日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
Advocacy
2014年09月15日 (月) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)

Advocacy 
アドボカシー  弁護 支持 擁護

 家族支援の仕事は、家族に向かうだけではありません。
 現代家族の状況を、広く社会に知ってもらい、理解を促すのも、家族支援の大事な仕事。

 たとえば、
「子育ては母親の責任」という根強い価値観に対し、親の置かれている現状を説明し、再考を促すとか、
ひとり親家庭や貧困家庭の現状をレポートし、支援の提言をするとか、
それから、
ひところ巻き起こったワークライフバランスのムーブメントも、アドボカシーといえますね…。

 とにかく、家族の側に立って、家族の代わりに世の中にその現状や、それによって生まれる悩み、困難等を説明していく。
 そして、家族支援が必要なのだという社会的合意を得られるよう働きかける。

 それがアドボカシーです。

 という書き方をするとでかくなっちゃうけど、もっと卑近な場所でも、アドボカシーは可能。
 
 実は、普通に暮らしていても、家族に関する誤解や偏見って、意外とたくさん、目に、耳にしています。
 そういうときに
「そういうこともないんだよ、だって、今ってさ…」
 と現代家族の状況を伝えるささやかなおしゃべりをするだけでもアドボカシー。

 あ、でも、そのためには、まず、家族の現状と家族にまつわる問題について明るくなければなりませんね…。
 そうでなければ、何が問題なのか、どう擁護するべきなのかがわからない。

 偏見や差別に対するアドボカシーも同じですね…。
 なにが偏見で何が差別なのかをわかっていなければ、反対の声を上げることもできない。

 結局、アドボカシーするにも、しっかりと家族支援を勉強しなければならないってことですね。

 家族支援のカバーする範疇は、実は意外と広いのです。
 

 
respite
2014年08月19日 (火) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)

respite  レスパイト
小休止 一休み 一時的休息

 
 訳すと、上のような意味しかないのだけれど、福祉用語としては、恒常的に誰かの世話をしている人が一休みすることをさします。
 元々は、この用法は、高齢者介護のほうから来たという噂ですが、家族支援、中でも乳幼児の子育て支援の世界でrespiteと言えば、小さい子を育てている親が、少しその子を預かってもらって羽を伸ばす行為全体をさします。

 今はどうかわからないけれど、少なくとも私が家族支援を始めたころの日本は、母親が子どもを預けて遊びに行くことがはばかられる価値観がありました。

 だから、そんななかで、respiteは母親(というか、日常的に小さい子の世話をしている親)に必要不可欠でなことあって、むしろ権利なんだよ!といくら私が叫んだとて、当の本人の母親たちが「でもねえ…そうはいっても、気になって…」と二の足を踏むような状態でした。
 支援者たちからでさえ、「用があって預かるならわかるけど、なんでお母さんを遊ばせるために預かるの?」という発言が聞こえることもありました。

 ここ数年教育業界に旅しているので、子育て支援業界の最新事情に疎く、皮膚感覚で今の小さい子の親たちの価値観がどうなっているのか、いまいち掴みきれていないのだけれど、どうなんだろう…。

 respiteは、虐待予防なんですよね、つきつめれば。

 あの大御所精神科医の斉藤学さんも、著書の中で、「彼ら(小さい子)と24時間、365日接し続けると、どんな大人でもおかしくなる。母親なら大丈夫というものではない。」と書いていらっしゃいます。(「男の勘違い」より)

 だから時折,、休むことが必要なのです。

 そういう意味で仕事をしている母親は、あまりrespiteの心配がないかもしれません。そもそも子どもと離れている時間が長いから。
 育児休業の女性たちもそう。子どもとべったり一緒にいるのは限定的な期間だとわかっているから、むしろそれを楽しめる。
  二人目三人目の母親もきっと、うまく手を抜くことを知っているかも。

 だから私は、一番一所懸命な、初めての子を育てている、仕事を持たない母親たちには、とくに積極的にrespiteを利用してほしいと思っています。

 父親や実家、親類縁者、あるいは友人知人に預かってもらう、有料の一時預かりを利用する、それからママ友同士の預け合いというのもあります。方法はどうであれ、定期的なrespiteは健全な子育ての常識です!
 昔の日本はrespiteはなかったかもしれないけど、母親はたいてい仕事(家内業含む)を持っていたし、2歳児でさえ家の前で一人遊びしたりしてたらしいですからね、きっと今より「親がちゃんと見てなさい」プレッシャーは少なかったんじゃないのかな…。

