日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
Principles
2013年11月30日 (土) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)

Principlesというのは原理とか原則というような意味。
この12か条は、家庭支援がカナダに広がり始めたときに、こういうのが必要だねということで、カナダ中の家族支援実践者が意見を出し合って作ったそうです。
Principles はとっても大切にされています。

日本の子育て支援にも、共通のPrinciplesってあるのかな?
その前に、すべての家庭・家族支援プログラムをカバーする全国団体がないのか?
知っている人コメントくださいー。


【家庭支援の原則】
The Guiding Principles of family Support ~ファミリーリソースプログラムカナダの資料より

翻訳が大丈夫なのか、はなはだ不安なのだけれども。

1. 家庭支援プログラムは、全ての家庭が支援を必要としていると認識し、全ての家庭に開かれています。
2. 家庭支援プログラムは、既存のサービス、すでにあるネットワークやつながりを補足し、子どもを健やかに育てる家庭の力を支援する政策、サービスおよびシステムを擁護します。
3. 家庭支援プログラムは、表出するニーズを満たすために家族、地域と協働します。
4. 家庭支援プログラムは、良い状態の促進に注目し、予防アプローチを用います。
5. 家庭支援プログラムは、個人、家族および地域の長所を伸ばす機会を増大させます。
6. 家庭支援プログラムは、家族生活における相互の深いかかわりを認識し、環境、状況を考慮した視点で運営されます。
7. 家庭支援プログラムは、相互支援とピアサポートを評価し促進します。
8. 家庭支援プログラムは、子育ては一生をかけて学び続けることと宣言します。
9. 家庭支援プログラムは、サービスへの自発的参加を是とします。
10. 家庭支援プログラムは、平等と多様性への尊重に基づいた関係を促進します。
11. 家庭支援プログラムは、すべての家族メンバーに安全性とセキュリティを保証するために非暴力を主張します。
12. 家庭支援プログラムは、絶えず、どのように、どうやって活動しているかを反映し続けることによって、より良い方法を探求し続けます。

いつもアタラシイコトを
2013年11月30日 (土) | 編集 |
1980年代の終わりと2013年。

 
 今日、2013年11月30日、ひばりが丘のパルコに行った。
 フロアガイドを手にしたら、そこに見覚えのある人たちの写真が。

 おお、ジュンスカイウォーカーズぢゃないか。
 …確かに、ひばりが丘駅周辺(東京都西東京市ひばりが丘)は、自由学園出身の彼らの地元だけど
(詳しくは♪Let's Goビバリーヒルズを聴いておくれ)。
 そうそう、それに、マックを壊してこのパルコを立てるとき、
 マックの屋上でライブしたっていう話も聞いたことあるなー。

 しかし、
 ファッションビルのイメージキャラクターに、
 カッコいいおじさんたちが登場するなんてことがあるのね。
 時代が変わったなー。
 昔は、そーいうのって、綺麗なモデルや女優と決まっていたじゃない…。

 でも、
 ジュンスカ、相変わらずカッコいい。もう50歳に近い年なのに、ポップなTシャツが似合ってる。
 アタラシイオヤジの登場だわ。

 そういえば、
 1980年代の終わりに、
 原宿の歩行者天国に楽器を持ち込んで演奏してしまうというアタラシイコトをしたのも、
 彼らだった。

 当時、
 私のいたバンドとアマチュア時代のジュンスカは、
 同じ貸しスタジオで練習していて。

 吉祥寺を知る人の間では、いかがわしいお店やいちゃいちゃするためのホテルが並ぶことで有名な、
 “近鉄(当時。いまはヨドバシカメラになっちゃった)の裏”にあるスタジオ。
 私たちも、中央線沿線にあるライブハウスで月イチライブをさせてもらっていたから、
 年中ここで練習していたんだよなー。
 若い(当時ね!)女の子たちが、ギター抱えて、夜な夜なあんな危ない路地を行き来していたなんて…。

 
 練習時間帯が全然違うらしく、私たちがジュンスカに直接会ったことはなかったけど、
 ジュンスカは当時から、すごいバンドがいると評判で、スタジオ主催のコンテストでも当然優勝して、
 名前がスタジオに張り出されていたっけ。
 そして、その張り紙を見ながらスタジオのスタッフが、絶賛していたような記憶がかすかにあるぞ…。

 
 ああ。
 また、昔のことを思い出すことができたよ。



お子様ランチと着ぐるみと子ども
2013年11月26日 (火) | 編集 |
 1970年代。

 お子様ランチという食べ物があった。
 百貨店の食堂で、小さな国旗のたっているチキンライスと、ハンバーグとかその辺の洋食メインと付け合せの野菜が。別添えで、コーンスープがついていることもある。

