日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
今年 とはいわずとも いつか実現したい保育について
2016年01月03日 (日) | 編集 |
 前にもちょっと書いたのだけれど。

 私には実現してほしい保育がふたつある。

 ひとつめは、

 ウイークリー保育。

 どうして、世の中には、一時預かりと常設保育しかないんだろう。

 働きかたにもグラデーションが出てきたんだから、
 保育にだって、その中間のグラデーションがもっとあってもいいと思うんだ。

 でも今は、一時預かりまたは常設保育じゃない保育に対する公的資金の制度がないから、
 そういう保育は採算が取れない。

 でも、週1、週2、あるいは週3での保育ってあっていいと思いませんか。
 だいぶ助かる人、絶対多いと思うんだけどな……。

 もうひとつ。
 
 図書館や体育館の平日の一時預かり!

 図書館や体育館の平日利用は、もちろん休日より少ない。
 その遊んでいるリソースを十分生かすためにも、

 それから、
 
 乳幼児のケアギバー(マジョリティは母親だと思うけれど)が、 
 世帯としてちゃんと税金を払っているにも関わらず、
 子育てという鎖によって、
 公共施設の利用から排除されている状態を解消するためにも、

 週に2時間でいいから、一部施設だけでもいいから、
 託児サービスを付与することを
 予算化してほしい

 と思う。

 そんなに大それた要望かな?

 どことは、だれとは、言わないけど、
 税金の無駄遣いをちょっとだけやめるだけで
 ぜーんぜん、できることじゃないかな……。



⑫包括的に・全体的に
2014年09月06日 (土) | 編集 |
(ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)

 家族支援にはいろいろありますが、北米のファミリーエデュケーションは、グループトークの形をとるのが一般的。
 日本的に言うと、「少人数講座」的なイメージかな。

 で、そういうことをやるときに、メインじゃない時間を大切にしなさい! と向こうの先生に強く言われました。

 メインじゃない時間というのは、講座の始まる前や、終わった直後、あるいは講座の中間の休憩時。
 そういう時間を、ないがしろにするなんてとんでもない、というのです。 
 なぜなら、そういう時間のほうが、参加者がリラックスしており、本音の発言が出やすく、悩みも打ち明けやすいから、メインの講座の時間よりももっと、支援のチャンスが広がっている、というのです。

 私は忠実この教えを守って、講座をするときには必ず、会場準備や片付けのお手伝いをし、講座前後、中間休憩の時間に、積極的に参加者の輪の中に入れていただいていました。

 初めて参加する方がいれば、話しかけて講座前の不安を和らげ、一人参加の方があれば、休憩時に寂しさを感じないように配慮し、終わった後の仲間づくりがしたそうな人に声をかけ…。

 すると確かに、講座のなかではうかがえないような話が聞けたり、また、講座に戻った時に、前半より話が弾んだり、講座の後に自主グループが生まれたりするという効果がありました。
 また、参加者だけでなく、主催者の方とも、いろいろな意見交換ができ、より効果的な講座を実施することもできるのです。

 前にも書きましたが、最も効果的な方法を考えるのが家族支援のやり方。

 どんな機会も逃さずに、貪欲に支援を探ります。

 たとえば、このほかにも、茶菓は講座に不可欠と言われました。参加者にリラックスしてもらうための必需品だと。
  ティーブレイク・コーヒーブレイクという言葉を持ち出すまでもなく、たしかに、茶菓があることでリラックスしたり、親近感が増したりってありますよね。
 だから絶対用意しなさい、と。…でも、日本の公民館には、飲食禁止のところが多いもんねえw。

 それから、私が講座の依頼を受けたときには、これに加えて、可能であれば畳あるいは絨毯敷きで、ペタッと平座りできるお部屋の用意もお願いしていました。
 イスとテーブルより、やっぱり畳のほうが、お互いの垣根が低くなって、リラックスして話せるんですよね。
 不思議ですねえ。

 とにかく、リラックスして、心地よく講座に参加してもらう。そして、その雰囲気の中だからこそ、参加者の皆さんが差し出してくれる一輪ずつの言葉の花を、ファミリーエデュケーターが整えて、あるいは少し必要な花(言葉)を添えて、言葉の花束にして、抱えて帰ってもらう。

 そんな感じかな。




 というわけて、
 家族支援では、プログラム(講座その他すべての))実施時間だけではなく、参加者が現れて帰るまでを、包括的に全体的に支援の場として自覚し、効果的な動きをするのが肝要なのでアリマス。