というわけで
 
子育て支援者には、respiteという言葉の意味と意義を、必ず知っていてほしいと思います。
 
 
 


  
outreach
2014年06月14日 (土) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)

 
                outreach(アウトリーチ)

 私は、「出て行って届ける」と訳しています。文字通り、自分たちの場所で待っているのではなく、必要な人にこちらから積極的に支援を届けるという考え方です。
 北米では、予算的にも人員的にも、日本より余裕があるので、早くからこの実践が行われてきました。
 
 と説明していたのがもう10年以上前だもんなあ。

 いまだに、日本でアウトリーチが定着しているとは、到底言えない状況。
 乳幼児の親に対する家庭訪問型支援というのが少しずつ広まっている状況はあるけれど、元々、新生児訪問指導という制度もあったから、その辺はどうなっているんだろう??

 アウトリーチ、なんてカタカナで聞くと、
 支援の必要な人に出て行って届ける、なんて耳触りのいい解説を聞くと、
 
 とっても素敵なことに思えるけど、
 
 実際には、支援を必要と感じていない、支援を受けようと思っていない人のところに行くわけだから、飛び込みの訪問販売営業と同じメンタルが要求される。

 だから、バリバリアウトリーチを実践する余裕のある支援団体なんて、なかなかないですよねえ。
 現状の活動をキープするだけで精いっぱいだと思う…。
 
 そもそも。

 日本にかつてアウトリーチの発想がなかったのは当然の話で。
 だって、日本には、どの地域にもたいてい、濃密に世話を焼き焼かれる関係の「ご近所さん」の間柄があったから。
 アウトリーチなんて必要なかった。
 もっとざっくり言ってしまえば、日本の場合、公的支援の必要性が、北米のような個人主義多民族国家より薄かったのではないかと思うのです。

  でも、もう日本でも、多くの地域で濃密な「ご近所さん」が消えて久しい。
 私(東京郊外出身&在住)の子どもの頃と今の自分の生活という、個人的な経験を比較しても、それは実感としてわかる。

  余談だけれど、私は、濃密な「ご近所さん」が消えたのは、そのダークサイドのせいじゃないかと思っている。ありがたいときにはありがたいけれど、陰口とか世間体とか、そういう裏表的な要素も、「ご近所」にはあって、それを忌避したい人たちが地元を離れて、「ご近所」のない暮らしを始めたんじゃないかと思っているのです。それで、子育てや介護がないときはそれも快適だったのだけれど、いざ、そういう状況になると、個で生きるのが難しくなっていく…。
 なーんて一概には言えないけど、流れとしては、アリじゃないかなあ。
 
  というわけで、
 日本もアウトリーチが必要とされる世の中になってしまったのですが。

 けれど私は思うのです。
 アウトリーチが薔薇色の解決策なんだろうか、と。

 われらが日本の古き良き慣習を、もっと大事にしてもいいんじゃないだろうか、と。

 だって、家族支援の鉄則の一つは、リソースベースド。
 自分たちの持っているものを最大限に生かすってことなんです。
 「ご近所さん」という日本の慣習を、もっと生かすことはできないだろうか。

 そうだ。
 そうだよ。
 アウトリーチの普及より、「ネオご近所さん」の出現を私は望もう。「ネオご近所さん」は今思いついた私の造語で、「ご近所」のダークサイドを捨てて良いところばかりを残した存在をイメージしてます。
 
 陰口言ったりこそこそ噂話したりしない、あったかい人たち。
 困ったときはお互い様と笑って助け合える関係。

 私の頭にイメージとして浮かぶのは、大島弓子の「あしたのともだち」や「ヨハネが好き」という漫画の登場人物たち。
 これらとか、誕生とか、アポストロフィーSとか、もう何十年も時々読み返していて、読むと毎回、泣くんだよなあ。

 また、ちょっと読んでこよう。




 




  
resiliency
2014年05月05日 (月) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)

             resiliency(レジリエンシ―)

