日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
Community Economic Deveropment
2013年09月29日 (日) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)



「Community Economic Deveropment」

この言葉を知ったのは、2000年。
何のことやら、さっぱりわからなかった。

ただ、

英会話もおぼつかない私が、ライアソン大学家庭支援職資格認定課程入学のための電話インタビューで、
「PLEASE」連発で無理やり入学を勝ち取った時の条件が、

まずは1科目やらせてあげる。
そのパフォーマンスで、本格的に資格コースに入学できるかどうか決める。

というもので、

なおかつ、家族支援職資格認定課程で、条件なしですぐに申し込める科目が
「Community Economic Deveropment」しかなかったから、内容も知らずに申し込んだ。

という(^_^;)。




もちろん今はわかっていますよ!

にほんごで、地域活性化とかまちおこしとか街づくりとかって呼ばれるものは、
英語では「Community Deveropment」といい、
それに経済活動を絡めるのが、
「Community Economic Deveropment」です。
2000年当時、「Community Economic Deveropment」は、北米のコミュニティワークのトレンドでした。


今から考えるとすごくおもしろかったなあ。

「Community Economic Deveropment」の意義から存在理由、起業のハウツー、実例など、とにかく多角的徹底的に学ぶんだけど。

コミュニティで活動したいと思った時のハウツーが網羅されているサイト「COMMUNITY Tool Box」の存在(町の人にインタビューしに行く時の服装の注意まで載っているんだよ!)や、
電信柱やガードレールがたっているわずかな公共の地面に勝手に花を植えて、街を美しくしてしまう「ゲリラガーデン」や、
グローバルとローカルの両方を併せ持つグローカル(glocal) という新造語や、
イサカアワーやタイムダラーなど有名な地域通貨のストーリーや、

もうホントにいろんなことを教わった。

それに、

前に書いたとおり、ビッグイシューについて習って数年後に日本で創刊されたり、
フードバンクについて習って数年後に、日本でフードバンクを外国人が始めたり、
マイクロクレジットシステムのグラミンバンクについて習って数年後にムハマドユヌスがノーベル賞とったり。

日本人が知らないことを先取りしてたくさん知っていた優越感も、たっぷり味わわせてもらいました。

あれから13年。

今朝、何気なくテレビを見ていたら、NHKの番組で、「Community Economic Deveropment」というワードは使われていなかったものの、まさに「Community Economic Deveropment」といえる日本の実例を特集していて、びっくり!

今までも、ちょっとずつ、「Community Economic Deveropment」的な活動は日本にもあったと思うけど、テレビで特集されるほどになったとはなあ。

つくづく、10~20年遅れで、日本は北米の進んだ道を辿るんだね。
RCだってアムロちゃんだって、ストーンズやマライヤキャリーをなぞって成功したもんなあ。
逆に、中国とかが、公害問題等、日本と同じ問題をなぞるのも何とかならないかなあと思うし。

そういえば。

私も、10年前は、私の勝手な10~20年遅れ仮説に従って、日本の子育て支援業界がより成功し、よりリスクを減らすために、先取りして私が学んだ、ススンデいる北米の家族支援理論や実践を日本に伝えよう!ってちょっと燃えたんだっけな。
結局あんまり注目されなくて、すぐ萎えてしまったけれど(当時、私の話に耳を傾けてくれた、ほんの少しの人達には一生感謝します)。

なんでも、早すぎるとメジャーにはなれないもんだ。
音楽業界も然り。「有頂天」も「ケンジ&トリップス」も「ピーズ」も、早すぎたからイマイチ売れなかったと今でも信じている私。

こんな言い方すると、自分がすごいけど早すぎてメジャーになれなかったって言ってるみたいですね。
違いますね。
私は、すぐに萎えて一生懸命やらなかっただけでございます…。子育て楽しかったから、それも優先しておりました…。ごめんなさい…。

家族支援・子育て支援業界の早すぎる偉人と言えば、「ますのきよし」さんだと思っとります。
80年代初めから、家族や子育てにいち早く注目し、男の子育ても、ワークライフバランスも、そーいう言葉のない頃からさまざまなかたちで提案してきて、しかし、なんと90年代初頭に早くも活動から引退してしまった伝説の人。

子育て支援業界の人々、たぶん「ファザリングジャパン」は知っていても「いくじれん」(ますのさん創設)を知っている人は少ないんじゃないだろうか。



でも、早すぎる人たちは、じわじわと社会を変える下地になっている…きっと…。



あれ? 何の話してたんでしたっけ?w















②なぜ自分を知るの?
2013年09月26日 (木) | 編集 |
(ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)