 とにかく子供が好きそうな食材が一つのお皿に盛り合わせてある。
 ちょうど子どもが食べ切れるサイズの一皿。
 
 小さかった私はいつも、
「どうして、子どもだというだけで、この食べ物を食べなければならないのだろうか」
 と思っていた。

 大人たちは、「お前は当然お子様ランチを頼むんだろう」という目で私を見てくるから、
 そして私は、期待には応えねばならぬだろう、と考え、いつもそれを頼んだ。

 だけど、私はその食べ物をとりたてて好きだと思ったことはない。

 着ぐるみも。
 着ぐるみも同じだ。

 盛り場や遊園地に行くと、小さな私を喜ばせようと、そいつはずんずん近づいてくる。

 とてつもなく怖かった。
 いつも泣き出した。

 着ぐるみは不思議そうな顔をして、いつも大きな頭を傾けるのだった。

 私は知っていた。
 その中に人間が入っていることを。

 そして思っていた。
 子供を喜ばそうと思ってその中に入っているのなら、それは徒労だ。
 すぐに、違う仕事をしたほうがいい。
 あなたの仕事はむなしい。

 だって、子ども(=私)はあなたが怖いのだから。



 実は。
 今でも着ぐるみがそばに来ると、私は必ず親指を握りしめる。
 
 いい大人になった今でも。かならず。

 そして、笑顔の着ぐるみが去るまで、「一刻も早く去ってくれ」と祈りながら、じっと身体をこわばらせて待っているのだ。
 いつも。



 
 
わたしをかえたあの日のことについて
2013年11月24日 (日) | 編集 |
1990年代初頭

まだ結婚したての二十代のころ、私はひょんな事から、知的障害者団体の外出介助を経験することになりました。知的障碍者(わ、PCが勝手にこの字に変換した! 時代が変わったんだな…)との出会いはこれがまったくの初めて。
 
 告白します。当時の私は(あ、今もか)本当に世間知らずで生意気で、そのような活動のすべてを、「ダサい」「なんか偽善的」と、奇異な目で、眉をひそめて見ておりました。
 二つの震災の前ですからね、今よりずっと、ボランティアはマイナーアクションだったんですよ!

 それがねー、この体験をきっかけに、今じゃ障碍者差別撤廃が、私の心の隅に燃える炎の一つになっているのですから、人間、変われば変わるものです。

 さて、話を戻して。

 その日、私たちはマンツーマン体制で障碍を持つ人たちを日帰りキャンプに連れて行きました。電車を乗り継ぎ、郊外へ。
 私の担当は、身体は二十五歳、知能は生後三ヶ月くらいの女の子。その日の朝、初めて紹介され、そのまま連れ立って出かけました。

 なーんて冷静に記述しておりますが、実は、この日の私、「気が動転する」ってこういうことを言うんだろうと、いうような状態だったんです。
 
 「障碍者の外出介助ってことは、車椅子を押してあげればいいんだろう」くらいの認識で臨んでいたのに、障碍者といっても身体障碍者ではなく知的障碍者の団体。目の前には十数人の知的障碍者たち。そして任された相手は生後三か月の知能の子。

 目の前の現実に胸が詰まるような思いがしたこと、今でも忘れません。

「どうしよう」

 と思ったけれど、もう後へはひけない。
 ボランティアが超少ないその頃、私は期待の新人なのです。
 介助経験豊富な作業所職員の子と、小グループで行動することができたのが、せめてもの救い。

 私たちは目的地に向かって、グループごとにスタートをしたのですが。

 スタートしてすぐ、その女の子は、いきなり、トイレに行くというのです(正確には、そう思われるそぶりをしたのです、しゃべれないのでね)。
 
 今でこそけっこうキレイなトイレもあるけど、当時、駅のトイレといえば臭くて汚いのが定番。私は、いきなりそんな場所で、その女の子の下の世話の必要に迫られてしまったのです!
 本人、生後三か月ですから、服を下すことも体を拭くことも水を流すことも、何もかもできません。しかも、なんとただ今生理中…。
 トイレに連れて行き、ズボンとパンツを下して…。でもその先が。その先が進めない。
 やらなきゃいけない、と頭ではわかっていたけれど、私の体はそれ以上全く動きませんでした。
    
 そのとき、呆然と立ち尽くす私を見かねて、近くにいた、他のボランティアの女の子が、私をすり抜けてトイレの個室にさっさと入っていき、私の代わりを務めてくれました。
 手際よく、そして優しく、しかもてきぱきと。

 衝撃でした。

 私はそれまで、自分を「上等」の部類だと思っていました。いちおう有名な大学を出て、マスコミで働き、一流企業に勤める夫がいて…。
 いわゆる勝ち組の端くれだろうと奢っていたのです。