 直訳してしまうと、弾力性とか反発力とか、そういう意味になるんですけれど。
 家族支援とか福祉の業界では、レジリエンシ―といえば、人間の持つ回復力を指します。

 ライアソン大学の家族支援職資格課程では、最初に「家族問題」という科目を必修で学びます。

 ここでは、ありとあらゆる家族の周辺の問題について学ぶわけです。貧困、偏見、父親問題、虐待…。まあネガティブな話題が続く続く。何週にもわたって「問題」について学び続けるわけで、来る日も来る日もそんな話ばかりを読んで、こちらはすっかり落ち込んでしまう。

 だけどその最後に、煌めく星のようにさっそうと登場するのが、このresiliency(レジリエンシ―)。

 まずは、現実の問題としっかり向き合い、逃げずに把握する。
 だけど、どんなに深刻な現実があったとしても、人間にはもって生まれたレジリエンシ―(驚くべき回復力)がある、と最後に提示する。そして、私たち家族支援者は、このレジリエンシ―を信じて、それが最大限発揮されるように、支援を提供していけばいいのだ、とこの科目は結びます。

 ホントに救われるんだわ。
 暗澹たる気持ちが。
 最後にresiliency(レジリエンシ―)という力を知ることによって。

 他の誰でもなくその人自身の力で、人間は回復することができる。
 

 ……できるんです。



 

 

 
Community
2014年03月29日 (土) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)

 村上龍氏のテレビ番組で、香川県高松市の丸亀町商店街の再生の顛末を特集していました。
 私も4年住んでいた懐かしの町ですし、子育て支援業界のスター・NPO法人わははネットの地元でもあるこのまち。と思ってチェックしてびっくり。

 コミュニティがあるからこそ再生できた。地域の人のつながりが成功の鍵。コミュニティという資源。

 などなど、十数年前にファミリーエデュケーターになるべく勉強していた時に、ライアソン大学の講座で出てきたキーワードや用語が目白押しにわんさか出てくる。あーびっくりした。

 というわけで、思い出したのでこれを書いています。

 家族支援学では、
「子どもと家族(または家族的なシステム)は切っても切れない関係であり、また、家族と地域も切っても切れない関係である。だから、子どものウエルネスをよくすることと、地域全体がよくなる(ディベロップメントをどう訳すか悩みますがとりあえずこれで)ことは同義である」
 というような考えにたちます。

 だから、子ども単体にアプローチするという実践はほぼなくて、家族や地域全体をよくする実践がたくさんあります。

 それは多岐にわたるのですが、2,3あげますと

家族向け

●ファミリーエデュケーションワークショップ そのコミュニティのニーズに合わせていろいろあります。7人から14人くらいで、子ども抜きで数回に渡って行います。子育て力の向上が目標。

●ドロップイン いわゆる子育て広場。日本だと、子どもを遊ばせる感じだけど、カナダだと生活支援的な意味合いもあるみたいで、古着の交換やフードバンク、おもちゃの貸し出し、昼食サービスなどを併設しているところも多いです。


地域全体

●各種イベント 日本でも結構最近盛り上がってますよね。地域でキッザニア的なのをやったりハロウイン的なのやったり。昔からある地域の祭りとかって、ホントはすごいリソース(資源)なんですよね。それも見直されてますよね。

●プロジェクト イベントより、もっと長期的本格的に地域の状況を改善しようとする試み。5年とか期間を区切ってプロジェクトチームが動く感じ。日本でもこういうスタイルが定着するとわかりやすくていいですよね。

あとこんなのも面白いなあと思いました。

●ゲリラガーデン
電信柱のたっているとことか、地域のちょっとの公共の土のある場所を勝手に花で植え尽くすの。だからゲリラ!

●フードバンク
日本にもすでに輸入されて団体が立ち上がってるけど、缶詰とか日持ちのするもので余剰する食べ物を、困窮者に循環する仕組み。

●ホームエクスチェンジ
子連れ旅行を手ぶらでする方法。同じくらいの乳幼児のある家同士で、家を交換するんだって。それでお互いの住んでいる街を旅行する。やっている人は、これを世界規模でやっているらしい。ロンドンの住人がニューヨークの住人と交換してとか。友達に話したら「日本人には無理だと思う」と言っていたけど。