はじめてのおやしえんカテゴリの①さいしょにやることで、家族支援で一番最初にやることは、自分を知ることと書きました。

家族に向かうのではなく、まず自分を見つめる。

それはなぜか。

家族支援にふさわしい人物かどうか考えるため、なわけがない。
そういう考え方を、家族支援はしない。


ただ、向き不向きというか得意不得意というか、
できれば、どんな性格でどんな人と相性が良くて、とかまで、
そういうことを知ることは、効果的な家族支援にとってとても大切なこと。
(この「効果的」ってことにすごく重きを置いている感じがする。あちらの支援の考え方は。)

カナダの例でいえば、

一番効果的な支援を追い求めて、
中国人移民が多い地域では、学歴や資格より中国語が操れることが求められたり、ダウン症の子を産んだ母親の心理的ケアは、数年前に同じ経験をした母親が担ったりしている。
こういう発想を、私たちももっと明確に意識した方がいいと思う。

自分がどんな支援が得意でどんな支援ができるのか。
逆に、どんな支援が苦手でどんな支援ができないのか。

それをしっかり把握することで一番効果的な支援ができるし、
できないことをやってしまって失敗するリスクもかなり避けられる。
自分を活かす道もわかるし、克服すべき課題も、専門家やほかの支援者に譲るべきポイントも見えてくる。

難しいんだけどね。

知識や経験が増えるたび、
つい、
自分で何でもできるような気持ちになってしまうし、
目の前に応援したい人がいると、
思わず、
自分の力でなんとかしたくなってしまうし、

そもそも、
自分で自分のことなんてよくわかんないし。

でも、できる限り、意識できる最大の範囲でやるしかない。

支援の仕事は、やっぱり責任ある仕事だから、
ゼロにすることはできなくても、リスクは必ず最小限にとどめたい。


実際、私は悲しい例を知っている。

自閉症(と診断されていない)の赤ちゃんを抱えた母親が、「目が合わない」と育児相談を訪れたが、その相談者は、(今からだいぶ前の話なので)まったく発達障害の知識がなく、「もっと愛情をかけて抱いてあげなさい」とアドバイスし、そのアドバイスに従っても、当然母子関係は改善せず、母親は途方に暮れたという。
私は、その話を聞いて、その相談者が、せめて自分が「発達障害のことを知らない」ことを知っていたらよかったのに、と悲しい気持ちになった。

人を幸せにするための支援の場で、
そんなことが起きることのないよう、

まずは、自分を知ることから始めよう。









子育ては苦手!
2013年09月23日 (月) | 編集 |
さいしょの子どもが乳幼児だった頃は、

私は、人一倍、どころか十倍くらい、子どもの発達や心理やしつけや子育て文化や…その他もろもろの知識が豊富だと思っていた。だって、子どもが生まれる前からずっと、毎日図書館で独学をして、さまざまな書物を読んできたし、いろんな人の話もたくさん聞いてきたから。

そして、知識が豊富なのだから、他の人よりずっと格上な子育てをできているはずとも信じてた。
だから、その豊富な知識をみんなでシェアしよう、と「子育て勉強会」も立ち上げた。
それが私の家族支援のスタートだった。


あれから20年か…。

大バカ者だったなあ、と今ならわかる。くそったれだ。

私の20年を振り返ればわかる。

私は絶望的に子育てが苦手なのだ。
それはもう、もって生まれたもの、あるいは人生で培われたものだから救いようがない。

「ファミリーライフエデュケーターだから、自分の子育ては完璧なはず。じゃなきゃ信用できないよ」
という暗黙のプレッシャーにも晒されて、それに応えなければとずっと焦ってた。

ちがうんだ。

今ならわかる。今なら声を大にして反論できる。

「子育て」に不向きな人間だからこそ、本能的に「子育て」を猛烈に学ぶ衝動に駆られたし、
「子育て」に対する自分の困り感が強かったからこそ「子育て支援」に夢中になったのだ。

だからずっと、「子育てに正解はない。一人ひとり違っていいんだ」と伝え続けてきたんだ(もしかしたら誰よりも自分に)。

できないから、学ぶ。できないから、考える。できないから、できない人を応援したい。

だから私は、ファミリーライフエデュケーターなのです。
「子育て」が下手だから「子育て支援」をしているのです。

もしかしたら、子育てを苦にしない人は、子育て支援業界にはあんまり来ないのかもしれない、とときどき思う。支援者としても、参加者としても。
きっと多くのそんな人たちは、支援とは無縁の場所で、すくすくと、普通に生活している。