 一方、私の代わりを務めてくれた子は、彼氏もいないし、私より若くて高卒で安月給。

 だけどそのとき、一瞬にして悟ったのです。

 汚れ仕事を避けて、人任せにして、私って全然ダメじゃん。
 
 やるべきことを淡々とこなす彼女のほうが、全然凄い。
 人間として、私よりずーっと上。

なんというか、価値観がガラガラと崩れたというか、ひっくり返ったというか。
 そのボランティア体験は、私にとって、そんな、忘れられない日になりました。




 話が変わってしまうけれど。

 …私の中に抜きがたくあるアカデミズムに対するアンチな感情は、ここらへんで生まれたのかもな。
 難しいこといろいろいうけど、オマエ汚れ仕事できるんかい!
 みたいな。

 なんのことはない。
 その感情の根底は、情けない自分への嫌悪感だったってわけだ。
⑥さあ、はじめよう
2013年11月18日 (月) | 編集 |
(ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)



「さあ、はじめよう」と思って、大した長期計画もなしにとりあえずはじめちゃうのもありだと思うんです、私は!


でも、家族支援職資格課程では、何かを始めるための計画と評価計画の科目(program planning and evaluation)があって、それだけで4か月丸々みっちり勉強します。


これをものすごーーーくザックリお伝えしますと。


 “なにかすること”は、何年かかかる大がかりなもの、一日で終わるもの、団体としての活動、個人としての活動、いずれもひっくるめてプログラムと総称します。

 で、自分のプログラムを作るときには手順があります。

 まずはニーズ調査。

 自分が温めているものが、求められているか、自分のコミュニティにあっているのか、まずはそういうことを調べます。
 調べ方は、アンケート、鍵を握る人へのインタビュー、グループインタビューなどいろいろ。今ならネットやSNSを使う方法もあるかもです。
 ただ、自分が当事者で、自分も、周りも、このプログラムを切実に求めているという確信があれば、このニーズ調査はいらないかもしれません。

 で、温めていたものが必要性があるだろうと判断されたら、次に、プログラム作りに取りかかります。

 プログラム作りでまず大事なのはゴール。それをすることによって、なにがどんなふうにかわってほしいのか、という目的です。これを決めます。これがぶれちゃうと、途中でわかんなくなっちゃうので慎重に。

 次に、そのゴールに見合った具体的な目標(オブジェクティブ)を決めます。ゴールが抽象的なのに対し、こちらは具体的です。

 で、あとはそのゴールとオブジェクティブを実現するためにどのような活動をすればいいのか詳細を決めていきます。
 
 理想を言えば、この時点で、プログラム計画と同時にプログラム評価計画を立てておきます。そうすれば、プログラム実行と並行してそのプログラムの評価ができるのです。

 ちなみに、ここでいう“評価”とは、決してレッテル貼り的なイメージのものではなく、ダメ出し的なものでもなく、純粋に、次回以降の改善につなげるための冷静な行為です。
 そこをがっつりわかっておかないと、“評価する”という行為は違うものになってしまいます。お気をつけて!

 って、なに言ってるかわかんなかったかしら。

 以前、家族支援の方法を解説した時に作ったまとめ資料をコピペしてみます。
 これにそってやれば、とりあえず小さいプログラムは実施できるはず。

プログラムプランニング

1地域のニーズを調べる・自分たちの力量を認識する・ニーズを想定する

2調査内容を整理する

3プログラムのゴールを立てる

4それにそった具体的目標を立てる

5プログラムを実施する

6成果を検証する

7検証した内容をレポートする

レポートを元にプログラムを改良する


プログラム例
 自主グループ                 
 センター設立
 ニュースレター発行
 家庭訪問
 先輩のアドバイスグループ
 地域フォーラム
 他団体との共同プログラム
 支援グループ
 ワークショップ
 講座
 講演
 セッション
 各地域でのセッション
 フェア、イベント
 一対一のコンサルテーション
 一学期制の資格コース

この他にも事業のスタイルは多様です。
これにこだわらずに立案してください。

プランニングにおける留意点

・いったい自分は何のためにこれをやるのか、を忘れない。
・する側もされる側もリソースベースド(自分たちの持っているものを生かす)
・「楽しそう」「面白そう」でなければ人は振り向かない。内容とネーミングを工夫
・託児、アクセス補助(例;高齢者大学におけるバスの運行)、手話通訳など、
 そのプログラムにとって必要な付随サービスに気を配る
・対象者は当事者だけでない(アドボカシー=弁護・代弁活動 含む)
・マイノリティー(少数者)のニーズも忘れない
・エバリュエーション(事後評価)計画をあわせて作っておく