 というわけで、家族支援学は、昔からコミュニティ活性化を目指しているのですよというお話でした。



 もう一つ、大事なこと。

 Community コミュニティという言葉は、地域エリアを指す言葉ではないそうで。
 むしろ、「人の集まり」と訳したほうが、正しい感じがします。

 ヒトはコミュニティなしでは、生きていくのが難しいそうです。

 私たち現代女性の、子育て最初の頃の「切なさ」「つらさ」って、これも関係していると私は思っているの。
 あの時って、学校や会社や習い事や、何かしらのコミュニティに属する人生しか過ごしてこなかった私たちが、初めて孤独になった時期だと思うから。
 子どもが幼稚園に入ると、幼稚園ママ・コミュニティに入るので、とたんにラクになる(別の悩みがあることもあるけれど)。
 だから、就園前、子どもが赤ちゃんの時から行ける「子育て広場」の役割って、子どもを遊ばせるだけでなく、ママがコミュニティに属した安心感を与えるという側面もあると思っているんだ。

 そして、ネット社会は、新しいコミュニティも生んだよね。ツイッターやブログ仲間とかフェースブックとか。
 その分、ママの孤独って減ったのかなあ?
 


 この年になると、属してきたコミュニティが増えすぎて、幸せだった日々の思い出が重すぎて
 充分幸せな毎日なのに憂鬱なんだよなー(←話が逸れてしまいました(#^.^#))。





 
 
Strength-based approach
2014年03月15日 (土) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)

Strength-based approach

 Strength は、普通は「長所」と訳すのだけれど、この場合は「強み」と訳すのがふさわしいと私の仲間が教えてくれました。

 だから、Strength-based approach とは、強みに注目するやり方、と訳します。
 これも、家族支援の基本となる考え方。
 この反対に位置するのが、Deficit-based approach、つまり、弱み・欠点に注目するやり方。

 問題を解決するために、今でも日本の支援業界は、あるいは教育業界は、良くないところを直す、FIXする方向で考えてしまっている気がします。

 でももうずっと前から、家庭支援学では、強みに注目するやり方を推しているのです。

 なぜなら、それが、effective だから。

 しかし、私は自分の子育てで、この理論を使いませんでした。

 ここが私のめんどくさい性格というか、扱いにくい&気難しいところというか。
 素直に習った通りに子育てすればよかったのに、なんか「自分が知っているからって、それを使っちゃうのはずるいよなあ」とか、「自分の子育ては理論なんかかんけ―なく、素の自分そのままでやろう」とか思って…。

 文字通り、紺屋の白袴。

 結果、人を責めたり厳しい目で見たりする、私の尖ったキャラの影響を多大に受けて、いつもダメ出しをされていた最初の子はすっかり萎縮してしまいました。そして、今では、なにをしていいのか、何がしたいのか、を考えるのがとても苦手な子に育ててしまったのでした。
 次の子は、最初の子のように萎縮はしていないけれど、要所要所では私の厳しい視線を受けていたので、大事な時に緊張してしまうようになってしまったといいます。
 ほぼ私が関わらずに、ただただ、家族から猫かわいがりされ放任状態で育った末っ子だけが、今となっては一番頼もしい。

 こんなところで、図らずも、自ら家庭支援理論を証明してしまいました。

 
 せめて、今、教え子たちには、できる限りStrength-based approachを採用したいと心がけております。

  


 
resource
2014年01月16日 (木) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)


resource(リソース)

 これは直訳すると「資源」なのだけれど、家族支援やコミュニティディベロップメントにおいては、その日本語とはちょっと違うニュアンスで、もっと広い意味で頻用されています。

 私はとりあえず、「もっているもの」と訳しているのだけれど。

 家族支援は自分たちのリソースを自覚して、それを最大限生かすことで、最大限のアウトプットを目指します。家族のリソース、地域のリソース、支援者のリソース、それが大事。
 外から何かを連れてくることは、それらのリソースを吟味して最大限に活用して、それでもなお必要な場合だけ。

 このやり方はリソースベースドといって、家族支援の基本。
 だけど、
 実際には、こんな風に言葉で説明するより、もったやわらかくてあったかいかんじの展開だと思うんだよなあ。 
 少し前の英国映画「フルモンティ」や、スエーデン映画「歓びを歌に乗せて」、あるいは大島弓子の短編漫画「あしたのともだち」あたりを見たら、きっとその空気感が伝わるような気がする。

