日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
聡明な彼女 ~80年代の想い出~
2013年10月30日 (水) | 編集 |
最近また、デビッドボウイを聴きはじめた。思い出してしまったの。
行きつけの美容院の若い子が、私の薦めでボウイのビジュアルを見て感動し、Tシャツを買ってしまったというからさー。やはり美しさは永遠。



さて。

そのボウイをさかんに聴いていたあの頃。1980年代。



17歳・女子高生の私。
生意気盛り。


その頃の私には、非常に聡明な友人がいた。





episode 1


ある日、高校の教室で。

私はその聡明な彼女を前に演説をぶっていた。

「子どもを産むとか母乳をあげるとか信じられない。ビルばっかり建てて文明にまみれて動物じゃないような顔して生きているくせに、人間ってなんでそこだけ動物的なわけ??? 文明人現代人の一人として、私はそういう動物的な営みは絶対しない。子どもなんか絶対産まない。自分の乳を赤ちゃんが吸うなんてありえない」

聡明な彼女は黙って私の話を聞いていた。

そして少し呆れたような顔で私に言った。
「で、あんた、老後はどうすんの?」



episode 2

高校生活も終りに近づく頃、そこそこの進学校だったうちの学校の人たちは皆、大学受験のために必死で勉強していた。見栄っ張りな私も、今や死語となりつつある「東京6大学」のどこかに入りたくて、人並みに勉強を始めていた。

そんななか。
聡明な彼女はほとんど受験勉強をしなかった。

今よりもっと、早稲田だの慶応だのという学校ブランドが幅を利かせていた時代に、

彼女は平然と、
「受験が簡単で資格が取れるところに行くの」
と言って、
ほんとうにほとんど勉強せずに有名とは言えない大学に入り、しかし無資格で卒業したばかな私と違って、しっかり国家資格を手にして卒業、就職は安泰。収入も安定。

だから、
聡明な彼女は、いつまでも親元に住んでフリーの仕事を続ける私を尻目に、さっさと親元を離れ、横浜で優雅なひとり暮らしを始めた。

なんてスマートなひとなんだ。




epilogue

その後。
彼女は、いつの間にか一流企業勤務の現在の夫を見つけ、しっかり適齢期に結婚、男女の子どもに恵まれ、早くにマイホームも構え、果ては夫の海外転勤に伴い、アメリカ西海岸での暮らしを何年もエンジョイ。そして先ごろ日本に帰国した。

絵にかいたような幸せな人生を送り続けている。

それに、
ちゃんと男女の子どもを生んでいるから、彼女の老後は安泰である。17歳のあの日、私に教えてくれたとおりに。


最後まで聡明な彼女である。





……全て実話よ。






いかに学校システムのただなかにいて規格外な自分を持続させるかという課題について
2013年10月29日 (火) | 編集 |
 学校システムは、「立派な社会人」を育てるところです。そこのセンセイである以上、人としての当然のマナーを守ることができ、人としての当然の教養を身につけており、人間関係においても当然の心配りができ、そのうえで、そういうふうに子どもを導く人間であるのは、当然の話。
 ガッコウのセンセイとは、そういうひとのことです。

 だから今、ガッコウのセンセイである私も、そういうフリをしています。

せいいっぱい。

 だけど、ほんとはちがうんだ。

 なにしろ、若い時には、大学まで出してもらったくせに就職せずにフリーライターなぞになり。
 30を過ぎてからも、子どもを3人育てなきゃいけないのに、それをほっぽって、カナダ国内向けの通信教育に、無理やり、はるか日本から強引に入学してしまい。
修了したらしたで、またまた無理やりファミリーライフエデュケーターなどという日本にはない資格で仕事を創ってしまい。
その上、その、せっかく創った仕事をまた放り投げて、今度は40を過ぎてから、ガッコウのセンセイの資格を取って、ガッコウにもぐりこんでしまうようなヤツなんだ。