書き込み式プランニングシート

1対象ニーズ(どんなニーズを満たすためのものか)

2自己資源の確認(できること、持っているものを確認)

3事業目的(結果として期待すること)

4事業概要(内容と目標)

5事業概要(対象者)

6事業概要(実施主体・協力団体)

7詳細(場所)

8詳細(時期、時間帯)

9詳細(宣伝/周知方法。複数)

10詳細(付随サービス。託児、送迎など)

11その他事業実施に関する留意点

12事業評価プラン(今後のより良い事業展開にむけて)

その他



こんな感じです。

参考に、この手順で作った私のプログラム「連続講座お産ワークショップ」のチラシを載せておきましょうか。

この場合ゴールは悔いのない出産の実現、オブジェクティブは出産者が必要な知識と方法を選択する力をつけること、となります。これもファミリーエデュケーションプログラムですね。

                   ****

2回連続講座・めざせ素敵な出産!
お産ワークショップ のご案内
あなただけのバースプラン(お産の詳しい希望を説明したもの)を創りませんか。
より多くの女性が悔いのない出産を、という願いから生まれたワークショップです。
ぜひご参加ください。

日時と内容 

第一回 ・月・日(・) 10:00~12:00 「いいお産って なーに?」
二人の素敵な女性(助産師さんとお産の研究者の方)をゲストにお迎えして、出産経験者も交え、グループトークをします。トークには現代出産事情、様々な出産スタイル、お産の常識点検、いろんな国、いろんな時代のお産など、多岐にわたるお産の情報が盛り込まれます.多様な選択肢の中から、一人ひとり、自分にとっての「いいお産」を見定め、用意されたバースプランシートを記入していきましょう。

第二回 ・月・日(・) 10:00~12:00 「いいお産を しよう!」
前回で見えてきた自分にとっての「いいお産」、または作成したバースプランを、では、どこで、だれと、どうやって実現することができるのでしょう? 引き続き助産師さんにゲストに来ていただき、又、各施設出産者の経験談も交え、グループトークをします。悔いのない出産を実現するための具体的な方法を、いろいろと考えていきましょう。

場所 ・・・・・・ホール 4階 和室1,2(℡・・・-・・・・) 
     ※ 駐車場有り(30分まで無料、以降1時間まで・00円、以後30分ごと・00円)
対象 妊娠中の方、妊娠を予定している方、またはお産に興味のある方など
※ 託児ボランティアがおりますので、乳幼児連れの方もお気軽にどうぞ
定員 10名前後(先着順)
※ どちらか1回でも参加できますが、2回とも出席できる方を優先します
会費 2回で300円(1回のみ200円)
※ 会場および資料代です。ゲストは無償できてくださいます。

主催 「お産ワークショップ」実行委員会
問い合わせおよびお申し込みは…林 ℡080-・・・・-・・・・ まで

♪ 参加したいがこの日程では都合がつかないという方、問い合わせ先までご一報ください。
♪ 特定の宗教や営利目的の活動とは一切関係ありません.ボランティアの主婦による企画です


                    ****



また、評価=エバリュエーションをもっとしっかり計画に組み込むすぐれたモデルがありますので、そちらも載せておきます。翻訳(私家版)はワードファイルなので、ブログに載せる方法がわかりませんでしたー。だから原文のほう。ごめんなさい。

プログラム論理モデル(英語)

クリックしたら開けると思います。
由美子さん
2013年11月17日 (日) | 編集 |

「食べさせて、お風呂いれて、着せて、ウンチおしっこの世話もして……。これ以上アタシになにしろって言うのよ!」

 この過激な発言の主は、私の盟友・由美子さん。大学生の頃から、日本でダンサーをして稼いでは、世界放浪の旅に出ていたというツワモノ。
 しかし、私と出会った頃は、サラリーマンの夫と2人の未就園児を持つ、ごくごく普通のお母さんでした。

「だって、私の周りって俳優になりたいとか画家になりたいとか、夢を食べて生きているような人ばっかりだったじゃない? だから、毎日、きちんと会社に行って地道に生きている今の旦那が、とっても新鮮だったのよ~~。それで、思わず結婚してダンサー引退しちゃった(笑い)」

 けれど、なにしろ彼女、一時は劇団四季にもいたという本格派。専業主婦になった今でも、ついつい本格派を目指してしまいます。
 アトピーの長男に配慮した自然食品中心の手作りの料理、いつもきちんと整えられた部屋、子育てその他の託児つき講座にはまめに顔を出すし、子どもたちは毎日必ず屋外遊びに連れて行く。