20年前、「私より知識がない」と私に思われていた「普通」のお母さんたちも、私よりずっと上手に子育てできているんだろうな。



ごめんね、私の子どもたち。
子育て下手のもとに生まれて、苦労をかけるね。



セラヴィ。
それもまた人生。







「ホームレス」と子どもたち
2013年09月21日 (土) | 編集 |
小学生の頃から、ターミナル駅の片隅で寝ているおじさんを見るたび、「うちの押入れには使ってない布団がいっぱいあるのになあ」と思っていた。「持ってない人と余っている布団。持ってきて使わせてあげられたらいいのに」って。でも小学生だからもちろんそれを実現することなんてできず。表面的には、全く何も感じていないような顔をして、おじさんの側を通り過ぎる。ずっとそうだった。もう少し大きくなってからは「私のお財布の千円をあげれば、とりあえずの生活費になるのだろうか」と考えたりもした。でもおじさんに話かける勇気は到底なく、あいかわらず気にも留めていないような顔をして、やっぱり、側を通り過ぎるだけだった。

大人たちは「あれは怠けているからだ」「お金をあげたって酒代に消えるだけだ」って言っていた。「そうなのかな」と思い始めた。

それからずいぶん時が経ったある日、テレビで、ニューヨークのエリートたちが「ホームレス」に炊き出しをしているという海外ニュースを見た。驚いた。理解できなかった。「努力して努力してエリートになった人たちが、忙しい毎日の貴重な休日を使って、どうして怠け者にサービスをしているの?」すっかり大人になった私は、そう思ってしまった。ううん、その頃は日本中がそう思っていたと思う。

(日本のエリートたちが日本の「ホームレス」支援に乗り出したのはそのだいぶ後。やっぱアメリカって時代が日本より10~20年ススンデいるなーと思う。)


大人になった私の、その、マジョリティと同じ感覚を打ち破ったのは「ルポ最底辺」という新書だった。
路上で寝るのは、そのひとが怠けていたからではないとその本は教えてくれた。小学生だった私の素朴な感情は間違ってなかった。人が路上に寝ているのはおかしい。そのままにしておくのはおかしい。ニューヨークの実践の理由もわかった。
(私には背表紙だけで読むべき本を見分ける勘があると思われ、この本も、図書館の通りすがりの棚でその勘が働いて手に取ったものでした!)


それからどんどん、私は「ホームレス」を理解する機会に恵まれた。


「あしがらさん」のDVDも買ったし、「大阪道頓堀川「ホームレス」襲撃事件―弱者いじめの連鎖を断つ」も読んだ。子ども夜回りの「山王子どもセンター」も知った。


ファミリーエデュケーターの勉強でも、「ホームレス」の就労について学び、その一環で「ビッグイシュー」というイギリスのコミュニティワークの取り組みについても習った。習って数年後に日本版が創刊されて超ビックリして超嬉しくて。
以来、街に出ると必ずビッグイシューを買い求め、表紙を胸に抱いて歩き、ささやかな宣伝活動を続けている。





それでも。

私はいまだに実際には「ホームレス」さんに声をかけることができないでいる。

毎年年末に、来年こそはと誓うのに、「TENOHASHI」のお正月炊き出しボランティアにも行けてない。




ヘタレだ。

唯一つできたのは、「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」に参加すること。
ここは、子どもによる「ホームレス」襲撃をなくすために、そして子ども自身の心の「ホームレス」をなくすために作られた団体。
素敵な仕事をしていると憧れている大人たちの作った集まりだったし、授業からMake a differenceという発想にも魅かれて、設立集会に駆けつけた。そして細々とお世話になり続けている。



布団を持っていけなかった小学生の私に、「せめてそれだけだけど、やっているよ」と、心の中で伝えた。


●参考(色のついた字をクリックすると詳細が読めます)
やっと参加できた、
ホームレス問題の授業づくり全国ネット
ホームレス問題の授業づくり全国ネットの新刊、
「子どもに「ホームレス」をどう伝えるか」
私の認識をひっくり返してくれた、
「ルポ最底辺」
そして、
ビッグイシュー
「あしがらさん」
「大阪道頓堀川「ホームレス」襲撃事件―弱者いじめの連鎖を断つ」の新装版
山王子どもセンター
TENOHASHI


※「ホームレス」と「 」つきで表記しているのは、日本で慣用されている「ホームレス」という言葉は、本来の意味で言うと、人を表す言葉ではなく、状態を表す言葉だからです。



Make a difference
2013年09月21日 (土) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)


ときどき、猛烈に思いだして、心を新たに奮い立たせる言葉がある。





「Make A Difference」




これは、カナダ家族支援の合言葉。
にほんごで言うと、
「ちょっとだけ、かえよう」
という感じかな?