 そもそも、常人には特異な音楽であるパンクロックが大好きで、
世間の常識より、自分の信念が大事で、
世の中とはなかなか折り合いがつけられないし、
ごくごく普通の日常生活をおくることさえままならず、
家族生活では、さんざん周りから嗤われているようなズッコケ母さん。

40数年の人生を、周りの人から
「かわっているね」
「変な人だね」
と言われ続けたこのワタシ。

そこにあるギャップは恐るべし。

だけど職場のだれにも本性は見せられない。
だって、学校は、基本的には、学校的価値観を信じている人たちの集まりだから。
 ああ、感覚自体が違うんだなあ、とひそかに思うことも割と多い…。

 それでも、子ども向けイベントなどと違って、集めなくても頼まなくても、子どもがわんさか集まってきて、そこで様々な活動をする「学校」は、私にとって、すごーくすごーく魅力的な場所。
そこにとどまりたいから、センセイのフリをする。センセイとして通用するために精進する。
 そうしているうちに、学校が掲げる教育という理想の実践に、知らず知らずのうちに染まりゆくのを感じる。

たとえば、

もともとは、
「子どもだって、食べたくないものは残してもいいんじゃない」
なんて能天気に考えるタイプのはずが、

「給食室の方々は、給食を作ることも、お皿を洗うことも、毎日大変な思いをして、あなたたちのためにしてくださっているんです。その方たちのことを想えば、しっかり食べること、そして食べ残しをきれいに取るのは当然です! しっかり残さず食べて、きれいにしてからお皿を出しなさい!」
と、子どもを説教しているベテランの先生を見て、

「ああ、こうして、丁寧に一つ一つの場面で思いやりというものは教えていくべきなんだなあ」
と素直に感動したりしている。

「あいさつをしよう!」
ごもっとも。
「じかんをまもろう」
そりゃそうだ。

「外で元気に遊ぼう」
「手を洗おう」
「思いやりを持とう」
「粘り強くがんばろう」
そりゃもうほんとに、間違ったことは一つもない。
    ・
    ・
    ・
学校システムが子どもに教えようとしていることは、どれもこれも、
「正しいこと」
なんだもの。
「そうだよなあ」
って思っちゃうし、
「そうでしょう」
といわれれば、なにも抗うことはできない。

 だけど、なんだかしっくりこない。

うまくことばでいえないけれど、
うーん、えっと、
「正しいこと」ばかり並べているだけでよいのだろうか。
とおもうのです。
「正しいこと」ばかり並べるのは、もしかしたら正しいことではないのではないか。
とおもうのです。

結局は自己弁護?
自分が、「ちゃんとやれない」人間だから、「ちゃんとやれること」ばかりを求められて、苦しくなっているだけなのかなあ。

そうまで合わないところに、なぜ居座り続けるんかい。迷惑な話だ。

ハハハ…。実は、
ワタシの心の奥底には、センセイとして学校に居続けて、
「学校(ここ)」を、もっともっと居心地のいい場所にしたい、という野望のローソクが密かに灯っているのです…。

 とりあえず、人が驚くようなバカなこと、思いつかないような変なことを、言ったりしたりし続ける規格外の人間のままで、ありのままのワタシで、ガッコウにいさせてもらいたいなあ……。