 

  
 
 
 
 
⑪「保育」と「子育て」と「子育て支援」そして「家族支援」の違いについて
2014年08月30日 (土) | 編集 |
(ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)

 先日のコラム(子育て支援員)について、「保育」と「子育て」ってちがうの?というご質問をいただいたので、それについて書きます。

まずは、「保育」と「子育て」の違いを、項目別に見ていきましょう。

「保育」
                                   
集団/グループで行う                          
分業制(掃除、洗濯、食事作り、施設管理、対外交渉、財政など)
原則として病児保育、重度障害児保育は行わない       
就業時間内労働                            
子どもに対する最終責任を持たない
               
「子育て」

個人で行う
全てを母親(またはそれに代わる人)がマネジメントする
病気、障害もケアする
在宅児の場合24時間
子どもに対する最終責任を持つ
              
          
 というように、乳幼児の面倒を見る、躾をするという面では、同じように見えるこの二つですが、
実は決定的に違うんですよね。
 けれども、「保育」と「子育て」は、しばしば混同あるいは同一視されており、その結果、日本の「子育て支援」は主に保育士が担う傾向にあります。
  しかし保育士の主たる専門性は「保育」にあり、「子育て」あるいは「子育て支援」にあるわけではありません。
 
 ここを明確に押さえておかないと、いろいろと不都合が生じます。

 「保育」と「子育て」は、別のもの。

 「子育て支援」は、「子育て」の「支援」。

 ですから「子育て支援」は、「保育」ではなくて「子育て」にについて知識経験のある人が、なおかつ「支援」とはなにかについても了解・習得して初めて可能になるのです。
(ただし、レスパイト提供を含む一時預かりは、保育士が保育の専門性をもって努めることができる子育て支援です)。  
幼稚園教諭においても、同様のことが言えます。

 けれども、「保育」と「子育て」の混同ゆえ、今まで、多くの保育士さんは、保育士であるというだけで「子育て支援」を任され、あるいは託され、取り組む必要に迫られてきました。
 そしてカンのよい人ならすぐに「なにかちがう」と気づき、そしてその結果、自助努力によって「子育て」や「子育て支援」を少しずつ掴みながら、支援的活動をしてきたことと思います(少なくとも私の知っている保育士さん達はそんな感じです)。

 でも、

 「保育」と「子育て」は、別のもの。

 「子育て支援」は、「子育て」の「支援」。

 ということを抑えて眺めなおすと、保育士に「子育て支援」を任せる、というのは実は素人さんにいきなりプロの仕事をしろと言っているようなものだということがわかりますね。
 
 私に言わせれば、本来、「子育て支援」というのは、ほぼほぼ「おやしえん」なんですよね。

 だから子どものプロフェッショナルであるよりまず、親の現状、心理、夫婦関係や現代社会が親に与える影響についての認識、成人とのコミュニケーション力や成人教育学の知識等のほうが大切。

 でも、「保育」は「子どもの善い育ちへの直接的働きかけ」がメインだから、まず最初に求められるのは、子どもの発達についての基礎知識や子どもへの有効な働きかけのスキル。

 ね、ぜんぜんちがうでしょう?
 きっと、保育士の皆さんご苦労されたのではないかなあ。

 それからついでに言わせてもらうと。

 「子育て支援」と「家族支援」も、実はぜんぜんちがうんですよ。

 「子育て支援」という用語は日本のもので、英語では「家族支援=Family Supports」と総称します。

 そして 「家族支援」は、親への支援を、子育ての手助けやアドバイス、保育の提供というせまい範囲に限定しません。

 そもそも、家族支援の”家族”とは、子どものいる家族限定ではありませんし、子どものいる家族の支援に限ったとしても日本より遥かに多岐にわたります。

  だから、子育てのアドバイスどころか、就労支援や家さがしから、洋服リサイクル、食事支援、子どもや親の学習支援、心理的危機の予防、婚前教育、性教育に至るまで、とにかく家族のウエルビーイングの実現のための包括的サービスが「家族支援」。
 地域の情報提供、ファミリーセラピー、カウンセリング、福祉などの必要な支援に繋ぐ作業も支援の範疇です。

 そして、「家族支援」は、子ども支援=家族支援=地域づくりという発想、つまり、子ども-家族-地域は、切っても切れない関係にあり子どもの幸福を目指すなら、結局は家族(またはそれに代わるシステム)が、ひいては地域全体が幸福なコミュニティとなる必要がある、という考え方をベースに持ちます。