「こんな生活、一人で気の向くままに世界各国を渡り歩いていたアタシにとっては、まるで鉄の玉を二つ、足に鎖で繋がれているような気分よー」
 というのが彼女の口癖。しかし、そんなグチをこぼしながらも、今では一日中子どもたちのために頑張っているから、
「お母さん、いつも子どもと向き合いましょう。家庭でのしつけというのは大切で云々……」
という保育の専門家のお説教に対して、冒頭のような悪態をついてしまったという訳です。

 彼女には何気ない一言でしたが、私には今でも心の拠所。

 子どもの相手だけをする「保育」と、家事育児その他まるごとの「子育て」は違います。特にお母さんひとりでやる「子育て」では、子どものために家事を理想的にこなそうとすればするほど、子どもと向き合う時間は削られていく。子どもと向き合おうと努力すれば、今度は、食事作りや掃除を手抜きしないと一日が終わらない。

 そんな「子育て」の現実の前で立ち往生する時、私はいつも彼女のこのセリフを思い出し、「そうだよなあ」と独りつぶやいて、クスッと笑みがこぼれます。

(2005年 北海道東神楽町 広報誌 に掲載)

ナツコさん
2013年11月15日 (金) | 編集 |
 ナツコさんはとても興味深い人です。

 稲垣足穂とあがた森魚が大好きで、アマチュア劇団員の過去を持ち、ピアノが弾けて、絵が描けて、その上書道は師範の腕前。長身にアニエスbのワンピースがよく似合う、なんと、元・保育士さん!

 そんなユニークな彼女ですが、今やっている『お母さん』業が、一番のお気に入り。子ども関連の様々なイベントに、いつも楽しそうに参加しています。もちろん、幼稚園の役員なども厭いません。
ただし、『お母さん』業に付き物の、料理・洗濯・掃除は、あまり好きではないそうで、カレーを作れば最低三食は、家族全員それを食べ続けるというし、掃除は文字通り「四角い部屋を丸く掃く」ので、帰宅後の夫が、ブツブツいいながらやり直すという…。

 また、彼女の日常に欠かせないのは、買物とお酒。
ヒマさえあればデパートをうろうろしたいというだけあって、彼女の双子の娘たちは、いつも安くて可愛い服や小物でキメています。
お酒のほうは、時には私たち幼稚園仲間とも飲みますが、主な相手はN子さんという幼馴染。N子さんは時折ナツコさんの家にやってきては、しばらく滞在するのですが、その間は、二人で飲んだくれて、毎日午前様。

「寝てないのよ~」
 と、少し困ったような笑顔で、赤い目をして幼稚園の送りに来たこともありました。

「自分の資格も活かさず、夫の稼ぎで暮らしているのに、家事もろくにしないで、買物三昧。挙句の果てに、毎日飲んだくれて、二日酔い状態で幼稚園の送迎とは、母親失格ではないか…」
 ここまで読んだ人の中には、そんな意見を持つ人もいるかもしれません。

 でも、ちょっと待って。

 実は、ナツコさんの幼馴染・N子さんは、精神的な病を抱えていて、社会生活が困難な人。母親との確執が病の一因でもあるため、自分の家にいるのが辛いときがあり、そんなときは、しばらくナツコさんの家に滞在するのだそうです。ナツコさんは、この滞在を毎回嫌な顔一つせずに家族で受け入れ、この古い友人が側にいる間は、ビール片手に、その訴えに丁寧に耳を傾けているのです(ナツコさんは、離れているときも、いつも彼女のことを気にかけています)。

 たとえ、家事をろくにしなくても、買物三昧の酒飲みでも、自然体で心を病む人を包み込む、深い優しさを持つナツコさんを、私は『ものすごくいいお母さん』だと思っています。

(2005年 北海道東神楽町 広報誌 に掲載)
effective
2013年11月13日 (水) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)

                     
                  effective

 つまり、効果的かどうか。というのが、北米の家族支援ではとても重要視されます。
 アクションを起こすなら、最小限の力で最大限のアウトプットを求めるのは、考えてみれば、ごくごく当たり前の話なんだけれども、私の印象では、日本の家族支援の場合は、「効果的かどうか」という点に、そこまで真剣に重きを置いてないような感じがします。

  effective~効果的~であるためには、ホントは、しっかりとしニーズ調査やプログラム計画が求められるんだけれども、そこまで考えていない、旧泰然とした前例踏襲的なものって、まだまだ多いよね。

 具体的に言うとさ、成人教育のセオリーで「大人は聴いただけでは学びが少ない」というのがあるのに、今だフツーに講演会やってる。講演会のすべてがダメとは言わないけど、聴くだけで学びにつながるには、話者の圧倒的パワーが必要だと思う。でも、それだけの話者を用意しているケースは少ない。
 テキストの言葉を借りれば、講演会で聞いた話はたいてい「夕飯を食べる頃には忘れてしまう」。
 