私がファミリーエデュケーターになったもう一つの理由
2013年10月29日 (火) | 編集 |
女性向けエッセイ「幸せになろうね!」

みんな本当に働きたいのだろうか?
実は私、今でこそファミリーエデュケーターなぞという怪しげな仕事をしているが、かつては「夫に働かせて自分は猫のように食べて寝て遊んで暮らすのが理想」とうそぶいていた人間なのだ…。
だから結婚するとすぐ「世間に合わせて、夫が仕事、妻が家事をして、夫の収入を夫婦の収入と考えたほうが得」と彼を説き伏せ、私が仕事をやめた。このやり方は今でも私のお気に入り。大人二人分の家事なんて屁みたいなもんだから、私は残りの時間を自由に使えて、とーっても楽しかったのだ。
苦しくなったのは子どもが生まれてから。もともと、「子どもを産まない」が結婚の条件で、公共の場で泣く乳幼児に冷たい視線を浴びせていた私。それが諸般の事情により立場逆転。まさか私が、公共の場で泣く子を抱えて小さくなるほうになるなんて! 二人分の稼ぎを持ってくる夫はそれだけ仕事時間も長い。出来る限り手伝ってはくれるけれど、基本的に一人でやる乳幼児の子育ては本当に辛かった。 
「命を産み育てる、って世の中で一番大切な仕事を一手に引き受けているお母さんたちが、幸せじゃないなんておかしい!」
すっかりお母さんの立場になった私は、そんな“熱い思い”に衝き動かされるまま、「本当に役に立つ子育て支援」を探して、大きなお腹で大学院の授業に潜り込んだり、ベビーカーを押して図書館に通ったり、授乳しながら専門書を読んだり。挙句の果てにはeラーニングでカナダの大学に入学。そして独学を始めて13年目の39歳の秋に、とうとう“熱い思い”は仕事になった。以来、洗濯物を干しながら講座の構成を考えたり、3番目のチビ(幼稚園年長)をひざに乗せながら原稿を書いたり…と、働くことと子育てが溶けあった生活を続けている。
“子育て支援”も仕事となると本当に大変。プロとして絶え間ない研鑚が必要だし、プレッシャーもある。家族や周囲の協力も不可欠で申し訳なく思う。仕事をしなければ、もっと気楽な人生だったかも…と後悔もよぎる。
それでも仕事をやめられないのは、日本中のお母さん(またはそれに代わる人)たちがまだまだ幸せとはいえない状況が見ていられないから。
専業主婦として子育てのリアルを知り尽くし、独学で広範な知識を得、しかもカナダ流支援の真髄を学んだ私だからこそ、「世間の常識」や「専門家の指導」でがんじがらめになったお母さん(またはそれに代わる人)たちの見えない縄をほどいて、本物の支援を届けられるかも、と自惚れているのだ。
私はとにかく、全てのお母さんたちに、自分らしく生きて、幸せになってほしい。働く主婦と専業主婦という二者択一はもういらない。カタチで言えば、プチ起業、社会起業、パート、バイト、フルタイム、遊び人、ボランティアなど、理由で言えば、お金のため、自己実現、社会のため、家族を養う、人生を愉しむなど、選択肢は様々にある。今までどこにもなかった生き方を創ってもいい。厳しい状況があったとしても、嘆く、笑い飛ばす、敢然と立ち向かう、その選択は自分次第だ。
さあ、二十一世紀の母親たちは、従来のカテゴリーには納まりきれないってところを、世間に見せつけてやろうよ! 幸せになろうね!

(2004~5年ごろ、九州の雑誌に掲載)今読むとちょっと、いやかなり恥ずかしい。恐れを知らないヤツだなこいつは。今の私はもっと謙虚であります。
私(マミ)がファミリーエデュケーターになった理由
2013年10月26日 (土) | 編集 |
忘れられない事件

 始まりは1989年です。
 覚えていますか? あの女子高生コンクリート殺人事件を。4人の少年が1人の少女を監禁、虐待、陵辱した後、死んでしまった彼女をコンクリート詰めにして海に捨てたあの事件です。私にはあのときのショックが忘れられません。「なんでこんなことが起きてしまったのだろう」と、何日もそのことばかりを考え続け、そして「二度とこんなことが起こらないために、いったい私に何ができるのだろう」と、ガラにもなく悩まずにはいられませんでした。当時、マスコミはこぞって事件を分析・報道し、それによって私は、犯人の少年たちがそれぞれ事情は異なるけれど、共通して決して幸せとはいえない子ども時代を過ごしていたことを知りました。『すべての犯罪、すべての憎しみ、すべての戦争はその原因を探れば不幸に辿り着く』――イギリスの教育家・ニイルのこの言葉と重ね合わせ、私は直感しました。「そうか、『幸せな子ども時代』こそ、悲劇を繰り返さないために必要なのだ!」と。「だから私は『幸せな子ども時代』を創ることを目指せばいい」。学童保育指導員、子育て勉強会の主宰、子育て関連の読書、講演会、子育て支援ボランティア、そして自分や仲間の子育てを通して、私はその方法を模索しました。その間にもいくつもの哀しい事件が起き、やるせない気分にさせられながら。

