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日々の呟きから子育てコラムまで。イラストレーターとファミリ―ライフエデュケータ-のコンビ「さえる」のブログです。家族支援学についても書いてます。
男の性教育
2017年03月12日 (日) | 編集 |

 私たちが性を語ろうとするとき、なんとなくうしろめたいような、恥ずかしいような気分になるのは、「教育」のなせるワザです。小さい頃から、気づかないうちに「性は忌むべきもの」「汚らわしいもの」というイメージを、親や周囲の大人から肌で感じ取り、すっかり自分の中へ取り込んでしまった結果なのです。
 しかし、本来セックスは、愛を交歓し生命を創りだす崇高な行為。人間の美しい自然な営みです。
それなのに、性に関することに、大人があまりにも敏感に反応するため、こどもたちは性の歪んだイメージを受け継いでしまう、と、カナダの有名な性教育家・メグ・ヒックリングさんは指摘しています。だから、私たち世代は、性の古いイメージを覆し、次の世代に新しいイメージを伝える必要がある、と。
 そのためには、たとえば、
「ウンチ」「オシッコ」「オチンチン」
と連呼したがる乳幼児に、あまり目くじらを立てないでおくとか、
「赤ちゃんはどうやって生まれるの?」
 という小学生に、あっさり、はっきり答えるとか、大人側の新しい対応が求められるそうです。
 なかでも思春期の男の子には、同性の先輩である父親や身近な男性のアドバイスが不可欠です。
 初めて夢精した時、
「もうすぐ白いもんがチンチンから出るかもしれないけれど心配するな! お父さんもそうだった。男なら必ず通る道だ」
 とあらかじめ言われていたら、どんなに安心なことでしょう。
 繰り返す勃起を、
「元気な証拠! それでいいんだ!」
 と笑い飛ばしてもらえたら、また、自慰行為を、
「どんどんやれ! そんなもん溜めていたってしょうがない」
 と認めてもらえたら、思春期の男の子の人生は、どんなに明るく照らされることでしょう。
 こうして、性から罪悪感を取り除くことで、逆に、性犯罪抑止や性的虐待の早期発見が期待できるとも言われています。 
(浦幌町広報に掲載)
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男の子育て本…
2017年01月29日 (日) | 編集 |
「男の子育て本」という出版ジャンルを知っていますか?
 育児休業取得者、専業主夫、シングルファーザーなど、実際に子育てを体験した男性達がその書き手で、すでに様々な本が世に出ています。ルーツは1975年に刊行された「主夫と生活」(マイク・マクレディ著、伊丹十三訳、学陽書房刊)。最近では、現役官僚が書いた「経産省山田課長補佐、ただ今育休中」(山田正人著、日本経済新聞社刊)が話題です。

 さて、これらの本は、育児に直面した男達の、おおむね共通した心理を私たちに教えてくれます。

 まず彼らは、たとえ自分から進んで育児に専念した人でさえ、一様にそのシンドさにとても驚き、
「世の専業主婦たちは、こんな思いで子育てをしていたのか!」
 と愕然とします。

 それでも気を持ち直し、追いかけてくる子どもの世話と雑用の嵐―それも食べこぼしの片付けやおしめの後始末などの汚れ仕事―に、正面から取り組み、しばらくしてそういう生活になんとか慣れてきたころ、今度は、社会からすっかり隔絶された自分に気づき、憂鬱な気分、いわゆる「育児の孤立感」に襲われるのです。

 このへんは、仕事をやめて育児に専念した女性の心理と驚くほどよく似ています。

 そしてその時期を乗り越えて、子育て生活に慣れるに従い、彼らは、妻が頻繁に遅く帰ることに文句を言ったり、子どもが妻より自分になついていることに悦に入ったり、保護者会に積極的に参加したり、などなど、限りなく「母化」していくのです(笑い)。

 一方、子育ての憂いなく、思う存分仕事に集中する妻のほうは、夫が持ちかける子育ての話を話半分に聞いていたり、無責任に子どもを甘やかして夫に文句を言われたり、「仕事が大変なのよ」と愚痴を言ったり、限りなく「父化」していきます(再び笑い)。

 面白いのは、最終的には、子育てを経験した男性達がみな、「子育ての楽しさ」にハマッてしまい、たとえ復職しても、元の仕事人間の自分に戻れなくなってしまうことです。

 たまには、こんな「男の子育て本」を読んで疑似体験してみるのも、楽しいかもしれませんよ。

(2006年 北海道浦幌町広報に連載したコラムの転載です)
男だって子育て! その① 男たちよ!
2017年01月07日 (土) | 編集 |

その① 男たちよ! 

 はじめまして、ファミリーライフエデュケーターの林真未です。今月号から拙いコラムにお付き合いいただくことになりました。
 どうぞよろしくお願いします。

 さて、最近は「父親の育児参加」が花盛りです。カナダでも「父親は地球で一番素敵な仕事!」と銘打って、大々的なキャンペーンが行われています。日本国内、もちろん道内も盛り上がっているようで、私も先日、ある町で父親向けの講座を依頼されました。

 私の講座は一方通行の講義ではなく、参加者が自由におしゃべりするスタイルなので、その日も、興味深い意見が次々飛び交いました。
 ある父親が、
「男が働いて女が家事育児でなにが悪い。最近、父親に育児しろと世間がうるさすぎる。こっちは肩身が狭くなるばかりだ」
 といえば、他の父親が、
「いやあ、うちは共働きだから料理は全面的にぼくがやってます。お互い働いてると助け合うのがあたりまえという感じで…」
 と応戦。
「やってもやっても、奥さんに、協力が足りないようにいわれて…」
 と若い父親が悩みを相談すれば、他の人が、
「そうなんだよ。奥さんにもわかってほしいところはある」
 と共感するという具合。

 私は三人の子の母親で、しかもファミリーライフエデュケーターなんて触れ込みですから、結局最後に「これからの時代は男性も育児参加すべき」とまとめそうですが、実はそうでもありません。
「子育ては100の家庭があれば100通りあっていい。シングル家庭も含めて様々な家庭がある。両親がいる場合でも、父親が全く家事・育児をしないところもあれば、協力し合ってやっていくところ、あるいは専業主夫がいたっていい」
 というのが私の意見。ただし、その状態を母親(または家族等)が心から「幸せ」と感じていること、と言う条件がつきます。

 だって、
「女(同性愛の場合は男ですが)1人幸せにできなくて、なにが男よ(失敗した人は次回頑張れ)!」
 …私は、男性に対して夢とロマンを持っているのです。

(2006年 北海道浦幌町広報に連載したコラムの転載です)