 多様な支援の提供と地域づくり、この双方の理由から、「家族支援」の実践には、子育てにかかわる人だけでない、広範囲なネットワークが不可欠です。

 というわけで、有効な家族支援者とは、広範囲なネットワークを持ち、多様な支援者とコラボして様々なサービスを家族に提供しつつ、ベースの考え方に従って、彼らとともに、恒常的な地域づくり・まちづくりの試みをささやかに続けている人のことです。

 そして日本にも、家族支援者的動きの人って、もうすでにちらほらいる気がします。
 本人は、「自分は家族支援者」と気づいていないかもしれないけれど…。




  







⑩なにをやったか、なにをやるか
2014年05月24日 (土) | 編集 |
 今日はちょっと趣向を変えて、おやしえんの方法についてではなく、おやしえんをする人にスポットを当てちゃいます。

 私が若かりし頃。
 まだ、片手に赤ちゃんを抱え、片手に幼児の手をひいて、
 日々、子育てに奮闘していた頃。

 生活クラブ生協が運営する子育てひろばに、ボランティアスタッフとして参加したことがありました。

 そのとき、 
 メインスタッフの人に、
「赤ちゃんや小さい子を抱えている当事者がスタッフにいて、心強いわー」
 と言われました。

 ちょっと待ってくれ。
 小さい子を抱えているというのは、私にとって、テンポラリーな状況で。
 この子たちは育ち、私はやがて当事者ではなくなるのに。
 当事者じゃなくなったとき、私の存在価値はどうなるの?
 当事者じゃない私の、支援者としての存在価値はないのか?

 私は子どもを産む前から子どもの育ちに家族が果たす役割に注目し、
 子育て支援という言葉がないころからそれに類する活動をしていたという自負もあって。
 小さい子どもを抱えている当事者だから、
 活動に参加しているという感覚はこれっぽっちもなかったのだけれど。

 しかし、私の自意識とは裏腹に、しょせん世間の目から見れば、私は「当事者」でしかないのか…。
 「お母さん」であること以外、私には、支援者と呼ぶにふさわしい、なんの外的証拠もないのだ…。

  もちろん、メインスタッフの方はそんなに深く考えずに発言されただけなのですが、
 私は、そう「気づいて」愕然としてしまったのです。

 そして、
 そんなら、
 私の実力を対外的に保証するような、
 当事者じゃなくなっても一生使えそうなスペシャルな証拠をゲットしたるわい!と思って、
 カナダの家族支援職資格をゲットするに至るわけですが…。

 あれから十数年。
 
 今や、保育士の業務内容に家族支援が含まれたり、
 さまざまな民間資格や公的職業が生まれたりして、
 支援者はそれなりに、外的証拠を用意しやすい世の中になりましたね…。

 3年間かけて、もの凄くものすごーく頑張って取得した私の資格が、
 時には、
 そういう資格と大差なく語られることもあって、
 正直、ちょっと悲しい、割り切れない感じがしたりもします。

 でも、
 今、周りを見廻してみると、
 私が憧れる支援者は、
 外的証拠があるとかないとか関係なしに、
 魅力的な仕事を地道に続けているひとたち。

 そのひとたちは、
 外的証拠のことなんて考える暇なく、
 日々の仕事に夢中になっている。

 ああ、これが正解なんだよなあと思う。

 考えてみれば、
 今の私を支えているのも、
 家族支援職資格そのものではなくて、
 それを取得するために学んだ、様々な理論や方法論や現状分析、そして家族にまつわる様々な問題に対して、自分なりの考えを明示することを強いられた経験と、それをしたからこそ持てる揺るぎない自信のほう…。

 そして、その有益な知識や理論を宝の持ち腐れにしないで、もっともっとシェアしたいから、
 莫大な時間を教師という仕事に絡め取られながら、
 ファミリーライフエデュケーターであることをやめられない…。

 おやしえんをしようとすると、
 きっと、
 いろんな民間資格や華やかな名前の職業が、目につくこともあるかと思います。
 それをゲットして安心するのも一つの方法ですが、
 それに安住するのは、おやしえんではありません。

 それより、

 なにをやったか、なにをやるか が だいじ。

 支援と呼ぶにふさわしい仕事(ペイド、アンペイドにかかわらず)を、真摯に地道に続けよう。
 
 





  
 
⑨多面的な視点で必要な資源をつなげながら…
2014年05月13日 (火) | 編集 |
(ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)
 