『幸せな子ども時代』って?

そもそも『幸せな子ども時代』って具体的にはどういうものなのでしょう?
両親が揃っていること? 裕福なこと? 自然に囲まれて暮らせること? モンティソーリやシュタイナーなどの教育法を受けること? みなさんはどう思いますか。私が出した結論は、なにはなくても、まるごと受け入れてくれる母親(またはそれに代わる人)と、温かく包んでくれる家庭(またはそれに代わるもの)さえあればいいのだ、というものでした。「じゃあ、私はどうやって母親や家庭を支援できるのだろう」。次に私はこの疑問を抱えることになりました。

カナダの子育て支援との出会い 

そして、その答えを教えてくれたのが、カナダの子育て支援だったのです。彼らは言います。「完璧な親などいない」「ケアしている人(おもに母親)ほどケアしてあげよう」。カナダでは、子どもが、どんなにひどい親でも自分の親を求めることを見据え、誰よりも親自身を子育ての主役として輝けるよう、指導ではなく支援をする態度を貫いています。これこそ、私が理想とする形でした。だから、そのカナダの子育て支援を具体的かつ体系的に学べる資格プログラムがあると知ったとき、私は反射的に「受けたい!」と思ってしまったのです。もちろん悩みました。すべて英語で勉強しなければいけないし、現地のスクーリングもあります。3人の子持ちの私にできるかどうか・・・・・・。それでも支援活動を通して資格がないことの壁を感じていたこと、36歳になって、このまま年を取っていくのかなあと焦るようなむなしいような気分に襲われたことが、私の挑戦を後押ししました。子育てと勉強の両立は、「なんでこんなこと始めちゃったのだろう」と弱音を吐きたくなるようなハードな毎日ですが、座右の銘「心に永遠に乾かない涙を」(福井達雨=障害児差別撤廃運動家)を胸に、初心に帰っては自分を奮い立たせています。

(2001年、講座受講中に執筆)
④そんなことよりはじめちゃえ
2013年10月26日 (土) | 編集 |
 (ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)



 ここでは、なるべく平易な感じで、おやしえんへの「launch」(新しいことへ踏み出す感じの意味の英語)をサポートしたかったんですが、なんだか、書いているうちに難しくなってきちゃった。
 前回(③)を読んでみて、そう思ったんですが、みなさんはいかが。

 まあ、いちおう私がカナダの大学で教わったのは「家族支援学」なのでね。それに、そもそも西洋人って理論とか枠組みとかからはいる思考法っぽいし。
 その、習ったことに基づいて書いていくと、ああいうふうになってしまう。

 ※お断りしておきますが、ここに書いてあるのは、私が習ったことを、私というフィルターを通したものですので、「家族支援学」そのものではなくて、オリジナルに近い感じです。


 というわけで、オリジナルついでにこのような提案もしたいです!

 
もう、なんかいろいろかんがえたりしらべたりするまえにはじめちゃえ! 