 自分たちの持っているもので、自分たちの地域を良くしていく。地域の誰かを支援する。
 そんな感じ。


 さて。

 家族支援学としては、このリソースベースドの支援を、どう産み出していくかということを考えるのだけれど。
 

 私が好きなのは、アセットマッピング。

 これは、自分たちのリソースを整理する手法。地域の住宅地図みたいなものに、そこにあるリソース(アセット)を書き込んでいく(マッピング)。
 すると、公民館や学校などの公的施設とその活用法の可能性から、町にあるサービスや個々の住人の特技まで、自分たちのコミュニティが何を持っているかが、視覚的分布的に明確になる。

 明確になれば、それらのコミュニティのリソースを生かした資源が考えられるというわけ。

 当たり前だと思っている、とるに足らないものでも、リソースだったりするから要注意。
 発想の転換で、貧しいと思っていたリソースが宝の山に見えてくることもあります。

 北海道のある集落では、学校と児童館と子どもたちの家とを結ぶ道々に、誰が住んでいてどんなふうに頼ることができるかを描いた地図を、児童館に張り出していました。

 
 ここんちはいつもばあちゃんがいるとか、この店は何時までやってるとか。
 そういうのは、どのコミュニティにもある普通のことだけれど、情報化して子どもたちにそれを知らせることによって、子どもたちはいつも安心安全に登下校したり遊びに行ったりできるというわけ。

 これも立派なアセットマッピング。

ちなみにこれは、アセットマッピングもカナダの家族支援も知らないけど、子どもたちの安全を守りたいと考えた一人の支援者が考え付いて、手作りで作った地図なのでした。


 繰り返しになるけれど、どの国でも、だれでも、支援に真剣に取り組めば、同じようなアイデアに至るんですね…。


 
 
Bottom up
2014年01月08日 (水) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)


 地域密着で、ホントにディープに活躍されている支援者と話をしていた。

 その実践がいちいち家族支援理論に合致するので、
「わーすごい、それ家族支援理論通りだよ! 理論が目の前に現実にあるなんてわくわくする」
 と、驚嘆の声を上げていたら、

 少し呆れ顔で言われた。

「アタシら、そんな学問のことは知らんもん。でもいろいろやっているうちに、一番いい方法模索して、今に至ってるだけよー」
 
 ハハハ! そりゃそうだ。そうだろうね。でも、そうなんだよ! 家族支援学って、そういう学問なんだよ!

 家族支援学は、象牙の塔に閉じこもった学問じゃない。
 地域の支援者達が、暗闇を探るように、時代の必要に迫られて活動しているうちに、自分たちの実践に理論的なバックボーンがどうしても必要になって、1990年代に学者とともに産み出した学問なのです。

 だから、考えてみれば、たとえ国は違っても、すぐれた支援者の実践と家族支援学の理論が合致するのは、あったりまえの話なんだよね。

 彼女の実践だけでなく、北海道中の優れた実践を取材しに行くという仕事をした時にも、文字通り最果ての地で、テレビや雑誌に取り上げられることなく、ネットにさえ現れず、ずっと無名のまま、本人たちさえ自分たちの実践を評価していない状況で、家族支援理論通りの支援活動が展開されているのを、私は、何度も見たことがある。

 そして見る度、北の小さな町々で、身体が震えるほど感動をしたのを覚えている。

 もちろん北国の支援者たちは、カナダ・アメリカの家族支援理論なんて、これっぽっちも知りはしない。
 だけど、少ないリソースでどうすれば良い支援ができるかを考え抜いて、きっとそこに至ったんだと思う。

 すごいよね…。


「家族支援学は、Bottom upだから」
 これは、家族支援職資格課程の責任者だったリタローゼン博士の口癖。

 top downではなく、Bottom upであること。

 Bottom upは家族支援学の自慢である、というより、Bottom upでなければ家族支援とは言えない、というほど、Bottom upと家族支援は切っても切れない。

 現場から生まれる学問。現場を反映し続ける学問。支援の対象者と支援者から学ぶ学問。だからBottom up。

 
 でも、件の支援者は、いちいち驚嘆する私に、意外そうな顔で言った。

「マミちゃんの勉強したことが、そういう、アタシらみたいなもんから生まれたもんだとは知らなかったわ。学問っていうだけで、なんか堅苦しくて、アタシら現場でやってる人間とは関係のないもんだと思っていたからね」

 そうかー。あなたの実践は丸ごと家族支援学の体現なのに、「カナダの大学で勉強した学問」っていうだけで、もうフィルターがかかってしまって、家族支援学が、どこか遠くでよそいきの服を着ているように見えるんだね。