香川県の子育て支援界のスター(本人はこの言い方はきっと嫌がるでしょうが)・草薙めぐみさんが、フェースブックを通じて、レジリエンシ―の記事にコメントしてくれました。

「私もいつもその人その家族がもつ力を信じ続けながら家族支援に取り組む努力をしています。レジリエンシー、支援に関わる者が支援のあり方を多面的な視点で必要な資源をつなげながら捉えていく必要がありますね。意識することは大事なことですね。」

 そうそう、これこそ家族支援の手法だなあ…と思ったので、そのことを詳しく書こうと思います。(草薙さん引用お許しください)

“多面的な視点で必要な資源をつなげながら”

 というのは、つくづく家族支援の、福祉的手法の本質だと私は思います。

 子育て支援、おやしえんというと、なぜか子育て指南や親教育にすぐ流れてしまう感じが私はしていて。あるいは、福祉の制度にパズルピースみたいにはめ込むような感じとか。

 だけどホントにおやしえんをしようと思えば、そんなことばかりではなくて、経済的な困窮を解消するとか、家族以外のリソースを考えるとか、親のメンタルな問題に注目するとか、いやいや、もっともっと意外なところも含めて、多面的に眺めることが不可欠で。

 そして、コミュニティに今あるもの、制度やら施設やら団体やら人やらモノやら雰囲気やら…を、三次元感覚であちこちから引っ張ってきて、それを最大限に生かし、コラボで支援を創りあげる。そのために、普段からコミュニティのリソースに精通するよう努力して。

 その過程で一貫して持ち続けなければいけないのは、家族には本来子育てする力が宿っていると信じる力。
 
 家族を信じて、多面的に様相をとらえ、コミュニティのリソースを繋ぎ合わせて。

 こうやって言葉にすると、綺麗にサラッとまとまって見えるんだけど、それは、現場で見ると、実に泥臭いお金儲けの香りの一切しない、地道なお仕事なんだよね。

 あーあー、なーんでこんなことに魅了されてしまったのでしょうか。株式投資とか起業とかエンタティメントとか、そういうことに夢中になるような人だったら、お金持ちになれたかもしれないのに。

 支援とか教育なんて、報われない仕事になぜこんなにも没頭してしまうのか…。ううん、私が、というより支援者の皆さんのことですよ…。

 ほら、今日もお金にならない仕事が山盛り待っている一日なのではありませんか?

 モノ好き。
 好きなんだからしょうがないよね。
 それに言うほどお金持ちになろうっていう気もないんだよね。

 ただ、だれかを幸せにしたいんだ。



⑧おやしえんのキセキ
2014年04月20日 (日) | 編集 |
(ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)

 おやしえんを始めるなんて大それたこと、じぶんにできるかなあ、と心配をしていませんか。

 あるいは、そんな小さなことをしたってしかたがないかなあ とためらっていませんか。

 今活躍する子育て支援者たちも、みんなそうだったんじゃないかなあと思います。
 でも、それでも、どうしても必要だっていう気持ちが嵩じて、みんな衝き動かされるように活動を始めたのだと思います。

 そうなんです。

 今では華々しく活躍する数々の子育て支援NPOも、元々は、みんな小さな地域活動でした。それが日を重ねるごとに少しずつ大きくなって形になっていったのです。

 たとえば、我が地元の、複数の子ども家庭支援センターや子育てひろばを区から受託運営しているNPOの手をつなご

 サイト内にも書かれているように、最初は小さな”中高年のボランティアグループ”でした。

 今では全国的に有名な、横浜のびーのびーのが、ひそかに産声を上げたころのことも覚えています。

 びーのびーののサイトにも書かれていない、90年代初頭のお話。
 当時は、子育て広場という概念はなく、補助金制度もなく、利用者はお金を払って場に参加していました。

 これらの団体は、ニーズに応え、形を整え、必死に走り続けているうちに、いつの間にか、地域になくてはならない存在になりました。

 まあ、わははネットのようにいきなりフリーペーパーを創刊しちゃうツワモノもいますが。それだって、代表の、その前段階の活動があってこそ。

 それに、上記の例のように、必ずしも大きくならなくてもいいし。

 私の大好きな日常生活支援サポートハウスは、12年たった今でも、設立当時と何も変わらず、法人格も取らず、12年たった今でも、同じ支援を頑固に守り続けています。今だにウエブサイトだってないんだからww。最高だww。



自分のスタイルで、
Make a difference

  
 