 今まで解説してきたことと、思い切り矛盾してますけど。

 リスクを避けるとか、うまくいくとか、効果を上げるとか、そういうことを考えるなら当然、セオリー通りにやるべきだし、その方が成功するし長続きもすると思うけど、準備しすぎて、熱い思いが冷めていくのはとってもさびしいことで。

 はじめちゃって、走りながら考える。

 そういうやり方もあるし、迷惑や失敗をたくさんすると思うけど、それもまた良いのかなという。

 そういうことを温かい目で見つめるような、たっぷり大きな度量で考えていくのもアリかな、と。

 そう思ったりもします。
③コミュニティを知る
2013年10月14日 (月) | 編集 |
(ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)

 さて、自分をなんとかわかったら、つぎは、自分が活動したいなあと思っているコミュニティについて、よく知り、よくわかる必要があります。

 はじめるまえに、ようすをみる。
 中を知ったら、今度は外の…、という感じかな。

 ちなみに、この文脈での「わかる」という言葉は、英語では「comprehend」(コンプリヘンド)と表現します。ただ“理解する”のではなく、じゅうぶん、たっぷり、よくわかる、という意味合いです。

 「community」(コミュニティ)という言葉も、にほんごで「地域」と訳されがちなのですが、実際には「人の集まり」というニュアンスで使われることが多いみたいです。

 特に、今みたいなネット社会では、地域的なつながりではない、趣味が同じ、状況が同じ、そういう人のつながりが飛躍的に実現しやすくなっている。だから、「community」(コミュニティ)のにほんご=「人の集まり」になった方が、時代に合っているかもね。

 コミュニティを知るまでの道筋は二つあると思います。

 ひとつめは、自分がどんな活動をしたいのかを決めるために、コミュニティを知るという道筋。
 これは、言い換えると、ニーズ調査ともいえます。

 とくにどんな活動をしようということはないのだけれど、地域コミュニティで活動しようということだけ決めている人なら(というか、家族支援はそれが基本なのですが)、その地域に、どんな特徴があり、どんな問題があり、どんなニーズがあり、そしてどんなリソースがあるかを知らなければなりません(このニーズ調査もいろいろやり方があるのですが、またそのうち紹介しますネ)。

 たとえば、高齢者が非常に多い、という地域で、複数の高齢者にインタビューしてみると、車社会になって郊外に大型店ができて小さな店舗が減り、買い物に不自由しているという。しかし一部の店では配達サービスやネット販売もある。車を運転できる高齢者もいる。

 という具合。

 この場合、別のカテゴリー「key words」で紹介した「community economic deveropment」の理論(またそのうち紹介しますネ)を使えば、「make a difference」が実現できるかもしれないということが見えてきます。


 ふたつめは、自分がどんな活動をしたいかが明確に決まっていて、そのフィールドに存在するコミュニティについて詳しく知るという道筋。


 たとえば、ひとり親家庭を支援したい、と思えば、その人たちは今この国にどのくらいいて、どんな政治的措置があって、どんなニーズを持っていて、どんなリソースがあって、どんな先行支援団体がいて、というもろもろをまず知る必要があります。

 いずれの場合も、始める前に完璧にする必要はありません。たぶん「comprehend」(コンプリヘンド)は、活動しながらでなければ完成しないですから。

 ただ、なにも知らないままアクションを起こすのは乱暴すぎます。

 それでうまくいくこともあるかもしれないけれど、ここでは、リスクを最小限にする方法を選ぶことをお薦めします。
 
学校は家庭を知らない 家庭は学校を知らない
2013年10月12日 (土) | 編集 |
(ちょっと刺激的な内容かもしれません。関係者で気を悪くされる方がいたらごめんなさいだけど、私の願いはただ一つ。両者の良い関係を築くことであります…。)


 主婦兼ファミリーライフエデュケーターの私が、ガッコウの先生になってわかったことは、学校は家庭のリアルを知らないし、家庭も学校のリアルを全然知らないんだなあ、ということでした。

 考えてみれば当たり前。両者とも、出会うときは「よそいき」の顔をしているのだもの。

 今回はちょっと真面目にこの辺を考察してみました。

親(や地域の人々)。

 普段学校の日常を見る機会のない親や地域の人たちが、「よそいき」の洋服で着飾ったガッコウの授業参観や学校公開に何回か行ったところで、学校のリアルなんかわかるわけないのに、そこで見聞した断片的な記憶が、親たちの口からあらゆるところに学校全体のイメージとして語られる。