自分がなにかしらのアクションをすることで、自分の住んでいるコミュニティを、ちょっとだけでいいからよくしていこう、という家族支援者たちの合言葉。
この言葉を掛け合うことで、モチベーションを、お互い維持していく効果もあるのではないかなあ。

どこでもなんでもそうなのだろうけど、
カナダの家族支援も、助成金や寄付金、自己事業などでお金を集めて、自分たちの活動を実現していくスタイル。0から自分たちで始めているのだから、誰に頼まれたわけでもない。
そこにあるのは、このままじゃいけない。「Make A Difference」を、という熱い思い。

なにもしないで、テレビの前でソファに横たわっていたっていいのに。
難しい取り組みに、自ら身を投じなくてもいいのに。

みんな笑顔で、けして儲かるあてのない活動に、自分のエネルギーを注ぐ。

その姿を見ていると、やっぱり、うるうるしてしまう。


「Make A Difference」の「 A 」がいいんだよね。

ちょっと(A)だけでいいから、ひとをしあわせに、かぞくをしあわせにできたらいいっていう。




私もがんばろ。


①さいしょにやること
2013年09月17日 (火) | 編集 |
(ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)




親を応援する仕事(お金をもらう仕事でも、ボランティアでも、教員や保育士の仕事に付随する保護者支援でもなんでも)にとりかかるとき、いちばん最初にやることは、自分を知ることです。



自分がどんな性格なのか。
なにを気持ち良く感じ、なにを嫌だと思うのか。
どんな考え方のクセがあるのか。
自分の育ってきた経験は、今の自分にどんな影響があるのか。

偏見は持っているか。
知らないことはなにか。知っていることはなにか。

なにが得意でなにが苦手か。
なにに興味があって、なにに関心がないのか。

そして、
自分は社会的にどんなパワーを持っているのか。

ちょっと難しくなってきましたね。
すみません…。


まあ、とにかく、
親支援は、
「自分ってどんな奴なんだ?」
って向き合うところから始めます。




続きは、また、次回。




しあわせのかたまりにであうばしょ
2013年09月16日 (月) | 編集 |
ホームセンターに家族で買い物に行ったのだけれど、
体調が悪くなってしまって、
駐車場に止めた車の中で待っていたときのこと。


目の前の店内出入り口をぼうっと見る気もなしに見ていたら。


小さい女の子の手をひきながら、トイレットペーパーの包みを抱えているお父さんと、
その後をついていくお母さんとお兄ちゃん。

畳マットを抱えて、ニコニコ歩いている年配の夫婦。

たくさんの食料品を買い込んでいる若い夫婦と赤ちゃん。


いろんな家族が、出入り口から次々とはきだされていく。

その様子を見ていたら、
とてつもなく胸がいっぱいになってしまって。

なぜだかわからないけれど、
ここには、幸せがたくさん溢れていると、
思ったのでした。

丸本、金子、山口、そして……
2013年09月14日 (土) | 編集 |
2010年 晩夏のおはなし。







9月某日、夜、我が家のダイニングテーブル。

夏休みの宿題の作文をまだやってないことが判明した、わが小5の息子と、隣で見張る私。

「さあ、書きなさい」
「わかったよう」
 しぶしぶ筆箱から鉛筆を出す彼。
「でも、何書けばいいのかなあ」
「なんでもいいから。なんかないの?」
「あ、みんなプールのこと書いているから俺もプールでいいや」
「それでいいそれでいい、なんでもいいから書きなさい」
「えーと、ぼくが、今年の夏に、がんばったのは、プールです、と……」

 なんとか書き始めてほっとした私は、傍らにあった彼の筆箱を、なにげなく探る。
(そう言えば、算数で、三角定規と分度器を用意しろって言われていたけど、ちゃんと入っているかな……あ、あったあった)

「あれ!?」
 思わず声をあげる。
 息子の筆箱に三角定規はあったものの、大きく油性ペンで『丸本』と書いてある。その上、半分に割れて。なんと、うちの子ったら! 人の三角定規を平気で筆箱に入れて、しかも割ってしまっているなんて…(汗)。
「なにこれ! どういうこと!」
 怒りの鉄拳を振り上げんばかりの私に、彼は書く手を止めて、冷静に答える。

「あ、それ俺の。ほら、名前も書いてあるでしょう?」
 見れば、割れた片方のかけらに、私が書いた彼の名前が。確かに彼のものだ。
「じゃあ、なんで丸本なんて書いてあるの?」
「それ、俺が書いたんだよ。『丸本』っていうのは、この三角定規の名前。ほら、こっちの三角定規と分度器にも、ぜんぶ名前つけたんだよ」
 そう言って取り出したもう一つの三角定規と分度器にも、確かに、大きく『金子』『山口』とそれぞれ書いてある。
(なんじゃこりゃ!)
「いや、ちょっとさ、名前つけてやろうかなと思って、考えてつけたんだよねー。丸本はこないだ割れちゃったんだけどさ」

 爆笑。

 小学生っていうヤツらは、まったく、毎日なんと素晴らしいことを考えて生きているんだ?!