 きっと、大事なのは、続けること。

  
  

⑦おやしえんの5段階のレベル
2013年12月27日 (金) | 編集 |
(ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)


 ドハーティという人が整理した、家族とかかわるときの5つのレベルについてお伝えします。

 家族支援の試みを、その対象者と効果や目的によって、1から5の段階に分けたものです。

 大勢を相手に講演するような場合は1、質疑応答とかがある場合は2なのかな。

 カウンセラーは5。

 ファミリーエデュケーションは、3に当たります。4もかな。

 私は、この理論を知っている人には、当然、3から4あたりの仕事をしているといわれました。
 けど、この理論も予防教育という概念も日本に定着してないから、一般的には、ファミリーエデュケーションを「家族支援の仕事です」って言うと、1や2、または5と混同して、あるいは結びつけて理解されることがすごく多かったです(人間、自分の中にないものを理解するのは難しいよね。私も意外と押しが弱いところがあって、ファミリーエデュケーションのことを興味を持って聞いてきてくれないと、積極的に詳しく説明しなかったしなー)。

 だけど、読んでもらえばわかると思うんだけど、本当は、こういうレベル分けの知識と、自分の働く場所の自覚は絶対必要です。
 自分の仕事のレベルの自覚を持たずに仕事を始めると危ないです。不用意に4や5に行ってしまうかもしれないし、1や2と、3や4を混同する子ともおきやすい。
 それを避けるためにはまず、この5段階を頭に入れておくといいと思います。

 さて、あなたは、どの段階で仕事をしますか? していますか?
 あるいは、一人でいろんなレベルをやるとしても、やっているとしても、今どの仕事をしているかが見えていたほうが賢明だと思います。




以下、素人の訳ですので、間違っているかもなので、そこのところはお含みおきを…。


教育と治療(家族関与レベルのモデル)

 1995年の最初の論文で、ウィリアム・ドハーティは、家族とともに働く時に、どのように教育と治療を区別するか、という問題に取り組みました。
 親と家族の教育の分野で、知的な認識と感情は分けられないことを、彼は認めていました。
 効果的な教育グループはしばしば、感情的に治療的です。同様に、治療はしばしば、いくらかの認知的な学習を伴います。
 彼は、それゆえに、ふたつの概念をひとつの連続体におき、それを強さと家族との関与の5つのレベルに分けました。

・ レベル1-家族への最小限の注目

 この段階では、同じ情報が全ての親に提示されます。親は専門家に協力し、専門家を支援することを求められます。
 この関与のレベルは、病院、学校、あるいは子どもを扱ったり、親とともに働いたりする他の機関でみられます。しかし、家族に焦点をあてる必要はありません。

・ レベル2―情報とアドバイス 

 ドハーティは、スピーカーのプレゼンテーションや一回限りのワークショップをレベル2に分類しています。スピーカーは情報提供し、だいたいいつも聴衆のニーズをくみ取り、質問、意見、議論を歓迎しつつ、双方向のやり方で進めます。
 このかたちは一度にたくさんの人に届くのに有効です。これは内容に強調があって、人々は深いところの感情を議論しない、危険の低い環境です。このようなイベントは、親が自分の子育てスタイルを探求するさらなる機会を探すように促すかもしれません。
 しかし、自分だけで、親が有意義な変化を得られることはめったにありません。

・ レベル3-感情とサポート

レベル3では、ファシリテーターは、情報を提供して知識とスキルに関連したアクティビティに着手します、レベル2においてと同じように。
 加えて、ファシリテーターは、話題になっているトピックに関する、個人的な感情や経験談を共有することを参加者に薦めます。このレベルの仕事は、典型的に、相互サポートや信頼を築いていく親教育講座で見られるものです。参加者は、日々の家族生活でのストレスについては話しますが、ファシリテーターは、トラウマ的な個人経験は探求しません。
 たとえば、グループのメンバーが、過去の虐待を明らかにした場合、ファシリテーターは、このような自己開示は注意深く行われるべきと知っているので、適切な対応をしつつも、その虐待経験の癒しを、グループの主題にすることはありません。
 ドハーティは、レベル3を、「ほとんどの、現在行われている親または家族教育のアクティビティにとって強さの最適レベル」と言っています。けれども、彼は、レベル3の欠点は、参加する親の何人かは、このようなグループでは扱いきれない強いニーズを抱えていることだと指摘しています。
 親グループに来る人が、予防的効果を期待しているなら、その人たちはもっと根深い問題にとりくむ準備もないし、気持ちもないでしょう。なかには、ひとりの問題だけに時間を費やすことに腹を立てる人もいるかもしれません。また他のメンバーは、表面に出る感情の強さによって脅威と恐れを感じるかもしれません。
 どちらの場合でも、レベル3のファシリテーターは、一方で参加者に感情を表現することを勇気付け、もう一方で自己開示の深さに制限を設け、その間でバランスを見いだす必要があります。