 じゃあ、どうするか。
 そこで、家族支援職資格課程では、プログラムプランニングアンドエバリュエーションって科目でみっちり学ぶことになるのだ。私もこの科目とりました。

 だから、どうすればいいか、を私は知っている。知ってはいるんだけど…。 

 実はワタクシ、“しっかりとしたニーズ調査”とか“プログラム計画”とかめんどくせえなあって思っちゃうタイプなので(>_<)、習ったはいいけど、セオリー通りに大きなプログラムを運営した経験はないんです。もっと言ってしまえば、やりたいとも思わない。自分が気まぐれなのわかっているから、自分ひとりが関わって数週間レベルで完結するくらいがちょうどいいです。

 というわけで、何年もかかる大規模なものは経験ないけど、それでも、小規模のものを主催したときや、あるいは主催者がいて、そこからイベントや企画を依頼されたときには、必ず、習った事や自分のアイデアを織り交ぜて、effectiveであることへの「あくなき追求」はやめませんでした。

 北海道に住んでいた頃は、ファミリーエデュケーターとしていろんな方に仕事をいただいて、一緒に創らせてもらって、楽しかったなあ…。怖いもの知らずな私のeffectiveであるための提案を、いろいろ受け入れてくださってた北海道の皆さん、あらためて感謝です…。

 「ところで、いろいろ偉そうに言ってるけど、アンタeffectiveであるためになにしてたの」っていう話になるのかなあと思うけど…。
 
 えーと。
 基本、私の支援はオーダーメードなので、プログラムに沿ってeffectiveをそれぞれ考えるから、ここで披露できる万国共通みたいな工夫ってあんまりない…(^_^;)



 とりあえず、家族支援の勉強の中で「へえ」と思った、effectiveの工夫を挙げておきます。


 “茶菓はぜったい”って習ったっけな。
 参加者に簡単な飲み物やお菓子を用意することで、参加者に対する歓迎の意を表すとともに、参加者をリラックスさせ学びに対するハードルを下げる、んだって。

 そう、そういうちっぽけなことさえ習うんですよー。

 あとまあ、そこにあるニーズに合致させるとか、エバリュエーションを同時進行するとか、プログラムの目的がブレないように明文化して共有するとか、王道的なこともいっぱいやるんだけれども。

 驚いたのは、ファミリーエデュケーションでは、講座の前後の時間さえ戦略的に考えるということ。始まる前とか休憩時間とか終わった後とか、参加者の本音が聞けたり、支援のヒントが聞けたりするから、そういう時間をおろそかにしてはいけない、って。
 言われてみれば本当にそうなんだよね…。

 とにかく。
 みなさん。

effective が大事だそうです。

 
 
⑤ひとことで、「おやしえん」といいましても…
2013年11月12日 (火) | 編集 |
 (ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)

 「おやしえん」と5文字でまとめてしまうには、あまりにも多様な「おやしえん」ww。

 前は、福祉的なものと教育的なものと大まかに分けたりもしたんだけど、それもまた複雑に絡み合っているからねえ。
 それでも、ざっくり分けると、たとえば保育や子育てひろばの提供、就職支援、住居支援などは福祉。親教育プログラムやワークショップ、セミナーなどは教育的プログラムかな。

 自分が、だいたいどっちの方向か、なんとなく把握しておいてもいいかもです。

 あと、結構陥りがちなのは、「やりたい支援」と「ほしい支援」のミスマッチ。

 母親側は、子どもを預かってくれさえすればいいと思っているのに、親教育プログラムを提供されちゃうとか。

 白状しやしょう! あたしゃあ、かつて現役母時代に、母親向け託児つき講座のことを講座つき託児と呼んでおりました! 講座、ほんとはいらないんだけど、2時間無料で子どもを見てくれるから仕方なく出席、みたいな。
 そう、上記の例は私の実体験でございますー。

 送り手側がやりたい、受け手側がほしい、と思える落としどころが見つかれば最高なんだけど。

 ただ、人間自分の知らないことは発想できないから、経験して初めて、それが必要だったんだと感じることもある。だから、必ずしもほしい支援ありきじゃないんだよね。やりたい支援を極めたら、そこにニーズが生まれることもある。

 なんていろいろ考えずに、すぐに自分で始めないで、自分のミッションと似ている既存の団体に参加するのもアリですよね。そこが居心地が良ければ、そこで力を発揮すればいい。
 
 そうでなくて、そこにはない支援の仕事を、かつてない支援の仕事を、自分はやりたいという場合は、まずは計画を立てるところから始めます。

 
はるみさん
2013年11月11日 (月) | 編集 |
「今日が結婚記念日? じゃあ、子どもたち預かってあげるから、夫婦二人でディナーに行ったら?」
 と、こともなげに言うはるみさんに、驚いたのは私のほうです。