「ねえ、なんでその名前に決まったの?」
「ああ、丸本は、「ギャクマンガ日和」(彼のお気に入りのマンガ本)に出てくる人の名前でー、金子は「イッテQ」(彼のお気に入りのテレビ番組)に出てくる秘境レポート担当の人でー、あ、”秘境”っていうのはね、(標高が)高くて空気が薄くて、気温が低くて砂漠のとこね、でも星はキレイなんだよ」
「そ、そうなんだ…。で、山口は?」
「ああ、あれ、ほんとは山田なんだよ」
「へ?? 山田?」
「ありふれた名前がよかったんだよ。通常的な。だから山田に決めたんだけど、山田って書いている途中に5分休みが終わっちゃって音楽室に行かなくちゃいけなかったから、真ん中の十が書けなくて、だから山口になった」

再び爆笑。

「……ねえ、そのことこそ作文に書けばいいじゃない」
「え?? それは無理でしょう、学校に出すんだよ。文集『練馬の子ら』に載せる代表を決める作文なんだから、そんなこと書けないよ」
「そうかなあ、ぼくはプールでがんばりました―なんて誰でも書くようなくだらないこと書くよりずっと面白いじゃん!」
「ちょっと母さん、それは暴言でしょう」
「…すみません」
「でもどうかなあ。こんなこと書いたら母さん恥かくんじゃない?」
「恥って……忘れ物ばっかりで、夏休みの宿題さえいまだに出していないお前の親っていうことで、もうじゅうぶん恥かいてるわ」
「たしかに!」
「だからそのことは気にしなくてよろしい」
「でもさ、先生から電話とかかかってきちゃうかもよ」
「大丈夫大丈夫。だってさ、文房具に名前を付けるなんて、小学生にしかできないことだよ。文集には小学生にしかできないことを書いた作文こそ載せるべきじゃない」
「いや、普通の小学生はやらないでしょう」
「そうだね、お前ぐらいしかやらないかもね。だったらますます作文にぴったり。小学生らしくて、しかもその子にしか書けない作品を、文集『練馬の子ら』は求めていると思うよ。この作品が代表にならなかったら、それは先生たちのセンスがないっていうことで、本来、これは代表にふさわしい作文になると思うよー」
「えー、それは言い過ぎでしょう」
「でも、とにかくこっちの方がいいって!」
「じゃあ、そんなに言うなら、変えちゃおうかな」
「変えちゃえ変えちゃえ」
「わかった。それなら俺、すらすら書けそう」

 そう言って、彼は3行ほど書いたプールの作文をしこしこ消して、新たな気持ちで、原稿用紙に向かったのであった。

 書きながら、彼は続けた。
「あ、そうだ、丸本、割れちゃったから新しい三角定規買ってね。今度の名前は何にしようかな。野本、澤田、志村……、やっぱ志村がいいかな。」
「もう丸本ってつけないんだ」
「そりゃそうでしょう、丸本はもう死んじゃったんだから。まあ、俺が筆箱に入れていたドライバーに、殺されちゃったとも言えるんだけど」
「……そうなんだー。でも、なんで新しいのが志村なの?」
「そりゃあ、志村けんだからでしょう。でもなあ、小島もいいんだよなあ」
「ああ、小島よしおね」
「あ、そっちじゃなくて電気屋さんのコジマのほう」
 (?? なんでー!)

 ……彼の頭の中には、人生の愉しみが、ぱんぱんに詰まっているんだろうなあ。

(付録 作文「文具に名前つけ」(原文のまま))