・ レベル4 短く焦点を合わせた介入

 レベル4では、ファシリテーターは、レベル2、レベル3に含まれる全てをします。
 しかしそれに加えて、アセスメントとより集中的なワークをするという親とのはっきりした契約に基づいて、介入を計画します。すでに確認された子育ての問題を変えるために、親はグループに参加しています。それは特別な状況をもつグループです。
 たとえば、離婚したパートナーと子育ての問題で意見が食い違っているとか、特別なニーズを持つ子どもを育てているとか、家庭内暴力の過去があるとか、児童保護や精神保健サービスと係わっているとかなどです。
 焦点は、夫婦の不和や関係するおとなの精神保健の問題にあるのではなく、子育てに関する課題の問題解決にあります。グループのメンバーは、みな状況が良くなることを期待しており、個人的な親の問題を深く考えるにはかなりの時間がかかるだろうと、最初から理解しています。
 ドハーティは、親や家族教育分野のプロフェッショナルは、より強いニーズを持つ家族と働くことをますます求められるようになってきていると観察しています。
 レベル3とレベル4の境界は、複雑な家族ダイナミクスと他の問題が、子育てに関する問題に加わる場合、よりぼやける傾向があります。
 ドハーティは、親グループにおけるレベル4の仕事には短期にするべきだと強調しています。もし、提案された介入が家族の問題を解決する助けになっていなければ、ファシリテーターはさらなるカウンセリングのための紹介を行うべきです。
 レベル4での仕事は、家族と同様、ファミリーセラピストや他のプロフェッショナルとの緊密な連携が必要です。

・ レベル5 ファミリーセラピー(家族療法)

 レベル5は、親・家族教育と呼ばれるレベルを超えています。
 セラピストと家族は、問題の核心に到達するために必要などんな問題でも探求するという契約をします。セラピストは、激しい個人的な悩み、対人間の葛藤、変化への二律背反的な思いや抵抗などを、家族とともに考えます。 セラピストに出会うとき、家族はこれが、教育的プログラムではないことを知っています、たとえ、彼らがやっていくうちに本当に物事を学ぶかもしれないとしても。
 特別なスキルとトレーニングが、このレベルで働くために求められます。




⑥さあ、はじめよう
2013年11月18日 (月) | 編集 |
(ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)



「さあ、はじめよう」と思って、大した長期計画もなしにとりあえずはじめちゃうのもありだと思うんです、私は!


でも、家族支援職資格課程では、何かを始めるための計画と評価計画の科目(program planning and evaluation)があって、それだけで4か月丸々みっちり勉強します。


これをものすごーーーくザックリお伝えしますと。


 “なにかすること”は、何年かかかる大がかりなもの、一日で終わるもの、団体としての活動、個人としての活動、いずれもひっくるめてプログラムと総称します。

 で、自分のプログラムを作るときには手順があります。

 まずはニーズ調査。

 自分が温めているものが、求められているか、自分のコミュニティにあっているのか、まずはそういうことを調べます。
 調べ方は、アンケート、鍵を握る人へのインタビュー、グループインタビューなどいろいろ。今ならネットやSNSを使う方法もあるかもです。
 ただ、自分が当事者で、自分も、周りも、このプログラムを切実に求めているという確信があれば、このニーズ調査はいらないかもしれません。

 で、温めていたものが必要性があるだろうと判断されたら、次に、プログラム作りに取りかかります。

 プログラム作りでまず大事なのはゴール。それをすることによって、なにがどんなふうにかわってほしいのか、という目的です。これを決めます。これがぶれちゃうと、途中でわかんなくなっちゃうので慎重に。

 次に、そのゴールに見合った具体的な目標(オブジェクティブ)を決めます。ゴールが抽象的なのに対し、こちらは具体的です。

 で、あとはそのゴールとオブジェクティブを実現するためにどのような活動をすればいいのか詳細を決めていきます。
 
 理想を言えば、この時点で、プログラム計画と同時にプログラム評価計画を立てておきます。そうすれば、プログラム実行と並行してそのプログラムの評価ができるのです。

 ちなみに、ここでいう“評価”とは、決してレッテル貼り的なイメージのものではなく、ダメ出し的なものでもなく、純粋に、次回以降の改善につなげるための冷静な行為です。
 そこをがっつりわかっておかないと、“評価する”という行為は違うものになってしまいます。お気をつけて!

