーブの乱れ咲く瀟洒な洋館にでも住んでいて、裕福で苦労知らずで……と思っていたら。
訪れた私と由美子さん(前回登場)はビックリ。なんと彼女が住んでいたのは、アパートに毛が生えたような古ぼけた狭いマンション。おまけに幹線道路沿いで車の騒音が絶えないシロモノ。美大出身の彼女だけあってインテリアは素敵だったけど、「できれば引越ししたい」というのは同感です。
事情をよくよく聞いてみたら、彼女の夫はまだ講師の身分で、お給料はかなり低いとのこと。そのうえ彼の実家が結婚に反対で、マルティナは、夫の留学終了とともに、1歳の息子を抱えしかも身重の身体で日本に来たにもかかわらず、物心いずれの援助も一切受けていないという……。
自分で働くこともできないから、結局何をするにも、スーパーで買物するときでさえ、真剣にお財布と相談する日々。ドイツでは優しかった夫も、日本では家庭より仕事が優先。彼女は日本語がわからないのでバスにも乗れず、雨の日でもベビーカーを押しながら40分歩いて妊婦検診に通い、出産も一人で乗り越えたそうです。児童館で英語の得意な由美子さんに話しかけられるまで(マルティナは英語も堪能)、そうやって、異国の地でたった一人でふたりの幼子を育ててきた、というのです!
その強い精神力と生活力に、私は圧倒される思いでした。
以来、私たち3人は急速に仲良くなり、時間さえ合えば、公園で子どもを遊ばせながら、子育てだけでなくヒトラーの自殺から日本男性論まで、さまざまなことを語り合って過ごすようになりました。そして私達は、彼女は母国に知恵遅れの姉がいて、その環境が、彼女の深い思慮と強い精神を培ってきたことも知りました。
その後、彼女の夫が準教授に昇進し、本人も、公民館の「ドイツ語で美術史案内」講座のセンセイに。新築のマンションに引越し3人目も生まれ、印象通りの幸せな人妻になったマルティナ。
子どもたちも大きくなり、由美子さんは仕事を始め、私も東京を離れたので、3人で語リ合う公園の午後はもうないけれど、彼女達とともに過ごした時間は、私の人生のかけがえのない宝物です。
(2005年 北海道東神楽町 広報誌 に掲載)
~後日談~
事実は小説よりも奇なりということわざがあったような気がするけれど。
ある日、なんと、マルティナの夫が、事故で急逝してしまったのです。
そしてその後すぐに、東日本大震災が。
だから、もともと夫の実家と折り合いが悪く、また、放射能汚染とかにすごく敏感なマルティナは、葬儀を終えると、逃げるように三人の子を連れて母国へ帰ってしまいました。
あんなに苦労して、やっと日本の生活に馴染んだところだったのに…。
私の手元に残るのは、彼女のドイツの住所とe mailアドレス。
でも、今ではもう、連絡を取り合うこともありません…。
いつか、ドイツ旅行をして、マルちゃん(私は彼女のことをしまいにはこう呼んでいた!(^^)!)と再会できたらいいな。
この願い、お互いすっかりおばあさんになった頃には、実現するかもね。
大学教師の夫と、二人の可愛いハーフの子に恵まれた幸せな人妻。
マルティナの最初の印象はそんな感じ。
だから、ハーブの乱れ咲く瀟洒な洋館にでも住んでいて、裕福で苦労知らずで……と思っていたら。
訪れた私と由美子さん(前回登場)はビックリ。なんと彼女が住んでいたのは、アパートに毛が生えたような古ぼけた狭いマンション。おまけに幹線道路沿いで車の騒音が絶えないシロモノ。美大出身の彼女だけあってインテリアは素敵だったけど、「できれば引越ししたい」というのは同感です。
事情をよくよく聞いてみたら、彼女の夫はまだ講師の身分で、お給料はかなり低いとのこと。そのうえ彼の実家が結婚に反対で、マルティナは、夫の留学終了とともに、1歳の息子を抱えしかも身重の身体で日本に来たにもかかわらず、物心いずれの援助も一切受けていないという……。
自分で働くこともできないから、結局何をするにも、スーパーで買物するときでさえ、真剣にお財布と相談する日々。ドイツでは優しかった夫も、日本では家庭より仕事が優先。彼女は日本語がわからないのでバスにも乗れず、雨の日でもベビーカーを押しながら40分歩いて妊婦検診に通い、出産も一人で乗り越えたそうです。児童館で英語の得意な由美子さんに話しかけられるまで(マルティナは英語も堪能)、そうやって、異国の地でたった一人でふたりの幼子を育ててきた、というのです!
その強い精神力と生活力に、私は圧倒される思いでした。
以来、私たち3人は急速に仲良くなり、時間さえ合えば、公園で子どもを遊ばせながら、子育てだけでなくヒトラーの自殺から日本男性論まで、さまざまなことを語り合って過ごすようになりました。そして私達は、彼女は母国に知恵遅れの姉がいて、その環境が、彼女の深い思慮と強い精神を培ってきたことも知りました。
その後、彼女の夫が準教授に昇進し、本人も、公民館の「ドイツ語で美術史案内」講座のセンセイに。新築のマンションに引越し3人目も生まれ、印象通りの幸せな人妻になったマルティナ。
子どもたちも大きくなり、由美子さんは仕事を始め、私も東京を離れたので、3人で語リ合う公園の午後はもうないけれど、彼女達とともに過ごした時間は、私の人生のかけがえのない宝物です。
(2005年 北海道東神楽町 広報誌 に掲載)
~後日談~
事実は小説よりも奇なりということわざがあったような気がするけれど。
ある日、なんと、マルティナの夫が、事故で急逝してしまったのです。
そしてその後すぐに、東日本大震災が。
だから、もともと夫の実家と折り合いが悪く、また、放射能汚染とかにすごく敏感なマルティナは、葬儀を終えると、逃げるように三人の子を連れて母国へ帰ってしまいました。
あんなに苦労して、やっと日本の生活に馴染んだところだったのに…。
私の手元に残るのは、彼女のドイツの住所とe mailアドレス。
でも、今ではもう、連絡を取り合うこともありません…。
いつか、ドイツ旅行をして、マルちゃん(私は彼女のことをしまいにはこう呼んでいた!(^^)!)と再会できたらいいな。
この願い、お互いすっかりおばあさんになった頃には、実現するかもね。
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