「文具に名前つけ」
5年1組 林 **

 夏に文具に名前をつけました。そのことを母さんがおすすめするので、プールからこのタイトルにへんこうされました。
 まず、最初になやんだのが、どのじょうぎにどんな名前をつければいいのかを考えました。頭の中にうかんだのが、わたなべ、山田、山本、山口、ばば、森田、松本、金子、丸本です。
 なんでこの名前がこうほになったかというと、わたなべはなんだかやさしいかんじがするので、とがっていない分度器のこうほにしました。山田、山口、山本は、山は丸っこいので、これも分度器のこうほにしました。ばばは、点がついているのでとんがった感じのイメージなので直角三角形のこうほにしました。森田は、森がついているので、ふくざつな感じで、直角三角形のこうほにしました。あと、松の木は直角二等辺三角形ににているので松本は直角二等辺三角形のこうほにしました。金子は、ぼくのすきなテレビに出てくる目の細いタレントさんが金子なので、目が細いという理由で、細い直角三角形のこうほにしました。丸本はぼくのすきなまんがにでてくるので、とりあえずこうほにしました。丸本はなんで“丸”がついているのに分度器のこうほではなく直角三角形かというと、それは、ぼくの気まぐれです。
 そうして、じょうぎの名前せんきょのはじまりです。見事にじょうぎの名前に選ばれたのが、山田、金子、丸本、に決定しました~。どうして、山田、金子、丸本に決まったかというと、それは、なんとなくです。あとは、じょうぎにきれいにサインペンで字を書くだけです。まずは丸本です。なんとか、うまく書けました。そして金子もなんとか、いい感じのところに書けました。山田はバランスよく書くために、まず山を書いて、そのあと、口を先に書いて、そして、中の十を書こうとおもったそのとき、キーンコーンカーンコーン、かねがなりました。なので、しょうがなく、山田から山口にへんこうされました。そして、新しいじょうぎ人生のスタートです。算数のときにもやくだちました。そして、国語をやるときに、なんと、コンパスを調節するためにもってきたドライバーがじょうぎにささって、われてしまいました。ということで、また新しいじょうぎを買うことになりました。名前は志村です。これからはじょうぎに名前をつけよう。
 ついでに、お母さんがこのことを書きなさいと言ったのは、本当です。

おわり

「あの、しあわせだった日々…」
2013年09月12日 (木) | 編集 |




子どもが生まれたとたん、
すっきりと片付いていた部屋の中は、なんだかいろいろ散乱して。

優雅な主婦の昼さがりは消え去り、
まいにちまいにち、小さな子どもにまとわりつかれて、

この子が大きくなるなんて想像もできず、
この暮らしが永遠に続くような気がしていたあのころ。

だけど時は確実に流れて、
子どもたちは着々と大きくなって。

おむつや絵本やトーマスは、
いつの間にか部屋から姿を消した。

しつこく抱っこをせがんだあの子も、
今では、手をつなぐことさえいやがるのだ。

ざつぜんと、わさわさと、暮らしていた
あの、小さい人との夢中の日々。

ただ毎日を暮らすのに精いっぱいで、
しあわせかどうかなんて、考えもしなかった。

だけど、今ならわかる。
あれは、この上もなくしあわせなじかんだった。

戻りたい。
あの、しあわせだった日々…。

こどもはおもしれえ
2013年09月11日 (水) | 編集 |


こどもはおもしれえ・その1

 うちの息子(長男)が小2の時、お姉ちゃんにせがんで、プロフィール帳を一枚もらって、一生懸命書いていた。
 その内容の一部。( )内は私のコメント。

Q チャームポイントは?
A きんにく

Q 好きなタイプは?
A みずタイプ(ポケモンのことと思われる)

Q 毎日かならずすることは?
A おしっこ(……確かに)

Q 生まれ変わったらなにになりたい?
A うまれかわりたくない(……そういうこたえかたもあるのか!)




こどもはおもしれえ・その2

うちの息子(次男)が3歳くらいの時のこと。
なにかで腹を立てた彼が、私にくってかかった。

「もう、なんでこんなことになっちゃったんだよ! 
お母さんのせいだからね!!!」

?? ちがうぞ。私のせいじゃない。そんな濡れ衣は真っ平ごめん。そこで、

「おかあさんのせいなんかじゃないでしょ!」

すると彼は目に涙をいっぱいためてこう言った.

「じゃあ、だれのせい??? ……気のせいっ?」



こどもはさいこうにおもしれえ


ある日、小学校の地区班(登校班ともいうの?) のイベントで、警察署見学に行ってきた.。

ひととおりの見学が終わり、最後に講堂に集まった時のこと。

「ではなにか質問はありますか?」(警察官)

「はい!」(小6)

「どうぞ」

「その台(壇上にある演台のこと)は裁判に使うんですか?」

「いや、、、裁判はここではしません。これは署長さんが、毎朝、訓示といって、その日の、だいじなお話をするときにつかうんです。君たちの学校でも、校長先生がお話してくれるでしょう?」

「あー、するする。つっまんねーんだよなー! 署長さんの話ももつまんないのー?」

「......」(警察の人たち)

「はい!」(もう一人の小6)