 って、なに言ってるかわかんなかったかしら。

 以前、家族支援の方法を解説した時に作ったまとめ資料をコピペしてみます。
 これにそってやれば、とりあえず小さいプログラムは実施できるはず。

プログラムプランニング

1地域のニーズを調べる・自分たちの力量を認識する・ニーズを想定する

2調査内容を整理する

3プログラムのゴールを立てる

4それにそった具体的目標を立てる

5プログラムを実施する

6成果を検証する

7検証した内容をレポートする

レポートを元にプログラムを改良する


プログラム例
 自主グループ                 
 センター設立
 ニュースレター発行
 家庭訪問
 先輩のアドバイスグループ
 地域フォーラム
 他団体との共同プログラム
 支援グループ
 ワークショップ
 講座
 講演
 セッション
 各地域でのセッション
 フェア、イベント
 一対一のコンサルテーション
 一学期制の資格コース

この他にも事業のスタイルは多様です。
これにこだわらずに立案してください。

プランニングにおける留意点

・いったい自分は何のためにこれをやるのか、を忘れない。
・する側もされる側もリソースベースド(自分たちの持っているものを生かす)
・「楽しそう」「面白そう」でなければ人は振り向かない。内容とネーミングを工夫
・託児、アクセス補助(例;高齢者大学におけるバスの運行)、手話通訳など、
 そのプログラムにとって必要な付随サービスに気を配る
・対象者は当事者だけでない(アドボカシー=弁護・代弁活動 含む)
・マイノリティー(少数者)のニーズも忘れない
・エバリュエーション(事後評価)計画をあわせて作っておく

書き込み式プランニングシート

1対象ニーズ(どんなニーズを満たすためのものか)

2自己資源の確認(できること、持っているものを確認)

3事業目的(結果として期待すること)

4事業概要(内容と目標)

5事業概要(対象者)

6事業概要(実施主体・協力団体)

7詳細(場所)

8詳細(時期、時間帯)

9詳細(宣伝/周知方法。複数)

10詳細(付随サービス。託児、送迎など)

11その他事業実施に関する留意点

12事業評価プラン(今後のより良い事業展開にむけて)

その他



こんな感じです。

参考に、この手順で作った私のプログラム「連続講座お産ワークショップ」のチラシを載せておきましょうか。

この場合ゴールは悔いのない出産の実現、オブジェクティブは出産者が必要な知識と方法を選択する力をつけること、となります。これもファミリーエデュケーションプログラムですね。

                   ****

2回連続講座・めざせ素敵な出産!
お産ワークショップ のご案内
あなただけのバースプラン(お産の詳しい希望を説明したもの)を創りませんか。
より多くの女性が悔いのない出産を、という願いから生まれたワークショップです。
ぜひご参加ください。

日時と内容 

第一回 ・月・日(・) 10:00~12:00 「いいお産って なーに?」
二人の素敵な女性(助産師さんとお産の研究者の方)をゲストにお迎えして、出産経験者も交え、グループトークをします。トークには現代出産事情、様々な出産スタイル、お産の常識点検、いろんな国、いろんな時代のお産など、多岐にわたるお産の情報が盛り込まれます.多様な選択肢の中から、一人ひとり、自分にとっての「いいお産」を見定め、用意されたバースプランシートを記入していきましょう。

第二回 ・月・日(・) 10:00~12:00 「いいお産を しよう!」
前回で見えてきた自分にとっての「いいお産」、または作成したバースプランを、では、どこで、だれと、どうやって実現することができるのでしょう? 引き続き助産師さんにゲストに来ていただき、又、各施設出産者の経験談も交え、グループトークをします。悔いのない出産を実現するための具体的な方法を、いろいろと考えていきましょう。

場所 ・・・・・・ホール 4階 和室1,2(℡・・・-・・・・) 
     ※ 駐車場有り(30分まで無料、以降1時間まで・00円、以後30分ごと・00円)
対象 妊娠中の方、妊娠を予定している方、またはお産に興味のある方など
※ 託児ボランティアがおりますので、乳幼児連れの方もお気軽にどうぞ
定員 10名前後(先着順)
※ どちらか1回でも参加できますが、2回とも出席できる方を優先します
会費 2回で300円(1回のみ200円)
※ 会場および資料代です。ゲストは無償できてくださいます。