 だって彼女とは、そのときまだ数回立ち話した程度の間柄。しかも、うちの子は手のかかる乳幼児二人。それを、いともたやすく「預かる」なんて…。私はこの一件で、その気さくで優しい人柄にすっかり参ってしまい、彼女と急速に親しくなりました。

 はるみさんとの出逢いは9年前。夫の転勤で引っ越した東京のマンションに、彼女が住んでいたのが始まりです。以来、私が北海道に移るまで、私達は、たくさんの同じ時間を過ごしました。

「無駄も大事よ」

 ぜったい計算通りにいかない子育て生活を、子無し時代と同じように効率よく進めたがる私に、先輩母さんの彼女が、苦笑しながら言った言葉です。
 
 今振り返ると、たしかにその通り! 子どもと無為に過ごした、当時の私には「無駄」としか思えなかった時間こそ、キラキラ輝く宝石のような思い出になっているから不思議。

 ある駅のベンチでのエピソードも忘れられません。子どもたちが食べ散らかしたクッキーくずを、ベンチのだけでなく周囲の地面に散らばったものまで残さずティッシュで拾うはるみさん。パッパとおざなりに、ベンチの上だけを手の甲で払う私に、彼女は弁解するように言ったのです。

「ほら、後から来る方の靴底に付いたら申し訳ないじゃない?」

 …ああ、この人は、赤の他人を含めたすべての人に対して、深い思いやりを持っているのだなあ。それに比べて私ったら。後から来る人のことなんか知ったこっちゃない、ただ人目を気にして体裁を整えただけ。恥ずかしいなあ…と、落ち込みました。

 ところで、実ははるみさん、若かりし頃、OL時代に貯めたお金でフランス留学をした経験があるとか。
「それがね、当時恋人だった、夫の国際電話と手紙攻勢に負けて、たった2週間で帰ってきちゃったの(笑)」
 そして今では「若草物語」のような四人姉妹の『お母さん』。

 私には、なんとしても彼女を日本に連れ戻して、妻にしたかった夫の気持ちが、よーくわかります。

(2005年 北海道東神楽町 広報誌 に掲載)
 
変化の階段(Staircase to change) 
2013年11月10日 (日) | 編集 |
このカテゴリでは、すでにおやしえんを実践している人が、知っているとラクになるミニ知識を書いていきますね。


 では、まずは「変化の階段(Staircase to change)」について。

 カテゴリKey Words にて、家族支援、コミュニティ支援の目的は「make a difference」と書きました。世の中を、人をちょっとだけいいほうに変えよう、という精神です。このミッションのもと、そのひとつの方法であるファミリーエデュケーションも、当然、参加した人が少しだけでも変化することを期待して行われています。たとえば、子どもへの声かけや、家族についての考え方などが、正しい方法にではなく、その人がより幸せになるために変化することを、目指しているわけです。

 ただ、家庭支援職の資格課程でも、カナダの家族支援団体がまとめたファミリーエデュケーションの手引書でも、この「変化」ということについては、しつこいほど解説をしています。

 それは、この「変化」というのが曲者で、なかなか手ごわい相手だからです。

 さて、変化を解説をする理論はいくつかあるのですが、一番わかりやすいのが変化の階段です。
 階段状の図を使って、人間の内面的変化が、実際どういうふうに推移するのかを詳しく分析しています。
 階段は4段。その4段階のタイトルだけ書きますね。


4段目.考えることも気づくこともなくそれができる

3段目.考え、自覚していなければそれが出来ない

2段目.知っているけれど出来ない

1段目.知らないし出来ない


 この4段を、人は長い時間をかけて、行きつ戻りつしながら、あるいはある段階で立ち止まりながら、ゆっくりゆっくりと登っていくそうです。もちろん、この段階それぞれに詳しい説明があるのですが、それを書くと長ーく長ーくなってしまうので、ここではカットします。本当は、変化の階段だけでなく、変化理論全体について、詳しくちゃんと知っておくと絶対いいですよ。


 まあとりあえず、とにかく、人間の、社会の変化・変容は、そう簡単に起きるものではなく、たとえ変化したとしても元に戻ることがあり、大局的に行って非常にゆっくりとすすむものなのだ、と知っておきなさい、と家族支援学は説いています。


それを知っておけば、支援者は、目の前の現実にうろたえなくてすみます。

 誠心誠意仕事をしても、相手が、あるいはコミュニティが変わる様子が見えないとき、無力感や焦燥感にとらわれず、落ち着いて推移を見守ることができます。今は変わらなくても、必ずその礎となる仕事をしたのだと信じて、現実を焦らず受け止めることができるのです。
 