タイミングよく他の少年が手をあげたのでホッとする警察官たち。

「どうぞ」

「あのー、その4文字はどういう意味なんですか?」

 彼の指差した方向は、壇上正面上の壁面。そこには大きな書が飾ってあり、難しそうな4字熟語のわきに、第××代警視総監 井上某 筆とある(私もなんて書いてあるのかわからなかった)。

警察官たち、再び「.......」

 こうして、毎朝訓示を聞くたび眺めている、警視総監様が書いた書の意味を、その場にいる警察官誰一人知らなかった、という事実を、小学生は、いとも簡単に暴いてしまう。

しばしの沈黙のあと、一人の警察官が一言。
「あのー、もっと簡単な質問をしてもらえますか?」

これ実話。
自転車ドライブスルーと言えば(リリコ)
2013年09月10日 (火) | 編集 |
地元商店街の八百屋さん、おなじみの豆腐屋さん、たい焼き屋さん、
新顔ではフランチャイズの唐揚げ屋さん。
商店街に面した小さな店では、自転車ドライブスルーのおかあさんたちをよく見かけます。
さえる自転車ドライブスルー_convert_20130910090234


自転車に、子どもと荷物乗せてどこでも出かけてた頃が、今となってはすごくなつかしいなあ。

子どもが小さい時の、おかあさんのパワーはほんとにすごい。
前後に子ども乗せて買い物荷物は子どもに持たせて、前のめりになって自転車こいでるのを見かけると、
「がんばれ〜!大変な時期はあっという間に過ぎてしまうからね〜」って、心の中でエールを送ってます。







自転車ドライブスルーを開拓する
2013年09月09日 (月) | 編集 |
子どもが小さい時って、なにをするにもスラッといかない。
たかが郵便局でATMを使うだけなのに、0歳と3歳に
*トイレに行かせて
*上着を着せて
*靴を履かせて
*自転車の前後ろに乗せて
*やっと出発。

で、郵便局についたらまた、0歳と3歳を
*自転車の前後ろから降ろして
*0歳は抱いて3歳は手を引いて
*通帳をバッグから出すためにやむなく手を離した3歳が
*どこかへ行ってしまわないかいたずらをしないかを目で追いつつ
*「こっちにいなさい!」と大声をだしつつ
*やっと機械を操作する。

ここまで頑張ったとしても、操作しているうちに抱いている0歳がタイミング悪く泣き出して、もうこっちが泣きたくなったりして……。
独身の頃はATM操作なんて、移動の合間の他愛もない事だったのに……。

スーパーでも同じこと。子どもの好きそうなハンドルつきカートとか、子供用買物かごとか、いろんなサービスが増えたけれど、上記のような、子どもたちのお出かけの用意、自転車からの積み下ろしが軽減するわけではなく…。

毎日の暮らしの中では日用雑貨や食品の買物は不可欠。必要に迫られて重い腰をあげスーパーへ行き
*子どもたちをコントロールしながら
*やっとの思いで買物を済ませ
*さあ帰ろうと自転車をまたいだ瞬間、買い忘れに気づいて、
またこの子らを降ろして連れて行くのか……と暗澹たる気持ちになったことも。
 
そんな中、ウチの近所の和菓子屋さんでの買物はありがたかった。その店は、道沿いにショーケースを置き、店内に入り込まなくても選べるスタイル。みたらし団子や手作りおにぎり、巻き物も置いているので、子育てママに大人気。
お店のおじさんは、前後に子どもを乗せたまま自転車を引く私の様子を、ショーケース越しに見ると、いつも、
「ああ、そのままでいいよ、ちょっと待っててね」
と、わざわざ店内から出てきて、買ったものを自転車の籠にしっかりといれてくれていたの! そのうち、
「手を離すとあぶないから、お財布いじってよければおじさんが自分でもらうよ」
 と、自転車籠の中にある鞄から財布を取り出し、支払いまで代わってくれるように(゚o゚)。

 つまり、客が自転車を乗り付けて商品を選び、それを伝えるだけで買物が済んでしまうシステムが、この店では自然発生的に出来上がってしまったのだ!

 味をしめた私は、これを「自転車ドライブスルー型買物」と名付け、近所でこれができる店の開拓を開始!

 じっさい、昔ながらの個人商店なら、商品が奥に並んでいても、買うものが決まっていれば
「すいませーん」
 と呼べば、お店の人が持ってきてくれるし、価格設定はスーパーより少し高めだけど、仲良くなると、お店の人が子どもにお菓子をくれたりするし。
 そうそう、和菓子屋さんのおじさんみたいに、小銭入れさえ持っていけばそこから代金を取ってくれることも。そういや、昔は酒屋とか、お金をその場で払わなくても「ツケ」で買物できたんだよな…。

 さて、この要領で、いくつか自転車ドライブスルーできる店が出来てからは、私のチビを連れてのお買物、少し楽になりました。
 それに、個人商店で買物するということは、スーパーに押されて客足が遠のく商店街の活性化に、少しは寄与している気もして、妙に充実感もあるのよー。

 個人商店で自転車ドライブスルー、お薦めです!
  