主催 「お産ワークショップ」実行委員会
問い合わせおよびお申し込みは…林 ℡080-・・・・-・・・・ まで

♪ 参加したいがこの日程では都合がつかないという方、問い合わせ先までご一報ください。
♪ 特定の宗教や営利目的の活動とは一切関係ありません.ボランティアの主婦による企画です


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また、評価=エバリュエーションをもっとしっかり計画に組み込むすぐれたモデルがありますので、そちらも載せておきます。翻訳(私家版)はワードファイルなので、ブログに載せる方法がわかりませんでしたー。だから原文のほう。ごめんなさい。

プログラム論理モデル(英語)

クリックしたら開けると思います。
⑤ひとことで、「おやしえん」といいましても…
2013年11月12日 (火) | 編集 |
 (ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)

 「おやしえん」と5文字でまとめてしまうには、あまりにも多様な「おやしえん」ww。

 前は、福祉的なものと教育的なものと大まかに分けたりもしたんだけど、それもまた複雑に絡み合っているからねえ。
 それでも、ざっくり分けると、たとえば保育や子育てひろばの提供、就職支援、住居支援などは福祉。親教育プログラムやワークショップ、セミナーなどは教育的プログラムかな。

 自分が、だいたいどっちの方向か、なんとなく把握しておいてもいいかもです。

 あと、結構陥りがちなのは、「やりたい支援」と「ほしい支援」のミスマッチ。

 母親側は、子どもを預かってくれさえすればいいと思っているのに、親教育プログラムを提供されちゃうとか。

 白状しやしょう! あたしゃあ、かつて現役母時代に、母親向け託児つき講座のことを講座つき託児と呼んでおりました! 講座、ほんとはいらないんだけど、2時間無料で子どもを見てくれるから仕方なく出席、みたいな。
 そう、上記の例は私の実体験でございますー。

 送り手側がやりたい、受け手側がほしい、と思える落としどころが見つかれば最高なんだけど。

 ただ、人間自分の知らないことは発想できないから、経験して初めて、それが必要だったんだと感じることもある。だから、必ずしもほしい支援ありきじゃないんだよね。やりたい支援を極めたら、そこにニーズが生まれることもある。

 なんていろいろ考えずに、すぐに自分で始めないで、自分のミッションと似ている既存の団体に参加するのもアリですよね。そこが居心地が良ければ、そこで力を発揮すればいい。
 
 そうでなくて、そこにはない支援の仕事を、かつてない支援の仕事を、自分はやりたいという場合は、まずは計画を立てるところから始めます。

 
④そんなことよりはじめちゃえ
2013年10月26日 (土) | 編集 |
 (ここは、ファミリーライフエデュケーターのマミが、今から親支援・子育て支援・家族支援を始めたいなあっていう人にお贈りするHOW TOでーす)



 ここでは、なるべく平易な感じで、おやしえんへの「launch」(新しいことへ踏み出す感じの意味の英語)をサポートしたかったんですが、なんだか、書いているうちに難しくなってきちゃった。
 前回(③)を読んでみて、そう思ったんですが、みなさんはいかが。

 まあ、いちおう私がカナダの大学で教わったのは「家族支援学」なのでね。それに、そもそも西洋人って理論とか枠組みとかからはいる思考法っぽいし。
 その、習ったことに基づいて書いていくと、ああいうふうになってしまう。

 ※お断りしておきますが、ここに書いてあるのは、私が習ったことを、私というフィルターを通したものですので、「家族支援学」そのものではなくて、オリジナルに近い感じです。


 というわけで、オリジナルついでにこのような提案もしたいです!

 
もう、なんかいろいろかんがえたりしらべたりするまえにはじめちゃえ! 

 今まで解説してきたことと、思い切り矛盾してますけど。

 リスクを避けるとか、うまくいくとか、効果を上げるとか、そういうことを考えるなら当然、セオリー通りにやるべきだし、その方が成功するし長続きもすると思うけど、準備しすぎて、熱い思いが冷めていくのはとってもさびしいことで。

 はじめちゃって、走りながら考える。

 そういうやり方もあるし、迷惑や失敗をたくさんすると思うけど、それもまた良いのかなという。

 そういうことを温かい目で見つめるような、たっぷり大きな度量で考えていくのもアリかな、と。

 そう思ったりもします。