 仲良しの彼女にさえ、家族支援の真髄を、ちゃんと伝えてなかったんだなー、私。 
 
 
家族支援はBottom upだっていうこと、つまり、家族支援学は現場の実践から生まれ、そしてともに歩き続ける理論だってこと、もっともっと、ちゃんと、いろんな人に伝えていかなくっちゃなーって思った。

 
 


 
Face to Face
2013年12月23日 (月) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)


私が家族支援の勉強を始めたころは、ちょうどインターネットでのコミュニケーションが盛り上がっていく頃とリンクしていたから、英語圏では、この「Face to Face」という言葉が、従来の意味(直接顔を合わせる)に、付加的意味合い(インターネットやメールを通じたコミュニケーションではなく)も加えて使われていたように思います。
 ネットやメールがこれだけ隆盛した今でも、いや今だからこそ、この言葉は大きな意味を持つかもしれない、と最近ひしひしと感じています。

 電話でもダメ。直接会うのが大事。

 メールや電話に比べてとても手間のかかることだから、直接会って話をするのは、忙しい現代ではついつい避けてしまいがちなんだけれど。

 カナダの先生に「Face to Face」が大事、と口を酸っぱくして言われました。

 言われたのに、私は、上記の理由からこれをサボったり、あるいは、それに代わるメールでの説明は過剰なくらいがちょうどいいのに、「Face to Face」だけで通用するような言葉足らずのままでオンラインコミュニケーションをしてしまったりして、結局、今までいくつも失敗してしまったように思います。

 心理学でも、非言語コミュニケーションの割合は、驚くほど高いって言われますものね。
 失敗して、痛感しています。たしかにそうだなあって。相変わらずドンくさいんだ、私は。

 だからここでみなさんに。
 私の失敗を誰も繰り返さないよう、書いておきます。

 もちろん現代的ツールを使いこなすことも大事。
 でも、

 家族支援では、「Face to Face」がいちばん大事。

 もちろん、ネット上だけで成立する家族支援もあります。
 でも、通常は、もともとコミュニティワークでもあるわけだし、
 家族支援は、「Face to Face」とともにあるのです。
Principles
2013年11月30日 (土) | 編集 |
(このカテゴリは、マミが、ファミリーエデュケーターの勉強中に、カナダの先生方に教わったりプレゼントされたりした言葉を集めています)

Principlesというのは原理とか原則というような意味。
この12か条は、家庭支援がカナダに広がり始めたときに、こういうのが必要だねということで、カナダ中の家族支援実践者が意見を出し合って作ったそうです。
Principles はとっても大切にされています。

日本の子育て支援にも、共通のPrinciplesってあるのかな?
その前に、すべての家庭・家族支援プログラムをカバーする全国団体がないのか?
知っている人コメントくださいー。


【家庭支援の原則】
The Guiding Principles of family Support ~ファミリーリソースプログラムカナダの資料より

翻訳が大丈夫なのか、はなはだ不安なのだけれども。

1. 家庭支援プログラムは、全ての家庭が支援を必要としていると認識し、全ての家庭に開かれています。
2. 家庭支援プログラムは、既存のサービス、すでにあるネットワークやつながりを補足し、子どもを健やかに育てる家庭の力を支援する政策、サービスおよびシステムを擁護します。
3. 家庭支援プログラムは、表出するニーズを満たすために家族、地域と協働します。
4. 家庭支援プログラムは、良い状態の促進に注目し、予防アプローチを用います。
5. 家庭支援プログラムは、個人、家族および地域の長所を伸ばす機会を増大させます。
6. 家庭支援プログラムは、家族生活における相互の深いかかわりを認識し、環境、状況を考慮した視点で運営されます。
7. 家庭支援プログラムは、相互支援とピアサポートを評価し促進します。
8. 家庭支援プログラムは、子育ては一生をかけて学び続けることと宣言します。
9. 家庭支援プログラムは、サービスへの自発的参加を是とします。
10. 家庭支援プログラムは、平等と多様性への尊重に基づいた関係を促進します。
11. 家庭支援プログラムは、すべての家族メンバーに安全性とセキュリティを保証するために非暴力を主張します。
12. 家庭支援プログラムは、絶えず、どのように、どうやって活動しているかを反映し続けることによって、より良い方法を探求し続けます。