 先生たちの子どもへの愛情やトータルな仕事ぶりは、一日くらいでは分からないのに。
 授業参観で見たことと、本質的な事実が違うことだって往々にしてあるのに。

 だけど、親や地域は、自分の見た材料で、しかも印象やイメージで、学校を判断する。
 ガッコウは、それがわかっているからこそ、よけいに「よそいき」の服で着飾ろうとする。

 しかも、多くの人が、ガッコウを愛すべき地域リソースとして好意的な目で見るよりも、メディアに煽られて、学校を批判的にみることが正しいと信じていたりする。

 だけど、誰だって、批判的に見られて萎縮しないわけがない。
 逆に、信じられたら、実力以上の力で頑張れるのに。

 つまり、一部の親や地域は、正しいことをしようとしているつもりで実は学校を悪くしていることだってありうるのだ。
学校のほうもメディアに目をくらまされているのか、大きい声に耳を傾けてしまうのか、批判したがる声だけに顔を向け、よそいきの服を作るために忙しくなっている。

普段着でも十分素敵な場所なのに。
普段着の学校を応援している人もいるのに。

ガッコウの先生たち。

 ガッコウの先生たちは「あるべき子どもの姿」にこだわるあまりに、家庭の現実まで思いが至らない。
 先生たちは情熱を持って、教育(正確には学校的教育)に邁進している。
 ほんとうに。
 家庭が想像しているよりずっーと、一人一人の子どもに心を砕いている。
 だからこそ、
「ちゃんと朝ご飯を食べさせてきてほしい」「学習用具はきちんと用意させてほしい」「素直な子に育てておいてほしい」
 と切望している。

 タニンデアル、ジブンタチガココマデガンバッテイルンダカラ、オヤナラソノクライハスルベキダ。

 だけど。
 家庭というところは、子どもの世話だけを専門にやっているわけではない。
 それに、家庭の方では、ついうっかりの朝ごはん抜きや忘れ物が、子どもの学校的活動にどれだけ影響しているかを知らないということもある。

 いろんな事情もあるだろう。

 母親自身が心の病と闘っているかもしれない。
 介護を抱えて、生活が多忙を極めているかもしれない。
 父親だけでは経済的に厳しく、夫婦で働いているかもしれない。

 特に事情がなくたって、日々の生活でやることは山ほどあるし、人間だれでもうっかりすることはあるから、子どもの持ち物に不備があることはある。

 子育て、それ自身だって。
 ただでさえ、戦前的規範がなくなり激しく価値観が多様化する社会の中で、誰に教わるわけでもなく手さぐりで子育てをしている現代の親なのだ。

 そうそうだれもがうまくいくわけがない。

 だけど、ガッコウの先生に注意されたら、ほとんどの家庭は、自分の考えや家庭の状況をガッコウに伝えることなく、ガッコウのリクエストに応えようとするか、あるいは弁解せずに黙ってしまう。

 一方先生たちは、確固とした考えを持っている人が多く、自分とは違う存在や考え方を、丁寧に想像し思いやるという習慣はあまりないから、そんなカーテンの向こう側の家庭のありようには、あまり気付かない。

 そして、ガッコウの先生の専門性は、教科教育と児童管理であって、家庭支援ではない。 だから、たとえ家庭のリアルに気づいても、ガッコウにはその支援の十分なリソースも時間もない。
 それなのに、求められると、真面目な人たちだから、持てる力で最大限応えようとする。

 そして現状が繰り返され続ける。

......だから。

 言葉にすると、ベタな話になっちゃうけれど、結局、お互いを信じて、いろんな現状を隠さずに話し合い、伝え続けること。それだけがこのギャップを埋める方法なのだと思う。

 だって、親とか、先生とかいう前に、同じ日本語を使っているにんげん同士なんだもの。