 

 

TRAILBLAZER
2013年11月05日 (火) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)

これは、私が課程を修了するときに、担当教授からプレゼントしてもらった、だいじなだいじなことば。

TRAILBLAZERとは、道を切り開く人、という意味。転じて先駆者という意味に使われるそうです。

卒業式出席のためカナダを訪れた際に、日本人で初めてのファミリーエデュケーターとなった私に期待を込めて、リタ・ローゼン博士が言ってくれたのです。

「あなたは、TRAILBLAZER」

と。

あれから十年。

本来なら、日本のファミリーエデュケーションのTRAILBLAZERとして、日本の世間や常識という大きな岩を小さなつるはしでたたいてたたいて、ほとんど崩せなくても、それでも、この国にファミリーエデュケーションを根付かせるべく、日夜精進しているべきなのに…。
どうしても小学校の先生になりたくなって、卒業後も仲良くしてもらっていたトム先生に相談した時にも、「君は日本全国の何万人の人々より、教室の二十人を選ぶのかい?」って反対されたのに…。

結局、今、小学校の産休教員をしている私…。

ごめんなさいリタ…。ごめんなさい、トム。
(ドクターローゼン、ドクタージジーと呼んでいたら、カナダでは、師弟もファーストネームで呼び合うのだと二人に諭された)

私はリタが言った意味よりもっともっと、TRAILBLAZERなのかもしれないです。

昔は真っ暗闇のようだった子育て支援というフィールドが、時代の流れとともに、少し開けてきたように思えたから、今度は、学校という森に分け入りたくなってしまったの。

そう、今は学校の森のTRAILBLAZERなのだ。

↑うまく言ったな、おい!(セルフつっこみ)

そして、このぶんだともしかしたら
また数年後、新しいフィールドを見つけて“TRAILBLAZER”しているかもしれないです。



私ってヤツはそもそも、リタに言われる前からずっと、そしてこれから先もずっと死ぬまで、どうしようもなくTRAILBLAZERなんじゃあなかろうか。

……めんどくせー性分だな。





アヤゾー!
2013年11月03日 (日) | 編集 |
 誰もが振り向く美貌と、磨き上げられた肢体。メンソールの煙草をくわえながら深緑色のランドローバーを駆る姿は、とても『お母さん』とは思えません。ファッションも革新的で、夏にはよく、臍だしルックで幼稚園のお迎えに現れました。その影響でお父さんたちのお迎えが、急に増えたとか増えないとか…。これが、長女の通った幼稚園で、保護者仲間だったアヤゾーこと、彩子さんです。

「アヤゾーや。アヤゾーって呼んでやー!」

 見た目とは裏腹に、誰にでも、こんな調子で気軽に話しかけてくれるアヤゾー。ルックス以上に魅力的なのが、その開けっぴろげな性格とナニワ育ちの心意気でした。親しみやすい大阪弁で親にも子どもにも、先生たちにも大人気。
 アイルランド留学、カメラマン、木工作家という華麗なる遍歴を持つ彼女が、最終的に選んだのは、電気工事屋のおかみさん。なんでも、仕事場に電気工事に来た今のダンナさんに一目惚れして、押しかけ女房になったそう。 

「まあ、アタシが押し倒してモノにしてしまったようなもんや! ダンナが結婚の申し込みに来た時、うちのお父はんなんか『ほんとに、こんなやつ、もらっていいんですか』なんて言うんやでえ。ひどいやろー?(笑)」

 嫁入り後は、次々生まれた3人の男の子と同居のお姑さんの世話をしながら、電気工事士の資格も取得。アーミーパンツに黒のタンクトップで、ダンナと一緒に電信柱に登る日々です。

 そんな彼女の口癖は、
「大人が楽しくなかったら、子どもも楽しいわけないやんか」
 三〇歳を過ぎてからサンバに目覚めた彩ゾー自身、その言葉通り、いつでもどこでも、音源持参で踊って楽しんでいましたっけ。そして数年後の今では、なんと電気屋兼プロのサンバダンサー! 浅草のサンバカーニバルはもちろん、テレビのバラエティやJリーグのイベント、果てはスマップのコンサートにまで出演したそうです。

 先日、久しぶりに会った時も、
「ランドローバー売り飛ばして、そのお金で2週間、ブラジルに修行に行ってきたんやー!」
 と威勢のいいこと。その間の子どもたちの世話は、お姑さんとダンナさんが。日頃よく皆に尽くしている彼女だからこそ、家族も、快く送り出してくれるのでしょう。

『お母さん業界』には、こんなスゴイ人もいるんです。

(2005年 北海道東神楽町 広報誌に 掲載)