超××過ぎる~
2013年09月05日 (木) | 編集 |
リリコの記憶によると、
「嬉しい」「楽しい」などの形容詞に「過ぎる」という言葉をくっつけて、

「嬉しすぎる」
「楽しすぎる」

などと表現するかたちは、なんと80年代「さえる」の発明なんだそうだ!
残念なことに、マミは一切覚えていないのだが、リリコによると、私たちが雑誌で盛んに使い始めて、同じ雑誌で連載していた山瀬まみちゃんも使っていたとか…。

そういえば。

「超」も、80年代「さえる」が使い始めの一翼といってもいいんじゃないかなあ。

「チョー気持ちいい」
「超オモシロイ」

など、形容詞の頭に使う「超」は、80年代当時のマミのBFの口癖。でも、その時点で彼以外がそんな言葉を使っているのを聞いたことがない。BFオリジナルかもしんない。そして「さえる」は、「超」が市民権を得る遥か前に、この彼の口癖を雑誌記事に多用していた!



でも。
あの「イケメン」という言葉でさえ、発明したライターさんが誰かなんて誰も知らないもんなあ。

だから、これらの言葉が「さえる」オリジナルだとしても、
まあ、どーっちゅーことはないんだけれども。


でもなんか嬉し❤
これが過去の栄光ってやつ?





4コマまんが「子育て支援者マミ」
2013年09月03日 (火) | 編集 |
昔描いた4コマ出てきたので、載せときます。
この4コマ、実話だから!(笑)

マミの、3人の子持ちでありながら、
カナダの大学で資格を取ろうと奮闘する行動力、貪欲にやりたいことを実行するパワーには、心から「すごいな〜」と思ってたけど、
その代わり、家はぐちゃぐちゃ。
でも、なんとか回っていってる。
「あ〜、これでいいんだな」と(笑)

当時のマミ家に遊びに行くのは、すごく楽しかった!
家は散らかってても、子どもは楽しくスクスク育ってるし、
忙しい中でも子どもたちと色んな事にトライして、
子育ても楽しんでるところが、
子育ての後輩だった私にも伝染して、楽しかったのです。


しっかし、あんなに、ダラダラ寝てばっかりいたマミが・・
今は小学校の先生やってるなんて、信じられん。
人生は、本当にわからないものですね〜・・(リリコ)
さえる まみ4コマ_convert_20130905111601

見ただけで私をわかったと思うなよ
2013年09月02日 (月) | 編集 |

 @生活ウオッチャー・西本則子氏のマーケティングによると、世田谷あたりには『3高ママ』が生息しており、活発な消費活動を行っているそうな。
3高、というのは、高学歴、高収入、高齢出産。
自分自身もキャリアウーマンで一年間の育休暮らし。夫と合わせた世帯年収はゆうに1000万円を超える。そして、その財力を武器に、流行のスポットにいち早く登場し、家事の外注、ネットスーパーにネット通販(海外含む)を賢く利用、その他ホームパーティのケータリングサービス、産後の身体やおっぱいケアなど、快適な育休ライフ創出のためには、お金は惜しまないのだとか。

 いっぽう埼玉あたりになると世帯平均年収400万円以下で、トイレのタンクにペットボトルをいれるような節約につとめ、食料品は、自転車の前と後ろに子どもを積んで安売りスーパー、子どもの服は「西松屋」オンリーという母たちの世界が広がっているらしい。

 お見事な母親ウオッチングに拍手と同時に、つまりそれは、お母さん業界にも今はやりの格差社会出現っていうこと?と気づく。

 あらまあ…切ない世の中になったものです。

 しかしなあ…。
住んでいる場所や階層で、そう簡単にカテゴライズされてしまうというのは、母親の一員として、私はちょっとくやしい気がする。

 ハイヒールに巻き髪、メーク完璧の『3高ママ』が、白いコットンシャツにノーメークの
『プレイパーク大好きママ』に混じって活動してますとか、普段はつましく暮らしていても、実はアイリッシュハープ習っていますとか、自然食やシュタイナー教育で子ども育てているけれど、夜はスナックでバイトしてますとか、そういう意外性や得体の知れなさがほしいなあ。

 どうせならそんなかあちゃんになって、

 「一目見ただけで私をわかったとは思うなよ」

 と、世間に向かってたんかを切ってみたい気もします…。